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こんな世界もあったんだね。

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 ここ最近、「寝ると決めた30分前、スマホの電源を切る」ということを実践している。自分でも驚くほど、これの効果を感じている。スマホを触らないことにより、暇が生まれる。そこの時間で本を読むこと、ストレッチをすること、コーヒーを挽くところからいれる、等々をしている。ブルーライトに集中することと、リアルな世界の物質に集中している時とでは眠くなるスピードも、充実度も違う(気がする)。結果、よく寝付け、朝は良い目覚めが待っている。で、早起きしたので、結果また暇な時間ができる。この時間の使い方が下手で困っているという現状である。

 

 



この序文をラーメンの待ち時間で書いていたのだけれど、ラーメンを食べて、お腹いっぱいで満足したら、何を書きたかったのか全く思い出せない。だめだ。もういいや。なんかそれっぽいことを書こうとしていたのだけれど、それを忘れたということは、「それっぽいこと今ブログに書かない方がいいよ!」ということなんだろう。忘れたことがあっても、またいつか同じような事を思うだろう。その時にまたそれっぽい事を書いたらいいのだと思う。

 


番外編:書きたい事を忘れたので、この間行った群馬の写真を載せます。

 


3ヶ月の間に自然が生き生きと。

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トンボ君もやってきた。f:id:hasheem32:20180824141437j:image

 

どか盛りパスタを平らげ、f:id:hasheem32:20180824141507j:image

 

車の窓からは虹。

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番外編2:ゴルフ場跡地の再利用はひまわり畑だったの巻。

 

こういう土地の使い方は最高だと思う。

 

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こんな世界もあったんだね。


髪が長くなって、女の子でいうお団子、男の言う「マンバン」なることができるようになった。この状態になってから気づいたことがいくつかある。

まず1つは、相当首が凝ること。毎日寝違えたかな?と思うぐらい首から肩にかけてゴリゴリしている。女性でいうボブぐらいの長さで、これだけ音をあげているので、女性のロングなんて頭がおかしくなるのではないかと思う。巷では「女性に優しい世界を」なんてセクハラ問題をあげてああだこうだ言ってるけど、まずは(セクハラにならないように)同意の上で、男が肩を揉んだり叩いたりしながら、「お疲れ様」なんて声をかけることから始めた方がいいのかもしれないと思ったり思わなかったりする。

 


2つ目は、「長い髪の男は一定数いる」である。初めて髪を結んで外に出た日は、人から変な目で見られてる気がしてならなかった。が、一旦冷静になって辺りを見回して見ると、ロング男子は一定数いることに気づく。ここまで髪が短くないときは全く気づかなかったのに。自分は異端だと思っていたけれど、異端が世界にたくさんいる。そうすると「男子はショートが当たり前」みたいな常識は崩れ落ちてくる。いや、もとからこれは常識だったのだろうか。自分が知っている世界のことしか話せていない偏見じゃないのだろうか。髪を長くしたことでなんと常識まで疑えるようになった(いいことなのかはさておく)。

 


ここまで書いておいて、どうまとめればいいのか分からなくなった。髪を長くしなかったら、こんな事は気づかなかっただろう。女性の肩は男の想像を絶する凝りがあるかもしれない事。意外と髪長い系男子は街にいて、その中でもオシャレな人とダサい人がいて、ただそれだけのことだという事。その他もっと自分が知らない世界がいっぱいあるかもしれないという確信。んー。やっぱりまとまらない。全部ラーメンのせいである。でも美味しかったから許す。うまく自らの体験談と交えて、「世界はこうなのかもしれない!」みたいなしゃしゃった事を言おうとした罰にやられた。そんな8月下旬の昼下がりである。

あなたから私への暑中見舞い

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サマー2018。平成最後の夏。22歳の日焼けに、38℃の日本。ずっと東京にいると(暑すぎる&退屈で)腐る気がしたので、定期的に違うところで一晩を越す。今月の第一回外泊は、大宮は@お風呂カフェになった。ここには結局4ヶ月連続で来ている。ここのいいところは、懐かしの児童館を彷彿とさせるマンガの充実。温泉なのに若い人が多いこと。ご飯が食べれちゃうところなどである。残念なところは、夜中に爆音な低音のBGMを流し、見事に眠いのに寝れない現象を引き起こすことぐらいだ。

 

詰んだら体を動かしな。

頭で色々こねくり回すよりもまずは体を動かすこと。これに尽きると毎回体を動かしてから思う。今年の夏は猛暑を通り越して酷暑、命に関わる暑さ、とまで言われているのは、もう僕が説明するまでもない。暑すぎる。皆さんは溶けていないだろうか。今年は心から暑中見舞いをしたいと思う。手書きで手紙を出したらいい感じじゃないかなとか色々考えていた。が、それは室内の話である。事実、この暑さにビビってろくに外出していなかった。

 

やるかやらないか、それだけさ

7月の終わり、あるルールを自分に課した。「8月中にやりたい事を見つけられなかったら、後回しにしていた事をやらなければいけない」というもの。いくつか、諸事情で、とか言って後回しにしていたことがいくつもある事には薄々気づいていた。でもそれを、お金がないとか、周りにやったことがある人がいない、とか、暑い、とか、色々ケチを付けてはやってこなかったことがある。典型的な例として、自転車にリヤカーを引っ張るなり、三輪車を改造するなりして、「自転車feat屋台」をやってみたかった。でもやっていなかった。周りにやっている人はいない。お金もない。

 

このルールの厳しいところは、お金が無くても、勇気がなくても、「やらなくてはいけない」という強制力が生じているところである。言い訳はできない。やらなければならない。義務に近いのである。この「障壁が目の前に立ち塞がっている感」は、自転車旅を始める前に似た感覚だ。ということは、やればできる。特に自転車の旅で得たことはないが、やればやったことになることはわかった。やるかやらないか。それだけだ。成功するとか失敗するとか、そんなことは関係ない。やるか。やらないか。やるか。(自分という弱さに)やられるか。戦いはすぐそこまで来ている。

 

とか書いておきながら、8月中にやりたい事を見つけてしまえばやらなくていい。このザル加減はなんなのだろうか。自ら課したルールの抜け道を自ら発明する、という訳の分からないボケをかます。これがまたいい。こんな感じで日々、ヒントを探し求めている。

 

 

話が右往左往してしまった。体を動かすのが大事だ、という話がしたかったんだ。話を戻そう。灼熱ともいえる日本列島。面白いことに外に出てみると、即死はしない。ということはである。幾ばくかの時間なら外にいることができる。これは大発見である。命に関わるなんて大げさなことをいうから、元から言葉を素直に受け止めがちな真嗣君は閉じこもってしまったのである。外に出ても、すぐには死なない。更に気づいたこととしては、風は吹いている。自転車に乗るとわかる。たしかに直射日光は死ぬ(帽子を被れば致死率はダウン!)。が、風を切るとか、暑さも忘れてペダルを漕ぐとか、そういう事をしていると生き返る。いや、正確にいうならば、お風呂に入るまでは死ねない!となる。から、(僕は)行ける。

 

そして閉じこもっていた時よりも、少し頭の中でアイデアが膨らんでくる。なぜか今、後回しにしようとしていた「自転車feat屋台」案を、なんとか実現できないものか、と考え始めている。どうしたら屋台を作れるのだろうか。DIYの本を読んでも書いていない。スノコで作れないだろうか。まて、まず資金面はどうするのか。山積みの問題。どう乗り越えていくのか。自分に対する期待値は爆上がりだ。

 

 

暑中見舞い〜人の言葉に思いを添えて〜

今日この記事を書き始める前、色々順序立てて書こうと思っていた。が、書いていたら忘れた。人間そんなものである。もとから書きたいことなんてなかったのかもしれない。分からない。でも、書いちゃう。お風呂カフェで、井上雄彦先生の『リアル』を読んでいる。心に刺さる言葉が多い。もとより書きたいことなんてなかった、なんて思い始めているので、最後にマンガから勝手に言葉を流用させていただき、自分を含む、全皆さんへの暑中見舞いとして締めにしたいと思う。良い夏を!!!

 

 

正解がある訳じゃない。

 

何か似せる必要もない。

 

形を整えることが先にあるんじゃなくて、、、

 

思いをまず聞いてあげること、、、自分の

 

本当にちゃんと聞こえるまで耳をすますこと

 

そのうち何かを気持ちいいと感じる自分に気がついたら

その思いに従えばいいんだ

 

君自身の声を、、、聞こえないふりをしていると、、、

 

そのうち本当に聞こえなくなってしまう

 

君の思いをそのまま表したらいい

 

〜『リアル』第6巻より引用〜

 

つづく!!!

弱さと料理とこれからと。

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多動っぽい日々とは縁遠くなってしまって久しい。世間的に見たらニートと言われてもおかしくない生活を送っている。誰からでも罵倒されたり、バカにされたりしてもいいんだけれど、単純に自分自身に飽きてきている。今、ニートの役で舞台に出てくれと言われたら、程よい演技ができる自信があるくらいに気持ちがよくわかる。多分、ニートは自分の人生に飽きているのだと思う。引きこもっている人は本当は何かジレンマ抱えているだけで、外に出たい気持ちもあるのだと思う。

 


あと、専業主婦のみなさんの気持ちも少しわかる。ごはんを作るスキルだけはレベルアップしている。適当に家庭料理を作ってくれと言われたら、作りに行けちゃう。その一方で、いつも同じ時間に同じことをして終わることのない作業(という名の家事)を数年も続けていたら、これは自分が腐ってもおかしくない。半端なく飽きる。最初は家を綺麗に保つ、家を管理することが楽しかったけれど、慣れてくると家事をしなければいけないという義務感にやられてくる。今までこれを一手に引き受けてきた、我が母親に対してリスペクトの思いしかない。そしてリスペクトが足りない男性陣(父親と弟)に対してなぜか僕がプンスカしている。

 

 

弱さと料理とこれからと。


普通、男ならば、どれだけ昇進するか、どれだけ稼ぐか、どんなもの(お金がかかる家や車など)を買うか、どれだけ知識を得るか、人生において成功できるか、を意識するだろう。そんなイメージを勝手に持っている。下は見ない、前へ他人より前へ、他人より上へ。

 


僕はたまに、「どれだけ社会的に落ちることが出来るか」の方が大事そうと思うことがある。学生だった頃からこんな事を思っていたのは、性根がひん曲がっているのだと思う。でも社会的に落ちれば落ちるほど、外側にあるものを剥がせば剥がすほど、自分の中心に近づいている感覚は強くなっている。剥がした先に残るのは、体そのものの神秘だったり、愛することの尊さだったり、そういうことなのかもしれないと感じる。それならば、もっと離したい。中心に近づきたい。そんな社会的地位のレベルダウンを潜在的に思っているから、サムライヘアーとか、新卒無職とか、山籠りとか、そんな事をしているのかもしれない。

 


ニートだって、専業主婦だって、なぜかスポットライトは真っ当な仕事や生き方や正しいとされる人間に奪われてしまう。でも一番ハードな時間を過ごしているのは彼らで、一番リスペクトを贈られるべきは彼らだと思えてきてしまう。新卒で無職という選択をしてよかったことの1つとして、「弱い」とされる人、「弱い」とされる考え、「弱い」とされる状態、そう言ったものに対して、優しくなれたことだと思う。

 


ぐだぐだと書いてしまった。スタンダードとして、この気持ちを忘れたくない。だから書き留めておいた。あくまで自分は弱者であること。ザコであること。言い訳としてじゃなく、伸び代が山ほどあるということ。そんな事を思い、今日も家族の夜ごはんを作る。今日はチャーハンだ。王道飯ほど難しい。テレビでもいつもプロの料理家が、ご家庭チャーハンにダメ出ししている。それほど難しい。人生も同じ。王道ほど険しい。けれどみんな目指したがる。僕にはそれができなかった。ならば、オリジナル、創作料理を閃けばいいのだ。自分の満足度だけが基準のオリジナル飯(人生)を開発するのが突破口だ。レシピは自分の中に。全ては想像力に任せて。自分の中心へ。

 


とか言っていたら、面白い作戦を閃いた。どんな世界をこのノーワーキングマンは切り開いていくのだろうか、、、!

 


つづく!!!

SASURAIなSAMURAI

 

 連日東京は猛暑が続く。どうやら天気予報によると1週間はこの晴れが続くらしい。このままだと干からびてしまう。そう思うことも多い。が、それは冷房をガンガン浴びている瞬間と、夜寝る時(僕が寝ている屋根裏の物置は半端なく暑い)ぐらいで、意外と外にいる時の方が心持ちは楽だ。暑さに慣れる。それこそがこの夏を乗り切るためのソリューションなのではないかと勝手に思っている。案外まだ風は吹いており、日陰も涼しめである。一番怯えている時は、外へ踏み出す一歩をしてない時、またはする直前の時。暑さの中に飛び込んでしまえば自ずと不安は消える。

 


 とか言っておきながら一番暑い時間帯には外にいないスタイルを貫いている。これはスペインのカミーノ巡礼の小説を読んだ時に得た知恵?なのだけれど、スペインは暑すぎて、14~19時ぐらいまではのんびりしているらしい。シエスタなんて文化もある。暑い時は適当に過ごしてビールでもやってるなんて最高だ。大事なのは「暑さをどうにかすること」よりも「暑さに逆らわずどうウェーブに乗るか」みたいな感覚であると思う。変な話、生きていくことにも通ずるところがあると思う。目の前の諸問題をどうにかすることも確かに大切かもしれないけれど、それ以上にどうやったら現状のまま波に乗れるか、我が哲学友達に言わせるなら「どう踊るか」ということになる。

 

 次の波はどんな波か。大きい波か、それとも小さい波か。波がなくただ漂うだけか。それもまたいい。流れに身を任せつつ、見たい夢を見て行くこと。しばらくはそれがキーになるのかもしれないと思う。

 

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主夫力向上中!

 日々、主夫力が向上している気がする。僕は実家に居候という形で家にいさせてもらっている。なので家事全般を担って、少ないながらにも何か貢献したいという思いを持ってやっている。お花の手入れ、部屋の掃除、料理、洗濯。基本的なサムシングはできるようになってきた。こうなると頭の中は「主夫になれないかな?」という思考に寄っていく。

 

 これからの時代?働く女性が増える。もしかしたら家事全般を女性が担うなんて世界は時代遅れになるのかもしれない。もしかしたら男がヒモになるパターンが一般化する可能性だってある。パートナーの金でパチンコに行くのではない。ただ、今まで専業主婦と言われた方たちと並行して専業主夫と呼ばれる人も増えるのではないか。僕には今のところそういう相手もいない。だからそういうことは実践できていない。だけど、男とか女とかそういう区切りが「作業をする」という点ではなくなっているようなそんなことを、皿洗いしながら思った。

 


SASURAIなSAMURAI

 勝手に奥田民生の『さすらい』をテーマソングに引っさげて、3ヶ月ぐらいさすらいの身として行きてきた。言葉の通り、あちこち地味ーに多動してみたり、正面から風を浴びてみたりしている。さすらっている。歌詞の中にある「さすらいもしないで、このまま死なねえぞ」という部分が好きだ。まだまださすらいビギナーな僕は、しばらくは死ねない。

 

 


奥田民生 - さすらい

 

 一方でずっと髪を伸ばしている。とある日、温泉に置いてあったマンガ『バガボンド』を読み、惚れた。以降サムライに憧れ、髪を伸ばしている。現在後ろで結べるくらいまでには伸びてきておりあと1ヶ月もあればロングヘアの完成である。ここに日焼け+ヒゲが揃えばもう宮本武蔵の完成となる。友達からも「すでに結構きてる」というお言葉をいただいた。武蔵はスッとした一重だ。そしてカッコいい。初めて自分が一重なことを、よかったと思った。

 

 

 さて、僕はSA”S”URAIのSA”M”URAIである。SとMを持ち合わせたバランスのとれた状態である。たしかに、自分を訳わからない状態に晒したいSな自分と、訳わからない状態に置かれてそれをどうやり抜いていこうか苦しみながら楽しんでいるMな自分がいる。サスライとサムライを結果としてかけている人間になった。

 

 この状態が案外嫌いじゃない。確かに社会的にみて地位もクソもない。金もない。パートナーもいない。この身になって初めて心から思うけれど、そんなものは「どうでもいい」の一言にふすことができる、と言ってもいいのかもしれない。全て外側についているものを取り外した結果、僕に残ったのは、体と心と愛と歌だ。これだけは誰も奪うことはできない。これさえあれば十分である。皆さんは何が残るのだろうか。そんなことを話してみたい。あなたの奥底に眠っている宝物は何なのか、それを知りたい。

 

 と、ここまで書いて、現在まさかの身分を与えられるかもしれない、という大出世のお話がきている。この数ヶ月の流浪生活に終止符を打つ時が来るのでしょうか!乞うご期待!では!

 


つづく、、、!

シーズン・イン・ザ・シズオカ

 


ある日、友人から1つのラインが来る。「12.13空いてる?」。絶賛、”お金は無に等しいけれど体力と時間は有り余ってる”男を続けている僕は、もちろんのごとくYes!と返し、弾丸の静岡行きが決まる。

 


訳の分からない生活を続けているが、ぜんぜんマイナス?な要素ばかりではないことに気づき始める時期になってきた。働いている皆さんは、お金はあるけれど時間はない。一方さすらっている僕には、お金は無に等しいけれど時間は有り余っている。なので、お金さえなんとかなれば秒速で移動する(そして、大体は未来の自分にツケれば何となるので、秒速で移動できる)

 


あと、意外とさすらっている人はたくさんいるということにも気づく。大学を卒業した時、寂しいのは自分一人だけだ、なんて思っていたけれど、出会う人やその他色々なことから、「もしかしたら俺みたいな人は相当数いるのかもしれない」という視点を得る。そうなると、誰かと比べるとか、誰かよりもいい方向にとか、そんなことより、自分の人生を全うすることしかないなんて思うようになる。ちょっとだけ優しくなれたんじゃないか。(なれていないかもしれない!)

 


静岡での内容は細かく書がなくてもいいだろう。うまうまハンバーグでおなじみ「さわやか」に行ったり、カラオケに行ったり(個人的にはここが一番最高だった)、とまったり、あっちこっち行ったり、である。

 


 友達の家に泊めてもらい、翌日三保の松原へ行く。この場所は富士山が綺麗に見える絶景ポイントとして有名で、観光地として有名、らしい。が、あいにくこの日は曇りで、あと富士山の頂上は雪が溶けていて、それほど綺麗には見えなかった。それよりも海である。太平洋である。どこまでも続く水面。寄せては返す波。富士山なんて忘れてしまいそうになる。海の近くは涼しい。夏とはいえ風も気持ちいい。ずっとこの場所にいたくなる。ギターでも持ってきて、適当に弾きながら、歌いながら、できたら最高だななんて思った。もし諸事情で色々なものをロスするようなことがあれば、ここまで頑張って来て、ずっと歌っていたい。

 

 


 20代前半の男3人は石を拾っては、波の立っている海面に向かって、投げる。トン、トン、トン、ポチャ。水切り。青春だ。

 


何でもない、でも、全てがあった。そんな1日がまた自分の中に増える。自分の心が、体が、喜ぶ日がまた過ごせた。僕にとって必要なのは、こんな何でもない日々なんだろう。

 


流浪の日々は続く。

次はチームプレーワーキング(仮称)だっ!

 

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とうとう東京は梅雨が明けた。紫陽花ではなく、ひまわりが映える季節がやってきた(ひまわりの写真がなかった!)。街中も少しずつ華やかになり、女性のファッションもとてもステキ!って感じになってきている。よく分からないけど、夏は恋の季節だね!的な気持ちになる。

僕の世界の見え方も、気温の上昇、お日さまの照り具合とともに変わってきていることをとても強く感じるけれど、もしかしたらみなさんも夏に入って、どこか変わってきている部分ってあるのではないのかな?なんて思っている。

 

 

hasheem32.hatenablog.com

 

 


僕の話をすると、6月は基本的にセルフ引きこもり(セルフ幽閉とも言う)を決め込んで、世界を120°ぐらい斜めに見ていた。日々、悪態をつきまくり、自分でもダークネスな部分出ちゃってんなーと思っていた。が、お日さまが顔を出し、気温が急上昇した結果、「全部梅雨のせいだ!」となった。なんかジメッとした気持ちに任せて出る悪態よりも、とにかく「あぢぃー!」となるので気分を暗くしている暇はなくなったのである。面白いことにセルフ幽閉にも飽きがきて、今はとても何かをしたい欲にまみれている。梅雨特有ののジメッ、暗っ、雨っ、の新三大をかっ飛ばし、ここからはT.M.Revolutionのごとく自分に風を吹かせたい(心の中で『HIGH PRESSURE』が流れている)。

 

 

 

『しいたけ占い』

僕は基本的に、叶えたい夢、達成したい目標、なりたい人物像、的なものが何もないという人間だ。前まではこれにとても苦しんでいた。なにか目標を持たなければいけないものだと思っていた。けれど、意外とそんなこともない気がして来ており、ゆる〜くても行ける気がしたので最近は「占いに身を任すのもアリだぜ!」みたいになっている。

 

巷で有名なしいたけさんの占いは、自分の未来がどうなるとか、そういう答え的なことよりも、「しいたけさんのいうことわっかるぅ〜!」となるところが好きだ。今まで血液型診断が主流だったけれど、もしかしたらこれから星座占いの時代が来るかもしれない。「〇〇さんは△型だから〜」から「〇〇さん△座だから〜」にシフトする時が来るかもしれない。

 

【しいたけさんの占い】2018年下半期しいたけ占い | VOGUE GIRL

 

 

 

動物占い

話のネタとして動物占いは最強?だと思う。今までやってきた人たちから、わかる〜!の連続を頂いてきた。もはや気になるあの子の性格を知るのにも、合コンの話題づくりにも、新入社員の性格を把握するにも、なんでも通用するんじゃないかと思う。星座占いもそうだけれど血液型はAとかBとかただの記号でしかないが、動物占いだと、〇〇な虎、とか、〇〇溢れるペガサス、とかもう訳のわからない括り方になるのでギャグっぽくて好きだ。ちなみに僕は1996年2月2日生まれたいことで「愛情あふれる虎」になるらしい。みなさんもぜひ診断?してみてください!

 

【橋本真嗣の扱い方はこちら!】あなたのキャラは?

 

動物占い個性診断・運気・etc

 

なんでもない休日

 


なんともう、今年もあと半年、いや、あと半年もあると考えるべきかもしれないが、ここまで来ている。はやーい!だけで終わらせるのは勿体無いので、ここ最近、上半期をまとめて、下半期もいくぞー!みたいな事をずっと考えてた。ら、期せずして、友人数人とご飯を食べながら、新生活を振り返りながら、現状報告的なことをした。なんだろうか、みんながどれくらい働いてるかとか、お金がどうとか、そんなことよりも、みんなと話せてとても楽しかったというのが端的な感想だった。

 

 

 

hasheem32.hatenablog.com

 

 

 


お好み焼きの食べ放題で、適当に頼み、適当に料理を作り、みんなでそれを見てバカ騒ぎするもいう、この感じがとてもいいなと思った。真面目に時間を過ごすのもいいけれど、ひたすらJOY方向にぶん投げるのも素晴らしい。さらにここからの流れがいい感じだった。静岡で仕事をしている友達が東京に来る、という事で、本来は彼女さんと会うだけだったところ、このお好み焼きを食べたメンバーで先に迎えにいく、というフットワークの軽さを見せた。品川のスターバックスでしっかり騒ぎ(!)いい時間を過ごす。ふっつーの日だ。記念日でもなんでもない日だ(と思ったら実は2日前ぐらいに誕生日を迎えた友達がいた)。なんでもないありふれた日常だけど、とてもいい。言葉にするのは難しいけれど、とてもいい。なんてありがたいのだろうか。いい日だ。ひたすらいろんな人に感謝感激雨あられである。Gracias amigo!(なぜかスペイン語)

 

 

 

上半期を振り返る。

 

 

 

新生活から大体3ヶ月が過ぎた。なんというか、色々なものに感謝せざるを得ない日々を過ごして来たと言ったらしっくり来るのだろうか。会ってくれる友人、知人、の方々のおかげで、楽しい時間を送ることができた。家に泊めてくれた方々もいたし、ご飯をご馳走してくれた方々もいたし、お金を援助してくれる人もいた。どの方角にも足を向けて寝ることができない。そして何よりもこんな訳のわからない存在の僕を受け入れてくれている家族である。なんか、新卒で就職という選択肢を手放して、それはそれで正解だったな、とここ最近とても強く思う。それは自分の周りの人、環境、さらには全宇宙(?????)に支えられて、僕は今「生かされている」と感じられているからである。もし普通に働いていたら「俺は1人で生きれる!」みたいになって色々ヤバくなってたと思う。強さを誇るより、弱さを自分が受け止める。そういうターンが今来ている。このタイミングで非常に良かったと思う。

群馬の山小屋、西日本ツアー、クッキングスキルの習得、コーヒーを入れれるようになる、などなど、確かにやったことはこの数ヶ月でいくつかあったけれど、それよりもみなさんのおかげで今こうして生きていられることへの感謝というほうが、新生活で得られたのではないだろうか。

 


上半期のまとめとして、一言。

 


みなさん本当にありがとうございました!!!!この先どうなるか全くわからないけれど、これからもよろしくお願いします!!!!

 

 

 

 

下半期のテーマは「チームプレーワーキング」だ。

 

大卒の人の英語力とは思えない、適当な言葉だけれど、この通りだと思う。皆さまの愛情を真正面から受け取る結果になった前半の流れはそのまま生かし、さらにここからの基本方針を定めたいと思った時、「ワーク」と「チームプレー」という言葉が浮かんだ。

 

ワークというのは、お金を稼ぐ稼がないに関わらず、何か打ち込めることをやる(それが社会的に役に立てればよりいい)こととする。3ヶ月一切バイトもしなかったけれど、働かないことにこだわる必要はなくなり、動きたい欲も出てきている。どうやら世間には農業の労働力をあげるかわりにご飯と寝床を与えてくれるシステムがあるらしい。バイトや派遣?なりで稼ぐのもいいけど、そういうのもアリだと思った。

 

チームプレーというのは、誰かと一緒に行動する、又は、一緒には行動できないけど、お互いに足りないところを補うようにして生きる、こととする。今、とてもアメリカでバスケとブロードウェイミュージカルを見たい。前にこの話をした時「私も行きたい!」という言葉をもらったので、それを間に受けて、その人とアメリカに行く、みたいな感じが出来たら楽しそうだな!と思った。で、更にここから派生させる。僕の周りには週5日で働いている友人も多いので、アメリカには一緒に行けないかもしれない。でも行ってみたい場所や、見てみたい風景などは、もし依頼してくれれば、リアルタイムで写真を送ったり、ボイスメモなり、ビデオ電話なりでお伝えすることもできる。海外の雰囲気お届けサービスみたいなことができる。そういった軽い企画みたいなのをやりつつ、下半期を生き抜けば、面白い感じになるのではないかと思った。

 

ということで、この2つを組み合わせた「チームプレーワーキング」というテーマ(名前がダサいのでもっといい言葉を考える!)をもって下半期も進んでいきたい。これからどうなってしまうのだろうか。明日にはもれなく夏の暑さのせいで溶けちゃってるかもしれないし、120歳ぐらいまで生きてしまうかもしれない。愛、熱量、JOY、長い髪の毛、56kgになってしまった体。全部ひっくるめて今日を生きるのだった。

 

つづく!!!

 

 

弱いままで、いくさ。

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引きこもりすぎて、もうこんな人生うんざりだ!となった僕は何も用事がないことをいいことに、豊洲ららぽーとへお出かけをした。なぜ豊洲ららぽーとなのか?理由はない。強いて言うなら「フカフカしたベンチに座れる」からになるのだろうか。東京の家にもフカフカしたソファはある。だけれど、この停滞感をぶっ飛ばすにはまずはどこかにお出かけすることが最善だと思っている。

 




実際に豊洲ららぽーとでは、それまで「やる?やらない?んーどうしよう?」みたいな感じで滞っていたことを一つ前に進めることができた。成功である。あと、休日ということもあってガキンチョがたくさんいたのも良かった。大人と酒を交わしてなんかそれっぽいことを喋っているよりも、ガキンチョパワーを直に感じている方がよっぽど、僕の奥底に眠っているエネルギーを引き出してくれる。ガキンチョは太陽だった。

 

 

笑顔に負けたぜ。


さて、やりたいこともベンチに座って5分で終わったので、すぐにららぽーとを出た。そこから「自宅を目指して三千里(ほんとは30000歩)」を自主開催することになり、なう、後楽園のスターバックスコーヒーというお店でこのブログを書いている。

 


4時間ぐらいぶっ続けで歩き続けた僕は、もれなく右足の股関節がおかしくなり、歩くこともままならなくなったので、休むことにした。コーヒーだけ買うつもりだったが、笑顔のとても可愛らしい店員さんに「このケーキめっちゃオススメです!」とオススメされた。店員さんの可愛らしい接客にKOされた。疲れていた僕は「俺が出費することで貴方が笑顔になるならいくらでも出します!」的なマゾヒスティック根性が発動し、いつもなら買いもしないケーキを買ったのだった。が!これが素晴らしく美味しく、しかも、食べてから初めて、あっ、お昼ご飯食べてない!(現在18時!)と思い出し、これは神のお導きだったんだな!みたいな訳の分からない着地を決めることができた。

 

弱いままで、いくさ。


豊洲から後楽園まで歩きながら「強さとは何か、弱さとは何か」みたいなことを考えながら歩いていた。強さとは何なのだろうか。社会的に地位が高いことだろうか。お金があることだろうか。パートナーがいることだろうか、パンチングマシーンで高得点をはじき出せることだろうか。本当の強さとは優しいことだろうか。待った、だんだん週刊少年ジャンプ的な問いになってきた。その定義は、意味は、漫画にお任せする。

 


以前、僕は、自分がどれだけ強いかを争い、それを見せつけている時期というのがあった。相手よりどれだけ優れているかを競っている際、気にしているのは「どうやって自分を強く見せるか」についてだった。ここが強みだ。だからこれを出そう。俺はこんなことができる、だから強い。こんな感じでずっと戦い続けた。年上、年下関係なくやって見た。なるべく強いやつとつるみ自分を大きく見せることもあった。結果、自分のそれっぽい強さを誇張し、それでも自分には価値がある!と吠え、弱いところを見せずに強いところだけを見せてきた。

 


僕には幸いなことに?逃げる、という手を使える人間だった。カッコ良く言えば、戦いから自ら勇退をし、言っちゃえば逃走した。争いから逃げ続けた。それは他人との争いはもちろん、自分の中にいる、「よく見せようとしているマサツグ」との戦いからも逃げた。結果はこんな調子である。

 


たまに、「新卒で働かない方行くとか勇気あるね!」とか「なんかその生き方見てたら元気出た!」とか言われることがある。乱暴にまとめると、僕にはこれしかなかった、のである。働いたところで数ヶ月して「なんだこの仕事は!(仕事はできない)」と自らに悪態をつきながら、それでも、我慢して何となくボーナスとかもらって、それっぽく生きていたのだと思う。結婚も普通にして子供も、、、みたいなことを分かりやすい感じで送っていたのかもしれない。僕はそれっぽく生きることも出来るんじゃないかと思う。どこかで何かつっかえたものを抱えながら。なんか予想がつく。が、もう1人のマサツグは「嫌ならやめろ!死にに行け!採算なんて考えたら終わりだ!」と言った。ありきたりな言葉になるけれど、レールから脱線した。だからこんな調子だ。根本は逃げの発想だ。少なくとも強い方の分類には入れないと思う。

 


この間初めてニートと言われた。言われたことのショックよりも、言った人はどこか欠けてるな~と思った。ちなみにその人には職も彼女もお金もある。でもそんな言葉を使って僕を下げ、自分をあげているようにしか見えなかった。これが一般的にいう「強い」なのだろうか。軽く悪態ををつくと、ニートの定義には「家事をしない」ことが入っているが、申し訳程度だけれど家の家事は全部僕が担っており、ちげえし!と弱者なりの反論をかまして終わりにしたいと思う。

 


ずっと強くなりたかった。俺には価値があると示し続けた。限界はすぐにやってきた。

今、強くなるよりも、弱さを前面に押し出して、誰かに弱い部分を補ってもらいたいと思う。もう無理なものは無理なのだ。たまに弱さに潰されそうになる。カップルを見たら、「そのレールからは降りたのだよ、、、」とか、夜中突然「俺なにやってんだろ、、、」とか勝手に自滅してる。自分だけの人生を!的なサムシングで始めたこの生活も、30打席に1ホームランぐらいの、あとは全部三振、ゴロ、フライ、的な感じである。決して毎日充実とは言えない。けれど、弱いまま行った結果、普通だったら絶対に会えない素晴らしい出会いもあった。人の善意に触れることもなかった。自分が弱いなんて、誰かのお陰で今生きてるなんて思いもしなかった。

 


俺は弱い。いいんだ。隠さずに、このままいくんだ。弱いなりに前を見る。守るものはない。「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」という、僕の大好きなアニメ『交響詩エウレカセブン』のセリフが脳裏に浮かんできた、、、

 


つづく!!!