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自分VS自分〜とある日の備忘録〜

 たまには脳内メモを公表して見たいと思う。一切のストーリーはない。

 


【 岡山~宇野 】井上陽水を聴きながら。

 


友人の家で目がさめて、直島という「アート島」なるところへ向けて電車にのる。今日の音楽は、あたらしくApple musicに追加された井上陽水の曲たち。いままで井上陽水のことなんてまったく知らなかったけれど、ギターの音と、なんとも言えない歌声が、田んぼや自然を眺めるのにはとてもいい。『夢の中へ』という歌の中で「探すのをやめたとーきー、見つかるのはよくあるはなしでー」という歌詞がある。なんかヒントがありそうな、でもわからない。さがしものはなんですか。

 


思ったことを書きだしてみたり、本を読むのに楽しくなっていると、終点にたどり着いた時にようやく「あっ、ちがう電車に乗ってたのね!」となることが今回多い。それもふくめて楽しい。自転車で旅をした時は「どれだけ労力を使わずに、最短で、遠くまで、正確に行くことができるか」ばっか考えていたけど、なるようになるさ~ぐらいであっちこっち動きまわっている方がなんか楽しい。ちがう電車にのっても「まちがえちゃった、てへっ」的なきもちになる。しっかりやることも大切なのかもしれないけど、それよりももっと大事にしたい何かがある気もする。

 

 

 

宇部港~直島】アートってなんだろう。

 


アートってなんだろう。へんな話アート自体にはさほど興味はないと思う。どちらかというと、アートを介してできる空間に興味がある。そこにいる人たちがどんな人たちなのかが、好きか嫌いか、なんかよかったのか、なんかイマイチだったのかを分ける。きがする。じぶんの中では。いま宇野港というところからフェリーに乗り込む。どんな人たちがそこには住んでいるんだろう。どんな人が直島を訪れるんだろう。ただおしゃれアピールをしたい人たちなのか。アートを満喫したい人なのか。となりの父親と同じくらいの男性は片手にGoproを持っている。なんかかっこいい。

 


【To 岡山】昨日の思い出

 

じつは、友達と本を交換した。僕からは『ムーミン谷の楽しい一家』という漫画を、彼からは『インターネット的』という糸井重里さんが書いた本をいただく。昔、ポケモンをやっていたころは友達とバトルはできても交換はできなかった。人のものをもらうなんておこがましいことだと思っていた。今はちょっとちがう。人からもらうことで責任がその分うまれる。または、その人の思いみたいなのが受け継がれる。まだまだ未熟そのものだけど、少しずつ拓けてきたかな。

 

 

 

そういえば友人と夜寝る前に、「なんでご飯を食べるのか(それに意味はあるのか)」みたいな話で盛り上がった。僕の意見としては極論ご飯を食べることは暇つぶし、だと思う。なんとなく12時になったから食べる。お腹が空いた気がするから食べる。どこまでが本当なのだろうか。友人は「ご飯食べた後にまだお腹が空いた気がするのは、(なんちゃらが分泌されて)脳がマヒするからだ」と教えてくれた。マヒしてるのがお腹が空く、なら、相当ヤバイ。あと、別に誰も悪くないという前置きをした上で1つだけ。外食チェーンを見ていると『千と千尋の神隠し』でお父さんとお母さんがご飯をたらふく食べて豚になっちゃうあれをどうしても連想してしまう。たしかに出てくるのは早い。飯もうまい。でも目の前には壁。5分とかからず平らげる。なんか見ていて辛そう。嫌な言い方をするならば養豚場みたいだ。誰も、誰のことも責めることはできない。でも、そこに美しさはあるのだろうか。こう考えたのはおそらく前日夜中の3時まで歩いて、3時間寝て、カラオケを3時間歌いまくり、みたいなわけわからない生活をしていたからだろう。

 


福山へ向かう電車に乗りながら、ふと群馬のことが頭をよぎった。ずっと葉っぱの音だけ聞いてのんびりしていたい。寝ていたいと思った。裏テーマであったはずの「どこか住んで見たい場所を探す」が、もうある場所に戻りたい、になったのはおもしろい発見だ。9月のどこかでまた群馬に行こうかな。

 


つづかない。おしまい。

【1日目 東京〜長岡】今日ずつ生きる

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現在、東京を出発して、群馬県新潟県を結ぶ上越線の中でこの文章を書いている。はじめての新潟県に突入した。新潟といったら個人的なイメージとして寒い、というのがある。果たして本当なのだろうか。いや、夏だから関係ないのか。行ってことのない場所に行くのはドキドキワクワクしちゃうのが男の子。(自分の中での)未開の地へと足を伸ばし、可能性を広げちゃいたい。うそ。本当は「全都道府県行ったことあるよ!」と言いたいだけなのかもしれない。

 

 



今回は青春18きっぷを使って移動をしている。おそらく現段階で1日で普通なら6千円ぐらい踏み倒しているのだと思う。もう三倍お得しているので言うことなしである。去年は自転車の旅だったけれど、電車で移動するのも悪くない。自転車の時は自然とともに生きている感じがしたけれど、電車に乗ると画的にグッドな感じになる。個人的には群馬県渋川市に入ったあたりから見える自然が大好きで、是非いろんな人に素晴らしい車窓を眺めて欲しいと思います!!!

 

銀座でもやっていけそうな話


数日前、友人のお財布を買うのにお供として有楽町に馳せ参じてきた。よっぽどの用事がないと無縁になりつつある銀座周辺だけれど、意外と収穫もあるもんだった。大きく2つのことを学んだ。大前提として、髪長さすらい侍が銀座を歩いているところを想像していただきたい。まず1つは、こんな感じの風貌の人が阪急メンズ店にて結構働いていたということである。友達からも「店員かと思った!」と言われた。なるほど、どうやら阪急メンズ店なら長髪はOK。ということは髪長い俺は一回阪急メンズ店に寄れば銀座的にOKなのではないか(自分で言っていてわからなくなってきた)。もしこれから、「ちょっと信じちゃうような嘘をついてください」という要望があったら、「阪急メンズ店(銀座)で働いています。(ドヤァ)」を決め込むことができる。

 


2つ目は、結局ブランド物がそんなに好きじゃない(けど、なんか負けた気がする!)なら、自分でブランドを作っちゃえば良い、ということである。強引だけれど、多分自分でブランドなんていくらでも立ち上げられる。僕の名前は橋本真嗣と漢字では書くけれど、これをローマ字にするとMasatsuguHashimotoになる。なんかブランドっぽい。これも友人からのお言葉「ハッシーの名前、ブランドにできそう(笑)」からである。よくわからないけれど、多分服は自作できる。昔エルメスの職人さんが生でネクタイを作っているのを見たことがあるのだけれど、感想としては「お、おれでもできそう、、、」だった。数を重ねればそれっぽい服は作れるのではないか。そこに刺繍でMasatsugu Hashimotoなんて入れたらもうブランド完成である。誰かから「どこのブランドの服着てるの?」なんて聞かれたら、「あっ、Masatsugu Hashimotoだけど?」とか答えたい。カッコつけというギャグをかまして笑ってもらえたら最高である。

苦手だと、縁がないと、思っていた場所にでも出向いてみれば発見はあるのである(だいぶ友人に引き出してもらいました!!)

 

 

 

今日ずつ生きる

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僕は頻繁に「あれをやって、でもあれがああなって、でもこれがこうなったら、あ、ああ、あああ、うわぁぁぁぁ」と脳内でなることがある。禅病だ。頭で先に考える癖がある。または、一歩踏み出すのになぜか時間がかかる事柄がある。今年の夏はもう暑すぎたので、それでも良いやってことにしていた。が、9月からの僕は少し、いや、だいぶ違う(実はそんなに変わらない)。今を生きる。これである。すーぐ忘れてしまう。消極的人生よりも積極的人生のターンはやってきた。アニメ『エウレカセブン』でいうところの「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」である。今日だけは生き切る。明日は、未来は関係ない。まずは目の前の一日。今日だけを生きる。9月はその熱量(?)が自分を動かしてくれる、という気が勝手にしている。

 


手始めに電車旅を始めている。場所が変わると、家に帰るということをしないと、朝起きる場所が昨日と違うと気が引き締まる。ひしひしと今日という1日は、代わりがきかないという、至極当たり前かつ、至極それっぽい言葉が降ってくる。ちょっとだけ今日は頑張った(?)。水上駅というところで3時間ほど乗り換えまでに時間が空いた。なので、観光案内マップを片手に1時間のお散歩、適当にベンチを見つけて読書、人工芝でお昼寝、の3つを充実させた。そして今この記事を書いている。フル稼働している。これが今日を生きたことにつながるのかは分からないが、「今動いている」感は確実にある。

 

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明日にはへこたれているかもしれない。今読んでいるちくま文庫の『ムーミン谷へようこそ!』ではムーミン一家が愉快に暮らしている。ユーモアさえ自分の中で見失わなければグッドなのである。今こうして文章にしているとどうしてもお硬くなってしまうけれど、リアルな僕は結構フランクにこの文章を書けている。ノットナーバス!大事!ルンルン!(これ以上は変な人になっちゃうからやめとく)電車の窓を眺める。何も見えない夜景。田んぼだ。ヒゲが伸びているのに気づく。いじる。(ボックス席に座っているのだけれど)後ろに座っている女の子が青春18きっぷを眺めている。ああ、あなたもさすらってますね、いい感じですね!と言いたい(声をかける勇気はない、、、笑)。

 


つづく!!!

こんな世界もあったんだね。

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 ここ最近、「寝ると決めた30分前、スマホの電源を切る」ということを実践している。自分でも驚くほど、これの効果を感じている。スマホを触らないことにより、暇が生まれる。そこの時間で本を読むこと、ストレッチをすること、コーヒーを挽くところからいれる、等々をしている。ブルーライトに集中することと、リアルな世界の物質に集中している時とでは眠くなるスピードも、充実度も違う(気がする)。結果、よく寝付け、朝は良い目覚めが待っている。で、早起きしたので、結果また暇な時間ができる。この時間の使い方が下手で困っているという現状である。

 

 



この序文をラーメンの待ち時間で書いていたのだけれど、ラーメンを食べて、お腹いっぱいで満足したら、何を書きたかったのか全く思い出せない。だめだ。もういいや。なんかそれっぽいことを書こうとしていたのだけれど、それを忘れたということは、「それっぽいこと今ブログに書かない方がいいよ!」ということなんだろう。忘れたことがあっても、またいつか同じような事を思うだろう。その時にまたそれっぽい事を書いたらいいのだと思う。

 


番外編:書きたい事を忘れたので、この間行った群馬の写真を載せます。

 


3ヶ月の間に自然が生き生きと。

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トンボ君もやってきた。f:id:hasheem32:20180824141437j:image

 

どか盛りパスタを平らげ、f:id:hasheem32:20180824141507j:image

 

車の窓からは虹。

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番外編2:ゴルフ場跡地の再利用はひまわり畑だったの巻。

 

こういう土地の使い方は最高だと思う。

 

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こんな世界もあったんだね。


髪が長くなって、女の子でいうお団子、男の言う「マンバン」なることができるようになった。この状態になってから気づいたことがいくつかある。

まず1つは、相当首が凝ること。毎日寝違えたかな?と思うぐらい首から肩にかけてゴリゴリしている。女性でいうボブぐらいの長さで、これだけ音をあげているので、女性のロングなんて頭がおかしくなるのではないかと思う。巷では「女性に優しい世界を」なんてセクハラ問題をあげてああだこうだ言ってるけど、まずは(セクハラにならないように)同意の上で、男が肩を揉んだり叩いたりしながら、「お疲れ様」なんて声をかけることから始めた方がいいのかもしれないと思ったり思わなかったりする。

 


2つ目は、「長い髪の男は一定数いる」である。初めて髪を結んで外に出た日は、人から変な目で見られてる気がしてならなかった。が、一旦冷静になって辺りを見回して見ると、ロング男子は一定数いることに気づく。ここまで髪が短くないときは全く気づかなかったのに。自分は異端だと思っていたけれど、異端が世界にたくさんいる。そうすると「男子はショートが当たり前」みたいな常識は崩れ落ちてくる。いや、もとからこれは常識だったのだろうか。自分が知っている世界のことしか話せていない偏見じゃないのだろうか。髪を長くしたことでなんと常識まで疑えるようになった(いいことなのかはさておく)。

 


ここまで書いておいて、どうまとめればいいのか分からなくなった。髪を長くしなかったら、こんな事は気づかなかっただろう。女性の肩は男の想像を絶する凝りがあるかもしれない事。意外と髪長い系男子は街にいて、その中でもオシャレな人とダサい人がいて、ただそれだけのことだという事。その他もっと自分が知らない世界がいっぱいあるかもしれないという確信。んー。やっぱりまとまらない。全部ラーメンのせいである。でも美味しかったから許す。うまく自らの体験談と交えて、「世界はこうなのかもしれない!」みたいなしゃしゃった事を言おうとした罰にやられた。そんな8月下旬の昼下がりである。

あなたから私への暑中見舞い

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サマー2018。平成最後の夏。22歳の日焼けに、38℃の日本。ずっと東京にいると(暑すぎる&退屈で)腐る気がしたので、定期的に違うところで一晩を越す。今月の第一回外泊は、大宮は@お風呂カフェになった。ここには結局4ヶ月連続で来ている。ここのいいところは、懐かしの児童館を彷彿とさせるマンガの充実。温泉なのに若い人が多いこと。ご飯が食べれちゃうところなどである。残念なところは、夜中に爆音な低音のBGMを流し、見事に眠いのに寝れない現象を引き起こすことぐらいだ。

 

詰んだら体を動かしな。

頭で色々こねくり回すよりもまずは体を動かすこと。これに尽きると毎回体を動かしてから思う。今年の夏は猛暑を通り越して酷暑、命に関わる暑さ、とまで言われているのは、もう僕が説明するまでもない。暑すぎる。皆さんは溶けていないだろうか。今年は心から暑中見舞いをしたいと思う。手書きで手紙を出したらいい感じじゃないかなとか色々考えていた。が、それは室内の話である。事実、この暑さにビビってろくに外出していなかった。

 

やるかやらないか、それだけさ

7月の終わり、あるルールを自分に課した。「8月中にやりたい事を見つけられなかったら、後回しにしていた事をやらなければいけない」というもの。いくつか、諸事情で、とか言って後回しにしていたことがいくつもある事には薄々気づいていた。でもそれを、お金がないとか、周りにやったことがある人がいない、とか、暑い、とか、色々ケチを付けてはやってこなかったことがある。典型的な例として、自転車にリヤカーを引っ張るなり、三輪車を改造するなりして、「自転車feat屋台」をやってみたかった。でもやっていなかった。周りにやっている人はいない。お金もない。

 

このルールの厳しいところは、お金が無くても、勇気がなくても、「やらなくてはいけない」という強制力が生じているところである。言い訳はできない。やらなければならない。義務に近いのである。この「障壁が目の前に立ち塞がっている感」は、自転車旅を始める前に似た感覚だ。ということは、やればできる。特に自転車の旅で得たことはないが、やればやったことになることはわかった。やるかやらないか。それだけだ。成功するとか失敗するとか、そんなことは関係ない。やるか。やらないか。やるか。(自分という弱さに)やられるか。戦いはすぐそこまで来ている。

 

とか書いておきながら、8月中にやりたい事を見つけてしまえばやらなくていい。このザル加減はなんなのだろうか。自ら課したルールの抜け道を自ら発明する、という訳の分からないボケをかます。これがまたいい。こんな感じで日々、ヒントを探し求めている。

 

 

話が右往左往してしまった。体を動かすのが大事だ、という話がしたかったんだ。話を戻そう。灼熱ともいえる日本列島。面白いことに外に出てみると、即死はしない。ということはである。幾ばくかの時間なら外にいることができる。これは大発見である。命に関わるなんて大げさなことをいうから、元から言葉を素直に受け止めがちな真嗣君は閉じこもってしまったのである。外に出ても、すぐには死なない。更に気づいたこととしては、風は吹いている。自転車に乗るとわかる。たしかに直射日光は死ぬ(帽子を被れば致死率はダウン!)。が、風を切るとか、暑さも忘れてペダルを漕ぐとか、そういう事をしていると生き返る。いや、正確にいうならば、お風呂に入るまでは死ねない!となる。から、(僕は)行ける。

 

そして閉じこもっていた時よりも、少し頭の中でアイデアが膨らんでくる。なぜか今、後回しにしようとしていた「自転車feat屋台」案を、なんとか実現できないものか、と考え始めている。どうしたら屋台を作れるのだろうか。DIYの本を読んでも書いていない。スノコで作れないだろうか。まて、まず資金面はどうするのか。山積みの問題。どう乗り越えていくのか。自分に対する期待値は爆上がりだ。

 

 

暑中見舞い〜人の言葉に思いを添えて〜

今日この記事を書き始める前、色々順序立てて書こうと思っていた。が、書いていたら忘れた。人間そんなものである。もとから書きたいことなんてなかったのかもしれない。分からない。でも、書いちゃう。お風呂カフェで、井上雄彦先生の『リアル』を読んでいる。心に刺さる言葉が多い。もとより書きたいことなんてなかった、なんて思い始めているので、最後にマンガから勝手に言葉を流用させていただき、自分を含む、全皆さんへの暑中見舞いとして締めにしたいと思う。良い夏を!!!

 

 

正解がある訳じゃない。

 

何か似せる必要もない。

 

形を整えることが先にあるんじゃなくて、、、

 

思いをまず聞いてあげること、、、自分の

 

本当にちゃんと聞こえるまで耳をすますこと

 

そのうち何かを気持ちいいと感じる自分に気がついたら

その思いに従えばいいんだ

 

君自身の声を、、、聞こえないふりをしていると、、、

 

そのうち本当に聞こえなくなってしまう

 

君の思いをそのまま表したらいい

 

〜『リアル』第6巻より引用〜

 

つづく!!!

弱さと料理とこれからと。

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多動っぽい日々とは縁遠くなってしまって久しい。世間的に見たらニートと言われてもおかしくない生活を送っている。誰からでも罵倒されたり、バカにされたりしてもいいんだけれど、単純に自分自身に飽きてきている。今、ニートの役で舞台に出てくれと言われたら、程よい演技ができる自信があるくらいに気持ちがよくわかる。多分、ニートは自分の人生に飽きているのだと思う。引きこもっている人は本当は何かジレンマ抱えているだけで、外に出たい気持ちもあるのだと思う。

 


あと、専業主婦のみなさんの気持ちも少しわかる。ごはんを作るスキルだけはレベルアップしている。適当に家庭料理を作ってくれと言われたら、作りに行けちゃう。その一方で、いつも同じ時間に同じことをして終わることのない作業(という名の家事)を数年も続けていたら、これは自分が腐ってもおかしくない。半端なく飽きる。最初は家を綺麗に保つ、家を管理することが楽しかったけれど、慣れてくると家事をしなければいけないという義務感にやられてくる。今までこれを一手に引き受けてきた、我が母親に対してリスペクトの思いしかない。そしてリスペクトが足りない男性陣(父親と弟)に対してなぜか僕がプンスカしている。

 

 

弱さと料理とこれからと。


普通、男ならば、どれだけ昇進するか、どれだけ稼ぐか、どんなもの(お金がかかる家や車など)を買うか、どれだけ知識を得るか、人生において成功できるか、を意識するだろう。そんなイメージを勝手に持っている。下は見ない、前へ他人より前へ、他人より上へ。

 


僕はたまに、「どれだけ社会的に落ちることが出来るか」の方が大事そうと思うことがある。学生だった頃からこんな事を思っていたのは、性根がひん曲がっているのだと思う。でも社会的に落ちれば落ちるほど、外側にあるものを剥がせば剥がすほど、自分の中心に近づいている感覚は強くなっている。剥がした先に残るのは、体そのものの神秘だったり、愛することの尊さだったり、そういうことなのかもしれないと感じる。それならば、もっと離したい。中心に近づきたい。そんな社会的地位のレベルダウンを潜在的に思っているから、サムライヘアーとか、新卒無職とか、山籠りとか、そんな事をしているのかもしれない。

 


ニートだって、専業主婦だって、なぜかスポットライトは真っ当な仕事や生き方や正しいとされる人間に奪われてしまう。でも一番ハードな時間を過ごしているのは彼らで、一番リスペクトを贈られるべきは彼らだと思えてきてしまう。新卒で無職という選択をしてよかったことの1つとして、「弱い」とされる人、「弱い」とされる考え、「弱い」とされる状態、そう言ったものに対して、優しくなれたことだと思う。

 


ぐだぐだと書いてしまった。スタンダードとして、この気持ちを忘れたくない。だから書き留めておいた。あくまで自分は弱者であること。ザコであること。言い訳としてじゃなく、伸び代が山ほどあるということ。そんな事を思い、今日も家族の夜ごはんを作る。今日はチャーハンだ。王道飯ほど難しい。テレビでもいつもプロの料理家が、ご家庭チャーハンにダメ出ししている。それほど難しい。人生も同じ。王道ほど険しい。けれどみんな目指したがる。僕にはそれができなかった。ならば、オリジナル、創作料理を閃けばいいのだ。自分の満足度だけが基準のオリジナル飯(人生)を開発するのが突破口だ。レシピは自分の中に。全ては想像力に任せて。自分の中心へ。

 


とか言っていたら、面白い作戦を閃いた。どんな世界をこのノーワーキングマンは切り開いていくのだろうか、、、!

 


つづく!!!

SASURAIなSAMURAI

 

 連日東京は猛暑が続く。どうやら天気予報によると1週間はこの晴れが続くらしい。このままだと干からびてしまう。そう思うことも多い。が、それは冷房をガンガン浴びている瞬間と、夜寝る時(僕が寝ている屋根裏の物置は半端なく暑い)ぐらいで、意外と外にいる時の方が心持ちは楽だ。暑さに慣れる。それこそがこの夏を乗り切るためのソリューションなのではないかと勝手に思っている。案外まだ風は吹いており、日陰も涼しめである。一番怯えている時は、外へ踏み出す一歩をしてない時、またはする直前の時。暑さの中に飛び込んでしまえば自ずと不安は消える。

 


 とか言っておきながら一番暑い時間帯には外にいないスタイルを貫いている。これはスペインのカミーノ巡礼の小説を読んだ時に得た知恵?なのだけれど、スペインは暑すぎて、14~19時ぐらいまではのんびりしているらしい。シエスタなんて文化もある。暑い時は適当に過ごしてビールでもやってるなんて最高だ。大事なのは「暑さをどうにかすること」よりも「暑さに逆らわずどうウェーブに乗るか」みたいな感覚であると思う。変な話、生きていくことにも通ずるところがあると思う。目の前の諸問題をどうにかすることも確かに大切かもしれないけれど、それ以上にどうやったら現状のまま波に乗れるか、我が哲学友達に言わせるなら「どう踊るか」ということになる。

 

 次の波はどんな波か。大きい波か、それとも小さい波か。波がなくただ漂うだけか。それもまたいい。流れに身を任せつつ、見たい夢を見て行くこと。しばらくはそれがキーになるのかもしれないと思う。

 

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主夫力向上中!

 日々、主夫力が向上している気がする。僕は実家に居候という形で家にいさせてもらっている。なので家事全般を担って、少ないながらにも何か貢献したいという思いを持ってやっている。お花の手入れ、部屋の掃除、料理、洗濯。基本的なサムシングはできるようになってきた。こうなると頭の中は「主夫になれないかな?」という思考に寄っていく。

 

 これからの時代?働く女性が増える。もしかしたら家事全般を女性が担うなんて世界は時代遅れになるのかもしれない。もしかしたら男がヒモになるパターンが一般化する可能性だってある。パートナーの金でパチンコに行くのではない。ただ、今まで専業主婦と言われた方たちと並行して専業主夫と呼ばれる人も増えるのではないか。僕には今のところそういう相手もいない。だからそういうことは実践できていない。だけど、男とか女とかそういう区切りが「作業をする」という点ではなくなっているようなそんなことを、皿洗いしながら思った。

 


SASURAIなSAMURAI

 勝手に奥田民生の『さすらい』をテーマソングに引っさげて、3ヶ月ぐらいさすらいの身として行きてきた。言葉の通り、あちこち地味ーに多動してみたり、正面から風を浴びてみたりしている。さすらっている。歌詞の中にある「さすらいもしないで、このまま死なねえぞ」という部分が好きだ。まだまださすらいビギナーな僕は、しばらくは死ねない。

 

 


奥田民生 - さすらい

 

 一方でずっと髪を伸ばしている。とある日、温泉に置いてあったマンガ『バガボンド』を読み、惚れた。以降サムライに憧れ、髪を伸ばしている。現在後ろで結べるくらいまでには伸びてきておりあと1ヶ月もあればロングヘアの完成である。ここに日焼け+ヒゲが揃えばもう宮本武蔵の完成となる。友達からも「すでに結構きてる」というお言葉をいただいた。武蔵はスッとした一重だ。そしてカッコいい。初めて自分が一重なことを、よかったと思った。

 

 

 さて、僕はSA”S”URAIのSA”M”URAIである。SとMを持ち合わせたバランスのとれた状態である。たしかに、自分を訳わからない状態に晒したいSな自分と、訳わからない状態に置かれてそれをどうやり抜いていこうか苦しみながら楽しんでいるMな自分がいる。サスライとサムライを結果としてかけている人間になった。

 

 この状態が案外嫌いじゃない。確かに社会的にみて地位もクソもない。金もない。パートナーもいない。この身になって初めて心から思うけれど、そんなものは「どうでもいい」の一言にふすことができる、と言ってもいいのかもしれない。全て外側についているものを取り外した結果、僕に残ったのは、体と心と愛と歌だ。これだけは誰も奪うことはできない。これさえあれば十分である。皆さんは何が残るのだろうか。そんなことを話してみたい。あなたの奥底に眠っている宝物は何なのか、それを知りたい。

 

 と、ここまで書いて、現在まさかの身分を与えられるかもしれない、という大出世のお話がきている。この数ヶ月の流浪生活に終止符を打つ時が来るのでしょうか!乞うご期待!では!

 


つづく、、、!

シーズン・イン・ザ・シズオカ

 


ある日、友人から1つのラインが来る。「12.13空いてる?」。絶賛、”お金は無に等しいけれど体力と時間は有り余ってる”男を続けている僕は、もちろんのごとくYes!と返し、弾丸の静岡行きが決まる。

 


訳の分からない生活を続けているが、ぜんぜんマイナス?な要素ばかりではないことに気づき始める時期になってきた。働いている皆さんは、お金はあるけれど時間はない。一方さすらっている僕には、お金は無に等しいけれど時間は有り余っている。なので、お金さえなんとかなれば秒速で移動する(そして、大体は未来の自分にツケれば何となるので、秒速で移動できる)

 


あと、意外とさすらっている人はたくさんいるということにも気づく。大学を卒業した時、寂しいのは自分一人だけだ、なんて思っていたけれど、出会う人やその他色々なことから、「もしかしたら俺みたいな人は相当数いるのかもしれない」という視点を得る。そうなると、誰かと比べるとか、誰かよりもいい方向にとか、そんなことより、自分の人生を全うすることしかないなんて思うようになる。ちょっとだけ優しくなれたんじゃないか。(なれていないかもしれない!)

 


静岡での内容は細かく書がなくてもいいだろう。うまうまハンバーグでおなじみ「さわやか」に行ったり、カラオケに行ったり(個人的にはここが一番最高だった)、とまったり、あっちこっち行ったり、である。

 


 友達の家に泊めてもらい、翌日三保の松原へ行く。この場所は富士山が綺麗に見える絶景ポイントとして有名で、観光地として有名、らしい。が、あいにくこの日は曇りで、あと富士山の頂上は雪が溶けていて、それほど綺麗には見えなかった。それよりも海である。太平洋である。どこまでも続く水面。寄せては返す波。富士山なんて忘れてしまいそうになる。海の近くは涼しい。夏とはいえ風も気持ちいい。ずっとこの場所にいたくなる。ギターでも持ってきて、適当に弾きながら、歌いながら、できたら最高だななんて思った。もし諸事情で色々なものをロスするようなことがあれば、ここまで頑張って来て、ずっと歌っていたい。

 

 


 20代前半の男3人は石を拾っては、波の立っている海面に向かって、投げる。トン、トン、トン、ポチャ。水切り。青春だ。

 


何でもない、でも、全てがあった。そんな1日がまた自分の中に増える。自分の心が、体が、喜ぶ日がまた過ごせた。僕にとって必要なのは、こんな何でもない日々なんだろう。

 


流浪の日々は続く。