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【七年目の懺悔と大発見・その2】ピストンズを入場させろ

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フリスビーを受け取る姿勢をしている僕と友達

 

 おそらく最後になるであろう、ステージの準備をして帰ってきたら23時を回っていました!演劇の稽古やアカペラの練習でこんな時間に帰宅するのはたぶん物凄く久しぶりです。夜遅く最寄り駅の巣鴨から家に帰っている道を歩くと、なぜか僕の頭の中は大学1年生の時を思い出します。

 ここ数日、「頭の中がホワイトアウト」現象が起きていました。理由はなぜなのか全く分かりません。本当はこの「七年目の懺悔と大発見」シリーズみたいなのをライブ本番まで毎日書こう!と思っていたのですが、ホワイトアウトしてしまったので、無理して絞り出すよりは書きたくなったら書けばいいし、特に書くことが無ければそれはそれで幸せだ!となっていました。が!頭の中で、書きたい欲が少しずつ出てきて、「自分を甘やかそう!(頭の中を言語化しよう!)」という声も聞こえてきた気がしてきたので、書いていきたいと思います!

 

前回はこちら!👇👇👇👇👇👇👇👇👇👇👇

 

 

hasheem32.hatenablog.com

 

直感は当たる

 大学生に入って、演劇を勉強する専攻に行くことで、周りからは「将来は役者になるの?」「演劇は大変そうだね~(この仕事で食っていくには)」というような言葉をたくさんもらった。が、自分の中では大学に入った当初から「大学生で演劇はもうおしまいだ。」と心のどこかでずっと思っていた。なぜだったのだろう。全くもってわからないけれど、心はそう感じていたような気がする。

 おもしろいもので結果こうして卒業を迎える時期になって最後までやっていたのは演劇ではなかった。自分がそう望んだ(演劇をやらないような生き方を選んだ)のか、それとも自然の摂理とか僕の運命とかそういうものが働いたのかわからないが、本当に演劇をやるということは大学で終わってしまっている。(ですが、皆さんの演劇を観るという方はまだまだ続いております!橋本にこれ見てほしい!という演劇があるかたはバンバン教えてほしいです!!!)これが今ふと思い返してみると面白い現象が起きているように思える。あまり未来や将来についてイメージできない自分が基本的にいるのだが、直観的に未来をイメージ出来たらそれは現実化されるのかもしれないということを体験したような気がする。

 

情けない自分と

 これだけ言っておきながら、一年生は演劇に結構時間を使っていた。舞台自体には3公演関わり、ちょっとした劇団のお手伝いなんかもやっていた。そのどれもが印象深いし、その一つ一つに懺悔したいことがらが山のようにある。。。

 演劇は大学でおしまい!という思いを持っていた僕は、演劇サークルには入らず、でも演劇の話はできる。みたいな謎のスタンスを取っていた。が、そんな自分に対して「上から目線の時期はおしまいだ!」という力が作用した結果、久しぶりに舞台に立つことになった。そこの演劇グループは朝練習をするところで、授業の始まる一時間以上前から集まって学生校舎の屋上で発声練習や演技練習(?)なんかをやっていた。最初は僕を含めて三人ぐらいでのんびりやっていたが、知らない間に仲間は増え最終的に10人弱で公演をすることになった。諸々あって、とてもこの現場の稽古には苦しんだ思い出がある。基本的には、自分の演技が下手ということ、高校で演劇をやっていたというプライド(初めての人がここにはたくさんいた)、その他たくさんの要因が重なった結果、己のザコさを実感し初めて悔し泣きを帰り道でした。嬉しいことに僕の帰り道はほとんど人がいなく、イヤホンと眼鏡をはずせば(視力が0.001ぐらいだから視界がぼやける)もれなく自分だけの世界に入ることができ、恥ずかしがることなくモヤモヤした気持ちを抱えて、うわー!!!となっていた。ゴスペラーズの『東京スイート』という曲がなぜだか心に染みた。以後この曲は「帰り道に鑑賞に浸るタイム」にもれなくかかる曲となる。

 この時の自分に対して、たぶん演技の未熟さとかテクニック的な話よりもプライドとか自分を素直に出せなかった何かが絡みついていたのが原因だったのではないかと思う。本当はプライドなんか手放して、もっと体当たり的にオラオラー!!!とぶつかっては転んで、ぶつかっては転んで、を繰り返すことで相対的に強くなるという、いわゆるサイヤ人方程式と同じ原理でやればよかったのだと思う。自分を開いて「どんとこいやー!!」となるのが理想だったのかと思う。このころは自分をオープンにする(そうすることで何かが舞い降りるかもしれない余地を作る)という選択肢すら持っていなく、悶々とした数日間を送っていた。

 

「Detorit Pistons intro 2005」

 演劇の神が現れたのだろうか、本番2日前ぐらいの稽古にて、人生で一番良かったと思える演技をすることが出来る。これ以上の心地良さを持った演技をしたことはこれより前を見返しても、この後を見てもない。その時のことを事細かに書いてみて、何が起きたのか、どんな力が作用したのか、見つめてみたい。

 その日は通し稽古が行われ、本番同様の状態で演劇をする。ド頭から僕は舞台上にいる役だったので、舞台の上で演出家がGOサインを出すのを待つ。この時に目をつぶり集中していたのだが、突然「デトロイト・ピストンズ」というバスケットボールチームの2005年の選手入場シーンが頭の中で流れ始めた。僕がこのチームのこのシーンが好きな理由はたくさんあるのだが、ユーロップの『The FInal countdown』という曲がとても選手の入場の盛り上がりとリンクしていてかっこいい。あとは選手を呼ぶアナウンサーが楽しそうだ。ここ10年近くこのチームは優勝からほど遠いところにいるのだが、2004年当時は恐るべきディフェンス力をもってしてリーグの優勝争いをしていた。過去の栄光という事にはなってしまうが、僕はそうとは思えず、過去は凄かったんだから未来もある!(だからお前もこれからは明るい!!)というところがひどく感動した。これを観たり聞くと、全然泣くところでもないのに泣けてくる。

 


Detroit Pistons Intro Game 5 NBA Finals 2005

 話は演劇に戻り、目をつぶって『The Final countdown』が流れてきた。この時「あとこの仲間と一緒に演劇ができるのもあと二日しかないのか」という僕の気持ちと曲がもれなくリンクして、物凄く目が熱くなった。みんながいるところでこっそり一人悲しみとそれに打ち勝つ勇気を抱き泣いていた。感動で心を溶かす(自分の殻を外す)ということを体験したように思う。その時も何か自分の中で軽くなったような気がした。結果として人生で一番納得のいく、周りも納得のいく演技ができた。本番よりもこの日の方がよかった。

 もっと他の何かが作用したのかもしれないが、僕が覚えていたのは頭の中で選手が入場してきたシーンである。なんでこれが自分をさらけ出すきっかけになったのだろうか。全く分からない。が、何か思いつめている時は頭の中で選手を入場させればいいのかもしれない。僕の気持ちが落ちている時の処世術として「Detroit pistons intro 2005」で検索をする、ということは有効かもしれないと思った。

 

 一つだけこの公演にまつわる懺悔をしてこの話は終わりにしたいと思う。自分の不甲斐なさにおぼれている時に、みんなは声をかけてくれた。そのことは今でも覚えている。だが、その時の僕はあまりにもテンションダウンしていたので「話しかけないでおくれ、、、、!!!」となっていた。公演が終わってから結局その時声をかけてくれたことへの感謝は伝えることが出来ず、今思えば相当失礼な奴となっていた。素直にみんなの声を受け止めることが出来なくてごめん。あの時声をかけてくれてありがとう。本当は飛び跳ねるほどうれしかったけど、自分の至らなさを受け止めることがこの後につながると思って言葉を返すことが出来ませんでした。あの時はありがとう。

 

 書いて見ると、まだまだ書き足りないことは山ほどあるのですが、もう時間も遅くなってしまい、明日の練習もあるので、今日はここまでにしたいと思います!この調子だともれなくラストライブが終わった後も書き続けるような気がします!!!それでも良いのでしょうか!!!

 

 

つづく、、、、

 

今回の懺悔ポイント!

・あの時言葉を返せなくてごめん

・プライドをはじめとする、自分の殻を破るものを取っ払え!(裸でぶつかれ!!!)

 

大発見

・僕にとって『The Final countdown』は効果的である!!