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『橋本真嗣』season.23

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写真は2月の頭に訪れた山口のおばあちゃんの家の梅だ。一方。寒い。天気が良くない。外が暗い。そんな日々が続く、大都市東京。悔しいかな、またこの地に帰ってきては、ボケーっとしている。いや、有り難い。ボケーっとさせていただけているだけで、感謝ものだ。特に、実家には本当にお世話になっている。ちょっと気をぬくと、すぐに感謝を忘れそうになる。いけない。感謝の思いを忘れないためにまたどこかへ移動する。そんなかんじも悪くないと思っている今日この頃だ。

 

革細工、始めました

寒い日は困る。そして篭る。広島県の府中という山の中で雪が降る季節に生まれたのにもかかわらず、まったく寒いのはダメだ。それもそのはず、そこには生後数ヶ月しかいないから、その時のことはもう関係ないぐらい遠い話だ。

 

「ただ篭るのでは脳がない」と思ったのと、「前々からやりたかったこと」がうまく一致して、現在、レザークラフト を始めた。「やっぱり作るのは楽しい」。そう感じている自分がいたことに妙に納得した。1月に始めたガンプラの話もそうだけれど、どうやら手作業で、何かを作ることが好きみたいだ。何か作れるだけでワクワクしてくる感じを久しぶりに思い出している。

 

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本質的には、言いたいだけ、なんだと思う。何やっていますか?みたいな質問に対して、「革細工しています」とか言ってみたい。去年は「山に篭っています」があったけど、今年も使い回すのは良くない。なので、次聞かれる機会があったら「革で小物作ってます」みたいに言ってみようと思う。密かに群馬の山小屋で革細工をする事で、自然の雰囲気も合わさって「工房感」が出るのではないか、という作戦を練っている。そうしたら「山の工房で革細工しています」というパワーワードが使える。ふふふ。もはやここからは騙し合いの世界である。

 

Season.23

気づいたら人生23シーズン目に入っていた。誕生日であった2月2日周辺は、久しぶりにあちこちに移動していたので、なんというか、今までのとは違う、真新しい感じの新シーズン開始だった。「新シーズン開始」。いまこのワードを書いてふと思った。23シーズン目と考えると、ベテラン、とか、引退、とか、長いイメージがつきまとう。

 

しかし、新シーズン開始と考えると、アメリカのドラマみたいな気がする。人生はドラマだという、クサいセリフもあながち嘘ではない気がしてきた。

話はちょっと逸れるけれど、ここ2ヶ月ぐらい『ウォーキング・デッド』というゾンビドラマを見続けている。このドラマは9シーズン目だ。作品自体は間延びはしているものの、新しい展開が待ち受けている。それが楽しみだ。新しいキャラや、敵、仲間との離別などなど色々ギミックが盛り込まれている。だから、なんとか(途中でくじけそうになったけれど)、追えるところま追って見ている。

 

もし僕のこれからの1年が、ドラマの1シーズンに相当するものだったら。まずはエピソードの話数を決めよう。ウォーキング・デッドは1シーズンにつき16話。8話を境に前後半が分かれている。僕は、わかりやすく1ヶ月を1話と考えて、全12話ということにしよう。そして半分の6話(8月ぐらい)で一つ大きな節目を迎えられるように、ギミックを考えてみよう。今こうして書き出してみて、面白くなってきた。だって、一年を振り返った時に、「ああ、あの時の伏線はあそこにつながるのか!」と思えるかもしれないから。

 

書いている途中だけれど、本当に楽しくなってきた。笑

この考えは意外とアリなのではないか。ダメだ、まったくもって話がまとまらない。久しく文章を書いていなかったので(メモを大量にボツにしている!)落とし所がわからなくなってきた。よし、こうしよう。ここからの1年は、ドラマの1シーズンみたいに、一区切りであるということ。そして1月1話とし、全12話からなるストーリーを作ること。そして、その考えを持った結果どう感じたり、思ったりするのか、その傾向を探ってみること。そうしよう!1話ごとにnoteにまとめて、シーズンいくつまで続くか、という挑戦に挑むことにしよう!そうしよう!いい感じに訳のわからない着地を決めたので、大満足である。

 

つづく!!!

 

 

New Years levolution

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朝起きたら、テレビで「新しい年号は何か大予想!」みたいな番組がやっていた。4月くらいになったら変わるんだろうか。年号よりも自分は、4月になったらどうなっているのだろうか。まったく先の読めない人生となり始めている。少なくとも、去年と同じことはなぞらない、それだけは自分に刻んでいきたい一年である。

 

 

 

今世はもう夜中を歩かない

去年は何回も夜中を歩いた。初めて深夜帯に移動をしたのは、自転車で旅をしていた時だ。あ、あれは一昨年か。もはや時系列さえ怪しくなり始めた。23:00までしか空いていない温泉で休み、いけるっしょ!的なノリで夜中走り出した。が、街灯は一切なく、隣をトラックがバンバン走り抜ける。足元は見えないし、雨も降ってくるし、散々な夜間移動だった。恩田陸さんの『夜のピクニック』とは全く違う。あんな青春はなかった。何回かやると、「俺やってる!」という気持ちから、「何やってんだろ俺」に変わりがちになるので、もう今世は夜中を歩かないことを決めた。

 

 

いや、もしかしたら誰かと一緒に移動したいたら違ったのだろうか?ちょっとは爽やかな風が吹いたのだろうか?今年のテーマとして、「少しは他人と近づく」みたいな感じなのが頭に浮かんでいる。去年は自分の好きな人たちだけとしか、ほぼ、会っていない。とても良い時間が流れたことは間違いない。しかし、このままだとクローズドだ。ちょっとだけでも、知らない人のある環境に身を置くのもアリかもしれない。「友達探し」がキーワードになりそうだ。

 

 

新連載『majiでgunpraする5秒前』

友達といえば、先日、友達と「本気でガンプラを作ってみようぜ!」みたいな感じになった。その感じを、形にしてみようかなと思って一念発起、noteを初めてみた。さて、いつまでつづくのだろうか。というか完結するのだろうか。完結するまで時間がかかるというのも、またロマンかもしれない。大好きな漫画『バガボンド』は、連載が止まって久しい。というかこのままもう終わるんじゃないかと思うぐらいだ。もしかしたら僕が書いている作品もそうなるかもしれない。うん。それはそれで味わい深い。とりあえず、いけるところまで頑張って書いてみようと思う。圧倒的自己満足を目指す旅は始まった。

 

 僕たちは子供だったんだ。|ハシモト マサツグ|note

 

 

今年のこれから。

最初にも書いたけれど、果たしてこれからどうなってしまうのだろうか!自分でもこんなに不確定な時間を過ごすのは初めてなので、とても戸惑いがある。どうしたらいいのだろうか?そんな問いが現れた瞬間、年末年始ごろから「もっとくらえ!」という声が、体の内側から聞こえてきた。「お前はまだまだ全力出してねえだろ?(自分の人生を)ぶん回しちゃいなよ!」。

 

 

基本的に、やりたいことが浮かんでも、すぐ泡のように消える傾向にある。半端なく飽き性なんだと思う。その分頭にはいっぱい夢の気泡が浮き出てくる。今だとなんだろう?海外に行きたい(タイとアメリカ)、レザークラフトをしたい、仙台に牛タンを食べに行く。他にもいっぱい浮かんできたぞ。じゃあその通りやってみたらいいじゃないか。「お金なんてなんとか出来るだろ?」「ちょっと頑張って稼げばできないことはないぜ!」。そうか、そうだったのか、やってみたいこと、といっても、自分から掴みにいったことなんて少ないのか俺は。じゃあ今年は自ら掴みに行こう。今年ぐらいはちょっとだけ「うぉりゃ!」といってもいいのかもね。よし、やってみよう。

 

 

つづく!!!

 

駆け抜けるfeat. Kinnikutuu

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東京もいよいよ冬シーズンが到来してきた。寒い。冬の服装がない。はっ!それを買うお金がない。服装を変えるのだけが、寒さ対策なのだろうか?なにか思いもよらない突破方法を見つけることができるのではないか?去年はビリーズブートキャンプで突破した。今年はなにしようかな?そんなことを考えながら、ヌクヌクとあったかい暖房の下でブログを書いている。

 

 


先日、友人の落語を聞いてきた。落語はよくわからない。演劇を大学で勉強してたのに、歌舞伎がよくわからないのと同じくらいわからない。でも面白いもので、わからないものをわからないなりに見ていくと、だんだん分かってくる。どうやら現代風の話をしていくうちに、昔の小噺へとフェードインしていくらしい。現代と過去のクロスフェード。落語のことは一旦脇に置いて、僕はこの友人のことがとても好きである。言葉にするのは難しい。敢えて言葉にするなら、「楽しむのが得意な人」だと思う。彼女は今回もしっかり楽しんで落語をしていた。僕は楽しんでいる人を見ると楽しくなる。とてもエネルギーが湧いてくる。「(あなたを見ていたら)エネルギー湧いてきた!」みたいな感覚って素晴らしい。人って素晴らしい。終演後に友人に聞いたらやっぱり「楽しかった!」と笑顔で言っていた。もっと、もっと、この人を見ていたい!そんな風に僕が思えるとても良い時間だった。エネルギーが湧いてきた僕はこの後、奇行にでる。

 


落語を聴き終えて、笹塚から帰ろうとするが、ここ最近の半端ない財政悪化により、電車賃を(とりあえず)ケチってみることにした。そう、徒歩移動である。突然の冷え込みを見せた東京は、ただでさえ色々と冷たいのに、より冷たくなる。歩いているだけではダメなのである。なにを思ったか、エネルギー満ち溢れた僕は、走り出した。突然。コンバースで。マラソンが大の苦手なのに。気づけば新宿まで来ていた。何をしているんだろう。でもあったかい。止まると汗が冷えて寒いくらいだ。

 


周りを見ると寒そうにして歩いている人がほとんど。その中を颯爽と走り抜けていく僕。完全にNHKBSの『旅ラン』を見ていたせいだ。どんどん進む。気づくと自宅まで走っていた。エネルギーが湧きすぎた。ただ、1人夜の都会を駆け抜けていくその感触に、完全に酔っ払っていた僕は、明らかに頭がいっちゃってるとも思えるほどの笑顔を見せていた。爽やかだった。楽しかった。とても良い1日だった。

 


時は経ち、数日後。そう、今である。絶賛筋肉痛である。寒いのでなんか筋肉に響いてより痛い。しかも調子に乗ってコンバースで走ったりしたので、足首に異常をきたした。捻挫みたいな痛みがのしかかる。何やってんだ俺!と50000回ぐらい思いもしたけれど、完全復帰した時には痛みのこと忘れちゃうんだろうな。なんて思ったり。そして残るのはナゾに爽やかだった時間と自らの笑顔。良い記憶だけが残っていく。都合がいい男である。今年ももうあと少し。どんな道を駆け抜けていくのだろうか(どんな筋肉痛が待ち受けているのだろうか???)。

 


つづく。

Fire.fire&fire

11月はとても嬉しいことに、大勢の人と、ほとんどサシでお話ししたり、ご飯を食べたり、することができた。この半年の中で、1番人と会ったのではないかと思う。本当にありがとうございます!おかげさまで、日々が圧倒的に楽しくなっております!「皆さんのおかげです!」みたいなコメントをよく芸能人の人たちが言っているのを見かけると、本当か~?なんて疑っていた。けれど、現在本当にその通りで、人と会って、話して、大満足の時間を作ることが、日々を生きるエナジーになっていると思う。あと1ヶ月で、この1年に区切りがつく。さあ、どんな世界を自分に見せてあげることができるのか。まだまだ始まったばかりだ。

 

 

 

Memories in Gunma 

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ちょっとだけ、群馬県赤城山というところに行ってきた。泊まっていた山小屋の標高は600m。冬の群馬は寒い。この場所も例外ではなく、夜寝る時は、相応の準備をしないと、寒さで目が覚めちゃう。でもその代わり、目の前に広がる山肌は、5月に行った時よりも、綺麗に見える。紅葉も素晴らしい。虫もいない。僕はこの場所が好きだ。大した土地じゃない。ボロい母屋。竹ボーボーの奥地。風呂トイレなし。夏は暑くて冬寒い。土地内の設備的なものは壊滅状態だ。でも、空気がきれいで、山がきれいに見えて、思う存分声を出して歌えて、木材で筋トレできる。今の僕には十分すぎるくらいだ。

 


焚き火はみなさんやってますか?自分で火を灯すことはできますか?僕は今回初めて、1人で火を確保するというチャレンジをした。火種はライターに頼った。でも、ライターを使うことに慣れてない。タバコを吸わないからだ。難しい。何回やっても火が消える。ついたと思ったら自分の親指を燃やしそうになる。その辺に落ちてたスギの葉を着火剤として使う。なんとか火が葉っぱにつくもののすぐ消える。ライターと格闘する。葉っぱとも格闘する。そうこうして10分。ついに火が大きくなる。急いで燃えそうなものをかき集めて、そっと燃やしていく。火が安定してきたぞ。薪をくべてみよう。よし、ようやく安定してきた。ホッと一息。

 

ただ、焚き火を眺める動画。。。


火はすごい。寒過ぎて凍傷気味になっていた指先が、温めただけで生き返る。ケトルも沸かせられちゃう。火を見てるだけで、安心できる。素晴らしい。焚き火ライフバンザイ!である。

ぜひ他の人と焚き火を見ながら、語り合いたい。特に焚き火なんてしたことない人と一緒に、やってみたい。で、2人で「火がつかねぇ!」とか、「早く燃えそうなもの持ってきて!」とか、「火がついたやったー!」とか盛り上がりたい。そして、落ち着いてからゆっくり、コーヒーでも飲みながら語りあいたい。どうでもいいゴシップとか、誰かへの愚痴とか、金の話とか、そういうのを一旦脇に置いて、宇宙についてとか、虫は食べれるのかとか、身にならない話をしたいなぁ。宇宙のことも虫のことも全く知らないけど。笑

 

 

今年はもう寒くて、群馬の山にはいられない。来年の春まで、しばらくの間お別れ。来年からは本腰を入れたら入れなかったりしながら、手入れをしていきたいなんて思っている。できたら、だれか知り合いを連れ去りたいとも思う。あったかくなったら、やってみよう。それまでだ。それまでの時間がある。何をしたい?何ができる?考えてみた。歩いてみた。結果、よくわかんなかった。それでいいんだと思うことにした。今わからなくても、明日の朝になったらわかるかもしれない。今、どれだけこの瞬間を大切にできるか。そこだ。逆説的に言えば、今この瞬間を大切にできたら、やりたいことが出てくるかもしれないし、素敵な出会いだってあるかもしれない。まずはいまだ。目の前だ。好きな人に好きっていうんだ。ありがとうって伝えるんだ。それからだ。まだまだ歩き始めてから1年も経ってない。ヨチヨチ。だんだんテコテコ。知らぬ間にダッシュ!いけるはずさ!

 

つづく。

11月の始まり

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SNSで紅葉の写真を見つけ「俺もいくしかない!」と思い立ち、都内から一番安くなんとなくよさげと思われる所へいく!ということで、秩父へ行った(一番安いのかどうかは謎!)。残念ながらまだ紅葉紅葉してなかった。けれど、西武秩父線に乗っていると比較的すぐに山肌に囲まれ始める。ぼくは山が好きみたいだ。木はまだ緑でもいい。ただその大地のエネルギーとやらに圧倒されていた。

 

 

いろんな見方があるのかもね

(生まれは広島だけど)東京都文京区という超都会で育ってきた僕にとって、自然は憧れとなっている。逆に人がいつでも山ほどいて、道は狭いこの街は当たり前になっている。

 電車に乗り、都会のコンクリートジャングルを抜け出すとだんだん空が高くなっていく。高い建物がないから。山が見えてくる。山肌が鮮明に見える。そうしてくると僕は「うわぁ!」と童心に帰れる。車内で眩しいからなのか、日焼けシャッターみたいなのを下ろしている人を見かけると、「もったいない!(車窓から見える景色がいいのよ!)」となる。

 

と、考えるのがいつもの自分である。けれどふと違うパターンもあるのではないかと思った。都会のビル群を見ると興奮する人もいるかもしれない。山に飽きちゃってシャッターを下ろしたのかもしれない。人がいっぱいいるところに行ってエネルギーを感じたいのかもしれない。僕は全くその感覚が分からないけれど、でも、そういう人だっているかもしれない。思えば自分だってそうだ。そりゃ群馬の山奥と都会部では全然違うもんね、俺もわかる。数日で高崎のショッピングセンターが恋しくなったもん。そんなことを思いながら僕は山をながめていた。

 

 

ステキな時間を過ごさせていただきました!

10月の頭、ステキな女性に出会えた。もちろんルックスもそうなのだけど、その人の生き方が素晴らしいと思えた。うーん、どう素晴らしいのかを言葉にするのは難しい。自分のココロに忠実な人はステキだ。勝手に輝いている。変な話、慈愛を、伴っている気がする。会っているだけで元気が出てくる。少し前、僕は人とのトラブルで少し俯き加減だった。けれどこの女性と会ってたら「下を向いている場合ではない!(キラッ)」となった。その人の存在自体で、なんか自分も上向きになっちゃうそのポテンシャルがすごい。彼女に次会うときまでには俺もココロをピカピカにしておきたいと思った。そうするとちょっとだけ自分のこれからに光が差す。とてもいい時間だった。帰りぎわに拳を合わせたあの感じは今でも残っている。

 

 

今、やりたいこと

ちょっとだけさっきも書いたけれど、人とトラブってこの1ヶ月ブログではなく、ノートに手書きで日記を書いていた。でも今、またオープンにして、どんとこいスタイルでやっていこうと思う。理由は簡単。やりたいことができたからだ。夢までの過程をこれを読んでくださる数少ないあなたに見届けてもらいたい。楽しかった体験を独り占めすることは今の僕にとって簡単だ。だって日々1人だから。そんな僕だからやるべきことは、誰かと接点を作ることなのではないか。1人で閉じこもっている場合ではなくて、ちょっとでもだれかに伝える的なことをしていく方が大事なのではないか。そんなことを最近強く思う。

 

 やりたいことは「NBA全30チームのホームアリーナを訪れて、そのチームを応援する」というものだ。お金の話は一旦さておき(笑)、予想だとアメリカ全土を動き回る多動の日々である。これはなんか面白そうだ。何よりバスケ観戦の日々が本格的に送れることは僕にとって最高すぎる。気づけば7シーズンぐらい全試合チェックしている。これは僕がいかないとなるとだれが行く?(と、勝手に思い込むことした)行くしかねえ!ともちろんなる。テーマは「僕の旅が、あなたの旅に」である。ただの暇自慢ではなく、こんな世界もあるらしいよ!みたいにソフトな感じで、1つのコンテンツみたいになったらいいな。あわよくば、一緒に試合を見にいく仲間が作れたら!なんて思う。「自分のやりたいことが、あなたも楽しめるものになったらいいな」が今の自分の中のホットトピックだ。

 

やりたいことができた。中身は全く決まっていない。いつもの思いつきのやつかもしれない。でもやってみたい。今日もアメリカからの生中継で試合を見ながら、そんなことを思っている。今シーズン中(来年の6月まで)にいけたらいいな!さあ、これからどうなっていくんでしょう!!

 

つづく!!!

ボクとキミのハーモニー

久しぶりにあちこちを放浪して3週間。そののち体調不良でぶったおれて1週間。なんとも極端な感じ。夏休みってこんな感じだったよな。毎日プールにいって、ラスト1週間宿題漬け。何かを後回しにしちゃったのかな。胃腸炎という事らしく、何かに当たったのか、それとも頭の使い過ぎか。なんだろう。

 


お腹に走る痛みをこらえながら頭の中はあることでいっぱい。いわゆる「強い人」ほど悲しみを抱えている、そして本人はその悲しみには気づいていない。的なことを考えてた。

 


この間、知人からお説教された。「結局人の金で今回もあっちこっちいってんだろ?」「今までお世話になった人に対して何も返してないのに、ああだこうだ言ってんじゃねえよ」「このままだとクズだぞ、これからだよ」。うん、その通りだと思う。ぐぅの音も出ない。超正論。いや、正解というべきかな。いろんな人にもちょいちょい言われてきたよな~。ただ、そうやって言われる覚悟で、クズと思われてもいいやという思いで、選択したのも自分。反論はしなかった。ただ黙って相手のことを見つめていた。いや、あれは見つめてなかったな、突き刺す勢いで見てたもん。

 


でも、同時にこの人はそういうことを周りから言われて、色々背負って、背負って、今でも背負って、生きてきたんだろうな。それでも超えて行けちゃう人、つまり「強い人」なんだなと思った。僕は背負うとお腹が痛くなる(過敏性胃腸炎!)というわかりやすいセンサーがある。彼らは体も強いのかな。だとしたらすごいな。

 


強いな~と思う反面、悲しすぎるよな~とも思った。正確にいうと、僕への言葉は、悲しみの押し付けだな~とさえ思った。彼が背負ってきたいろんな重いもの。それをチャランポランな裸の僕に乗せて「重いだろ!」って言われてる感じ。言われて嫌だったとか、そうじゃなくて、悲しすぎるだろって思った。正解を出しまくって日々上を目指す彼だけど、そこに虚しさや、悲しさだったりを感じた僕は正直辛かった。「強い人」ってひたすらに頑張って這いつくばってやってるから、辛さみたいなのって邪魔なんだろうな。むずかしいぜ。

 


そんなこんな、あと色々込みで、その時のことを思い出す。そりゃお腹も痛くなる!笑

もしも、彼が自らの悲しみと決着をつけて、僕も「これしかなかったわ」って言えるぐらいの生き方を作って(できるかな~?)、出会えたらドラマチックだよね、なんて思いながら無理やりまとめる。まとまってねえな~笑

 


おしまい。

自分VS自分〜とある日の備忘録〜

 たまには脳内メモを公表して見たいと思う。一切のストーリーはない。

 


【 岡山~宇野 】井上陽水を聴きながら。

 


友人の家で目がさめて、直島という「アート島」なるところへ向けて電車にのる。今日の音楽は、あたらしくApple musicに追加された井上陽水の曲たち。いままで井上陽水のことなんてまったく知らなかったけれど、ギターの音と、なんとも言えない歌声が、田んぼや自然を眺めるのにはとてもいい。『夢の中へ』という歌の中で「探すのをやめたとーきー、見つかるのはよくあるはなしでー」という歌詞がある。なんかヒントがありそうな、でもわからない。さがしものはなんですか。

 


思ったことを書きだしてみたり、本を読むのに楽しくなっていると、終点にたどり着いた時にようやく「あっ、ちがう電車に乗ってたのね!」となることが今回多い。それもふくめて楽しい。自転車で旅をした時は「どれだけ労力を使わずに、最短で、遠くまで、正確に行くことができるか」ばっか考えていたけど、なるようになるさ~ぐらいであっちこっち動きまわっている方がなんか楽しい。ちがう電車にのっても「まちがえちゃった、てへっ」的なきもちになる。しっかりやることも大切なのかもしれないけど、それよりももっと大事にしたい何かがある気もする。

 

 

 

宇部港~直島】アートってなんだろう。

 


アートってなんだろう。へんな話アート自体にはさほど興味はないと思う。どちらかというと、アートを介してできる空間に興味がある。そこにいる人たちがどんな人たちなのかが、好きか嫌いか、なんかよかったのか、なんかイマイチだったのかを分ける。きがする。じぶんの中では。いま宇野港というところからフェリーに乗り込む。どんな人たちがそこには住んでいるんだろう。どんな人が直島を訪れるんだろう。ただおしゃれアピールをしたい人たちなのか。アートを満喫したい人なのか。となりの父親と同じくらいの男性は片手にGoproを持っている。なんかかっこいい。

 


【To 岡山】昨日の思い出

 

じつは、友達と本を交換した。僕からは『ムーミン谷の楽しい一家』という漫画を、彼からは『インターネット的』という糸井重里さんが書いた本をいただく。昔、ポケモンをやっていたころは友達とバトルはできても交換はできなかった。人のものをもらうなんておこがましいことだと思っていた。今はちょっとちがう。人からもらうことで責任がその分うまれる。または、その人の思いみたいなのが受け継がれる。まだまだ未熟そのものだけど、少しずつ拓けてきたかな。

 

 

 

そういえば友人と夜寝る前に、「なんでご飯を食べるのか(それに意味はあるのか)」みたいな話で盛り上がった。僕の意見としては極論ご飯を食べることは暇つぶし、だと思う。なんとなく12時になったから食べる。お腹が空いた気がするから食べる。どこまでが本当なのだろうか。友人は「ご飯食べた後にまだお腹が空いた気がするのは、(なんちゃらが分泌されて)脳がマヒするからだ」と教えてくれた。マヒしてるのがお腹が空く、なら、相当ヤバイ。あと、別に誰も悪くないという前置きをした上で1つだけ。外食チェーンを見ていると『千と千尋の神隠し』でお父さんとお母さんがご飯をたらふく食べて豚になっちゃうあれをどうしても連想してしまう。たしかに出てくるのは早い。飯もうまい。でも目の前には壁。5分とかからず平らげる。なんか見ていて辛そう。嫌な言い方をするならば養豚場みたいだ。誰も、誰のことも責めることはできない。でも、そこに美しさはあるのだろうか。こう考えたのはおそらく前日夜中の3時まで歩いて、3時間寝て、カラオケを3時間歌いまくり、みたいなわけわからない生活をしていたからだろう。

 


福山へ向かう電車に乗りながら、ふと群馬のことが頭をよぎった。ずっと葉っぱの音だけ聞いてのんびりしていたい。寝ていたいと思った。裏テーマであったはずの「どこか住んで見たい場所を探す」が、もうある場所に戻りたい、になったのはおもしろい発見だ。9月のどこかでまた群馬に行こうかな。

 


つづかない。おしまい。