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生きる為に死のう。

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山口県は徳山図書館というところからこの記事を書いている。図書館とはいうものの、蔦屋書店と、スターバックスコーヒーが合体して、そこに図書館が付いている、という感じである。何が言いたいかというと、とても開けていてキレイだ。僕は本を読んだり、勉強したり、集中したいときは、ある程度の雑音や、生活音が必要な人間だったなぁ、なんてことを思い出した。いまはひたすら熱中して『水滸伝』を読んでいる。

 

 

与えられるということとは何だろう。

 

山口県に来てから1週間以上が経った。囲ってもらっていただいている。1ヶ月ほど滞在してもいいよ、とも言われている。嬉しい。以前の自分は、与えられることは恥、とまではいかないけれど、半端のない貸しを作ることだと思って、とても嫌だった。なんでも1人でやることが美徳だとそう思っていた。誰の力も借りず、たった1人でもやり抜く。全てにおいて完璧になる。そんなことを、理想にしていた。

 


いまはどうだろう。少なくとも、人から見られて「完璧」と言われるような人にはなりたくねえなと、思うようにはなった。完璧、なんでもできる人、そんなもんはくそくらえ!ぐらいの気持ちがある。なんなのだろう。笑

 


いや、1人でやり抜くというところは変わってはいないんだと思う。ただ、前提が変わった。所属するものがない。会社とか、学校とか、実家とか、そういう隠れ蓑がない。半端なく大げさに言うなれば、地球の上に突っ立っている、「一つの物体」になった。一つの物体のままでも生きる。そう志はある。が、しかし、さっき書いた「完璧になる(ことによって、1人でも生きていく)」ことと、これとは違う気がする。

 

 

 

与えてもらうことの喜びを感じる、これは今までの自分にはなかったことだ。囲ってもらって頂いている場所では、自分でお皿をかた付けようとすると、やめろと言われる。掃除をしようとすると、やめろと言われる。こうなると難しい。ひたすら感謝をするしかないのである。申し訳ない、とは思いつつも、それを言葉にするよりも、ありがとう、だけを伝えなければいけない。これは難しい。

 

 

 

生きる為に死のう。


何が言いたかったのだろう。久しぶりに書いたら、まとめるのが下手だったのが、より下手くそになった。こんなことで悩むことが、去年の今頃、あったのである。そんな時のことを思い出したんだ。

学びの日々である。ずっと同じところにいると、飽きてくる。飽きてくると、失礼になる。失礼になるということは、本気で感謝ができない人間であること、まだまだ未熟なところが多分にあるということ、なのかもしれない。これからまた流浪の旅が続いていく。行きたい場所がいくつかある。行かなければいけないところもいくつかある。6月になったら、やりたいことがある。まだ死ねない。

 


どうしようもなく、自分がダメだと思った日にノートに言葉を書きなぐった。『「死なない為に生き延びる」よりも、「生きる為に死のう」』と書いた。自分で書いていて、説明はできない。また大げさなことを書いてるなぁ俺、と思う。でもなんとなく、そうだよな、と思った俺もいた。

 


つづく!!!

自分の逆を突くのみ

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成田空港の第2ターミナルにいる。「東京にいると俺は腐る!」という直感に助けられて、千葉県に逃げてきた。逃げたのだけれど、逃げ足が早すぎた。フライトは明日の朝なのに、もう着いてしまった。暇だ。ぼくのプランでは、成田駅付近でいい感じに時間を使うつもりだった。成田山を登り、図書館で『水滸伝』を読みあさるつもりだった。しかし、成田山は想像を超えて低く、すぐ終わった。おみくじを横目に「誰かと一緒なら引けたのに、、、」となる。図書館は図書館で、まさかの休館日で、残念ながら行けず。しかし、そのちょっと先に公園を発見した。しかも芝生ありだ。寝っ転がった。目を閉じて、ストレッチをする。体と対話する。痛みのあるところを触ってあげて、いたわる。

 


ぼくは芝生が好きだ。コンクリートの上ばかり歩いていると頭がおかしくなる。芝生の上はフカフカだ。ちょっとチクチクするのもいい。芝生の上で寝てると「何一つ間違っていない」そう思えてくる。好きな時間を過ごすというのは、運を呼び込むことなのかもしれない。起きたら目の前にボールがあった。投げたり、ついたりした。楽しかった。ずっとできると思った。誰かと一緒に遊べたら、もっと楽しいだろうなと思った。『キャストアウェイ』という映画で、主人公が無人島にたどり着いた時、バレーボールを語り相手にしていたのだけれど、なんかその気持ちがわかる。ボールは友達、なのである。

 

 

悪態つき太郎。

図書館に行く前、疲れたので駅前で座っていたら、知らないババア(敢えてババアと書きます)に「めっちゃ邪魔なんだけど」と、ぼくに直接言わない感じで、呟かれた。そして去っていった。顔も服装も歩き方もゾンビだったので「コイツ終わってるな」と思った。餓鬼でもそんなことは言わない。むしろ、彼らの方がGWが明けて楽しそうだ。仕事に行くのがかったるいのはわかる。あさから堂々と椅子に座って、おそらくいつも通っているショートカットコースをふさがれてたのが気にくわないのはわかる。色々あるのはなんか分かる。ただ、無礼なのは許さない。自分のイライラを人にぶつけてはいけない。頼むから、「お前の不幸を人におすそ分けしてくれるな」と思った。

 

 

自分の逆を突くのみ

この間、いつもお世話になっているNさんにお寿司をご馳走になる形でいろんなことを話した。Nさんは基本的に、世の流れの逆を行こうとする。そういう話を聞くと、とても元気になる。いい大人がまだここにもいた!と喜べる。一緒に遊べる(働ける)かもしれない可能性を持っている人と会えることはとてつもなく嬉しい。感謝感激である。

 


とにかく、周りがやらないことをやる。これはぼくにとっても大きく、大事なものである。が、ぼくの考える程度のことは、たぶん世の中では100万人くらいの人がやっている。そんなもんだと思う。これに気づかないと、今度は「周りがやらないことをやる人たちが、やらないことをやる」と、至極面倒くさい感じになる。ぼくにとっての指針は一つ。ぼくがやったことないこと。ぼくの予想の先を行くこと。結局は、自分に立ち返ってくる。そしてそれが一番行きていると実感できる。

 


普通なら空港でボケーっとしながら、暇ならその辺を歩いたり、ご飯食べたり、お土産を買ったり、YouTubeを見たりするのだろう。ここを超えていきたい。ということで、ずっとやりたかったけれど値段を理由に躊躇していた「ファイナルファンタジー5」を、やる。ソシャゲではなく、買う。明日の発着までにクリアする。ナンバリングタイトルを全部やるまでは死ねない。ということで、わけわからない着地を、しましたが、明日以降、九州、中国地方方面へ放浪します!

 


つづく!!!

我が魂はボロ小屋とともに

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群馬県赤城山のおなじみの小屋にいる。平成から令和へと変わるあたらしい節目を山ですごした。実感はほぼ皆無だ。

ここに来ると必ずギターを弾く。前回来たときはビートルズのレット・イット・ビーを練習していたが、一向に上手くなる気配はない。が、なぜか、ゆずのサヨナラバスだけは最初から最後まで弾ける。この曲はぼくが小学生の時、とても好きだった先生がたどたどしくも弾いてくれた曲だ。自分に何かしら縁故のある曲なら弾けるということなのだろうか。なぜかこの曲だけは大丈夫なのである。

 

愛情を込める。


ちょうど1年前、この赤城の家をつかいはじめた。最初は「このオンボロの家で生活するのはタフだぜ、、、」と思っていた。それから少しずつ、部屋の中をそうじしたり、外の庭?を綺麗にしていったり、少しずつ、少しずつ、気持ちをかけてあげることで、今では何の不自由なく生活することができている。

 


じゃあ見た目がすごく変わったのかというと、1年前と比べて、さほど綺麗にはなっていない、というのが本当である。バカな人は「変わってないのかよ笑」と笑うだろう。ぼくはそんな人を笑う。なぜか。それは本当に大切なことが何なのか、わかっていないからである。

 


変わったのはぼくの心だ。ぼくは、この家の庭をほうきで掃いているとき、とても神聖な気持ちになる。まるで庭が愛すべき生き物であるかのように思え、そこに愛情を注いでいる感覚をおぼえる。家の中も同じだ。畳は湿気でボコボコになり、家具もちょっとオンボロだ。しかし、ここ1年、父と僕が結構な時間を過ごしたことにより、生活感が漂っている。そうすると、1年前に感じた「こんなところで生活なんてできるのかよ、、、」というサバイバル意識は薄れる。

 


本当に大事なこと。それは「自分がいかに愛情をかけたか」何だと思う。そして「いかに愛情を持てるか」何だと思う。この家は10年近く放置されてきた。だから老朽化もすごく進んだ。しかしこの1年で様になった。これは愛情を注いだからだ。

少し前に古着のデニムジャケットを買った。やけにしっくりくる。誰かの愛が詰まっている。もう新品の服は買えないかもしれない。特にユニクロや無印は無理だ。使い捨て上等のものに身を包んでいたら、自分まで使い捨て可能な人間になる。せめて「聖なる一つの魂を地に返す」ぐらいのソウルは持っていたい。

 

 

 

そして、そこからさらに進化しようとしている。旧式と新型の融合。これこそが僕の目指したいところだ。今、ここに工房を作りたいと思っている。革製品を作る場所、洋服をリメイクする場所、コーヒーを入れる屋台、キャンプサイトなどなど。この家で使われていた廃材や、廃道具を使いたい。ただ新しくするのではなく、受け継ぐところは受け継いで先に進みたい。そうして愛情を注いだところに、「僕が愛情を注いだ人たち」がくるようなところになれば、それは素晴らしいことに間違いない気がする。

 

 

いま、必要なことは何か。

最近は北方謙三作『三国志』を読んでいる。蜀の劉備という武将は、彼の持つ人道によって仲間を集めるという特徴を持つ。しかし、スタートはわら編みで、無一文みたいなものだった。それが流浪を続けて、仲間と出会い、最後は一国の王として君臨する。今は僕も流浪の身だ。仲間集めをしている最中だとも思う。人間と話せている気がする人間を探す。少しずつ周りが一般的なものに飲み込まれていく中、変わらずに生きていた人にたまに出会える。これほど嬉しいことはない。

 


そういった人と会うとき、大事なのは「自分の中で筋の通った生き方をできているか、人間力を鍛えているか」というところがとても大事になってくる気がする。ぼくは人間力をまだまだ鍛えなくてはいけない。そのために、今できる、やりたいと思うこと、それをやり続けて、さらに強く、謙虚になりたい、そう思う。そしてそれが出来た時、ステキな出会いが待っているのだろう。そう思う。道のりは簡単じゃない。それっぽく働いてお金をもらって老後に備えるよりも、何かもっと大きなものと向き合っている。その道を選んだ自分を間違ってるとは思わない。むしろ、よくぞやったぞ自分と褒めてあげたい、そんな今日この頃である。

 

つづく!!!

誠実であること

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東京での精神修行を終えて、いまは群馬県高崎市にいる。東京をホームと思うとつらくなる。アウェーだと思うとたのしくなる。東京駅の人混みをどうすれば遊べるか考えた結果、ぼくの大好きな「ウォーキング・デッド」に出てくるゾンビワールドにいるのだと思うことにしてみた。ゾンビは群れるのが得意だ。へんに個性を出してはいけない。紛れるのだ。ゾンビみたいな歩き方をして、ちょっと食に飢えている感をだして歩いてみたら、たのしくなった。

 


誠実であること

さきほど、2週間で消えるタトゥーなるものを入れてきた。もう一回言わせてほしい。タトゥーを入れてきた!とうとうきた。小学校の頃、アメリカのプロレスが大好きだったぼくは、選手のタトゥーに憧れた。10年越しの夢を叶えてしまった。ということで、2週間は自由に温泉に入れない。ぼくの中身はなにも変わっていなけれど、温泉に入れない。ちょっぴり悲しい。

 


ピアスを開けたり、指輪をつけたり、髪を染めたり、いろんな形で、自分は他の人と違うのだと主張している人が多い。気がする。気がするだけなので、本当は違うかもしれない。このタトゥーが気に入れば本物のタトゥーを入れようか考えるつもりだ。もしも本物を入れたら、いよいよ人から、そういう目で見られる。ただでさえ適当な生き方を、側から見たらしているのだから(ぼくの中ではしっかり道をたどっている感覚があります!)、とうとう、とうとうである。

 


いかに、誠実であるか。まず挨拶が人とできるか。海外から帰ってきて気づいたのは、国内での挨拶が適当だったこと。顔をみて、感謝の気持ちを伝えないと、たぶん、海外では死ぬ(気がする)。国内では、特に、関東圏では、さらっとクールに流すのがかっこいいらしい。人にぶつかっても、さっと消え、ご飯を食べ終わっても、さっと消える。

 


人の顔をみて、挨拶できるか。人の話をしっかり聞けるか。適当な言葉、行動、筋の通ってない生き方をしていないか。自分に誠実か。そこさえ整えられていれば、タトゥーだろうが何だろうがたぶんオールオッケーなのだと思う。一方これがおざなりになると、「あー、あの人はね〜、、、」ってなる。やっぱりってなる。なあなあな生き方はできない。そういう追い込み漁みたいなものが自分に迫ってきつつある。23歳、さすらい2年目、正念場を迎えている。

 


こんな話を、居酒屋で友人と話していたら、秒速で2週間で消えるタトゥーを通販で頼んでいて、「この人はやっぱり素晴らしいなぁ!」と勝手に感動した。笑

 

つづく!!!

いま、やっちゃおう

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現在、大阪府は梅田を出発して、和歌山県へむかう電車のなかで、この文章をかいている。なぜ、和歌山県へむかうのか?理由はただひとつ。行ったことがないからである。僕にはあと行っていない県が8県ほどある。いま、「8県ほど」と書いたら、予測変換のところに「8軒」と出てきた。そのとおり、それぐらいのお隣さんを訪ねる感じで和歌山県へ向かっている。

 


これから4/27に東京である予定以外はほとんど暇だ。めちゃくちゃ暇だ。やることがあるときはいい感じの空気を出せるけれど、やることがなくなった途端、暇だ、死のう、みたいな気持ちになる。イッツァピーンチ!ピンチはチャンス!ということで、和歌山県には熊野古道とかなんかそんな感じの「歩いて修行!」みたいな場所があった気がする。これだ!精神修行も兼ねた、一大歩行祭をやってしまうと思う!

 

 

 

休養の日々。

 

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帰国して早四日(帰国したってワードを言いたいだけ)、何もしていない。驚くほど何もしていない。ほぼ寝ている。昨日は朝起きて、公園へ行き、芝生で寝て、グランフロント大阪のソファで寝て、天王寺の芝生で寝て、夜が来て、寝た。こんな感じでいいんだっけ??と思ったけど、変な話台湾の桃園空港を出るとき「日本では休養の日々が続くだろうな」という気がしていた。期せずしてそうなった。しゅごい。しゅごいけど、もう大阪はいい。東京よりもまだ人間感があって大阪は好きになった。でも人が多い。人の圧を感じる。誰も悪くないけれど、勝手に自滅して行くパターンが見えている。こういうときは自分から動くのが大正解!早く山が、海が、川が、待ち遠しい。

 


いま、やっちゃおう

 


寝たついでに、ぽちぽちスマホをいじっていた。ツイッターを開いたら、台湾で地震があったというニュースが流れてきた。台北の地下鉄は全線ストップとのこと。数日前まで台北にいた僕としては、えええ!!!となった。悠々カードなるもの(日本でいうsuica)を台北でゲットして、「うひょー!」となっていた僕にとっては、ショッキングなニュースであった。無事だということを家族に伝えたその数時間後、信号待ちをしていたら、目の前の交差点でド派手な事故が起きた。

 


車は横転、エアバッグがでていて、バイクに乗っていた人は倒れている。なんとか一命は取り留めたようだけど、周りは騒然としていた。この一連の流れを見て、明日は我が身だなと、思った。いつ何が起きるかわからない。いま、この瞬間しかないんだなと痛感した。やり残したことがあるならいますぐ動いてみなきゃ。体が動かなくなってから、「あのときああしていたら」なんて思うのは寂しい。

 


その想いの先が、「歩いて修行して、靴を壊して、気になっている下駄のワークショップに参加して、無事トントンになる」というのはどうなんだろう。笑

我ながら頭おかしいなとは思う。でもやってみる。ちなみに下駄のワークショップは数ヶ月前から気になっていた。ただ、値段と、よくわかんない怖さと、作った下駄をどう所有するか(移動しているから荷物を増やしたくない)がネックになって動けなかった。でも、この算段なら、いける。ピースがうまくハマってきた。やり残したことがあるなら、いま、やっちゃおう。

 


つづく!!!

何もないまま、マエマエマエ

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台湾は桃園国際空港からこの記事を書いている。つい2週間前まで、「ひとりで海外行くとか、ふつうに自殺行為かよ」とか思っていた。なんと愚かなことよ!やってみたらできちゃったのだ。あんなにも遠かった海外ひとり旅ができちゃったのだ。見たか、2週間前の自分よ。お前はやればできる子だったんだぞ!

 

 

できる子博士を振り返ろう

 


いま、この記事を書いているのは、台湾。1週間前はタイのバンコクにいた。これが初めてのひとり海外である。今は二カ国目。グローバル化が止まらない。うしし。なぜ、ここまで大胆に行動できたのだろうか?ちょっと振り返ってみたい。

 


1.背水の陣

 

今のところ、実家に帰る予定はない。いや、実家には帰れない。鍵を渡したからだ。「新年度からは、自活してこい!」ということで、体たらくな日々を過ごしてしまった長男(僕)は、しっかり旅に出されたのであった。いってきます!という感じで家を出発した。

なう、ホームはない。ホームロスト。帰る場所はない。ワードだけだとカッコイイ。前にすすむ。それだけだ。

 


2.躁パワー

 


最初の出発先は、沖縄だった。正直な話、僕は沖縄で(メンタル的に)死にかけた。死にかけたのと、復帰の様子はnoteに書いたのでご覧ください!

 

 

noteのリンク↓

https://note.mu/hasheem32/m/mfa599407b403

 

 

そして、まさかのV字復帰(躁パワー)を利用して、「ここまできたら、怖くてできなかったことをやろう!(最悪死んでも予定ないし!)」と勝手に盛り上がり、みごとに、タイはバンコクスワンナプーム空港行きのチケットを購入したのであった。

 


3.ジャンプボーイ


沖縄最終日、僕はせっかくならお酒飲みに行こう(誰かと話せたらいいな!)と思い立ち、那覇の屋台村へ向かった。そこでとある青年に出会った。聞くと、青年は海外経験者、しかもちっちゃい頃から色んなところを行き来しているらしい。なんと!そんな彼と飲んでいたら、「楽しんでください」というワードとともに奢っていただき、別れ際ドン・キホーテで「コップがいるんじゃないですか!」と言って買ってくれた。しかも「生きろ!」というサイン付きである。そう簡単には死ねない(タイで適当に過ごすことはできない!)ということで、これは1人だけの旅路じゃないぞ、となってきた。

 

 

何もないまま、マエマエマエ

 


あとは身を任せて、あれよあれよとなんとかしていった。この3点がどれか一つでも欠けていたら、ひとり初海外は無理だったろう。たかがひとり海外旅行。海外慣れしている人からしたら、「あっそ」と言われてしまうだろう。どうとでも言いなさい!

 

 


海外ひとり未経験勢の期待の星になったことは間違いない。僕は決してバカにしない。というか、今でもあの「死ぬんじゃねえか?」という感覚は鮮明に覚えている。

 


死線(と勝手に呼ばさせていただきます)を超えたいま、「なあんだ、まだ見ぬ世界、いっぱいあるじゃないか!!!」となっている。一方で、腰をすえて、やりたいことへの気持ちもフツフツと湧き始めている。もちろん明日の予定は何もない。というか、明日寝る場所はない。何もない。何もないけれど、何もないと、今更ああだこうだ言ってる場合じゃない。ただ前に進むだけなのである。というか戻るどころがないから、前にすすむしかない!!!

 

いま、この瞬間、とてもじゃないけど真っ当な生き方なんて出来てないけど、不思議な時を過ごしていると、そう強く思うのであった。

 


つづく!!!

言いたいだけの革職人

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桜の季節

もうそろそろ春だ。ふらっと立ち寄った本屋さんにはもう春の服、春の食べ物、春の花、その他いっぱいの春が現れ始めていた。寒かったり、雨だったり、まだまだ目に見えていない春が多い。少なくともまだ僕は感じれていない。けれど、気づいたら知らないうちに桜が咲き誇っている、そんな季節が今年もやってきているのだろう。

 

去年、武道館の近くで桜を感じた。あまりの人の多さにやられて、卒業式が終わってからの謝恩会やらは疲れ果てていた。懐かしい。あれから約1年が過ぎた。他の人にとって、この1年は早かったのだろうか、それとも長かったのだろうか。僕は早いとも思ったし、長いとも思った。あまりにもこの1年が訳の分からない時間だっただけに、本当に1年経ったのか疑わしいくらいだ。なにかこう、今までの1年の感じ方とは違う。しっくり来ない。何が起きたのだろうか。

 

 

我は何処へ

学生だった時とは違う。ただ1学年上がるあの感覚とは違う。だいぶ遠くまで来たなとも思えるし、そりゃ1年しか経ってないしさほど変わらないよな、とも思う。メンタリティの話である。学生だったあの頃、僕は守られていた。「学生」というそれはそれで、それなりの分かりやすい身分が付いていた。それによって、学割だとか、学生特典だとかはもちろん、他人も僕のことを「学生さん」として見る。分かりやすい。多分、今仕事をして働いている同世代の人たちも同じく「会社員さん」「サラリーマンさん」として見られるのだろう。ともかく、分かりやすかったのだ。

 

しかし、now、僕はよく分からない感じの人になっている気がする。学生の時、就活を放棄したので無職には間違いない。でもちょっとだけ仕事をしたりする。3ヶ月に一回ぐらいのペースで全国に飛び立つ。そう考えると旅人かもしれない。でも東京にいることも多い。ニートなのかもしれない。山に篭ったりもした。でもまだ見ぬ境地を目指して行った断食は3日でギブアップしたので、仙人でもない。歌うのは大好きだけれど、ミュージシャンを目指してはいない。フリーターというのも夢を追っている人になら合うけれど、僕には何か違う気がする。

 

大体、人に説明するときに困る。この間始めてフリーターという言葉を使って見たけれど、「なにかしっくり来ないなぁ、、、」と思った。どうなのだろうか。こういう現象に思い当たりがある人はどれくらいいるのだろうか。たまにSNSサーフィンをかましていると、いろんな肩書を付けている人たちを見つけてしまう。一方、どれを名乗っても当てはまりそうもない。無職/旅人/ニート/仙人/歌好き、みたいな感じでツイッターのプロフィールの文章を書こうもんなら、自分でも「こいつマジキモい!!」と思ってしまう。とにかく、分かりにくいのだ。一体我は何処へいってしまっているのだろう、、、(別に悪いと思ってないけどね!!!笑)

 

言いたいだけの革職人

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そんな意味不明な日々を送り、人を混乱させる記憶を積み重ねている僕は、より実態を掴ませない所業を始めてしまった。それは革細工、レザークラフトである。ことの発端は友達の財布探しの付き添いだった。いい感じのデパートに入って、いろんなブランド物を見た。見るたんびに「なんでこんなちっこいのがこんなに高いの!」とか「俺にはこんなの買えません!!」とか思っていた。社会人になって段々ブランド物が買えるようになっていく友達とは裏腹に、財政的な問題で土俵に上がれない僕は、「何がブランドだ!」と、何一つ悪気がないブランドに対して悪態をついていた。

 

お金はないが持て余した時間だけはある男は迷案を思いついた。いっそのこと自分で作ってしまえばいいと。安上がりだし、何より、勝手にマイブランドが出来上がる。これで質はどうあれブランド物を所有することに成功する(ここまでブランドブランドと連呼したけど、実はそこまで興味がなかったのは🤫)。

 

という事で、勝手に革を使って物を作り始めた。もはや言いたいだけなんだけれど、革職人になった。そしてそれなりに想いは懸けている。だから半分冗談だけど、半分本気だ。職人とは正式に名乗れないけど、それぐらいの気持ちと懸ける思いは嘘じゃない。

 

この話を周りの人に話したら、秒速で依頼が来た。ほぼ仕事のなかった男にとって「うひょ!」って感じである。とうとう来ちゃった!となる。ただ、先に宣言する。結果を残すつもりはない。商売も別にするつもりはない。

誰かのために気持ちを込めてつくる。つくることに没頭する。そういうことができたらいいなと思う。目指すは「革職人名乗ってもいいんじゃない?」と言われる三歩手前ぐらいを行きたいと思う。好きな人に渡すアイテムに、お土産、お花、体験談に続いて、革小物を付け足すことができるようになりたいのだ、、、!

 

 

つづく!