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【七年目の懺悔と大発見・その3】バランスを取る

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 人生最後(?)のライブまで残すところあと一日!今日も今までステージに関わってきた記憶を掘り起こして、自分の見つめなおすべきところ、自分を受け入れるところ、こういう選択肢もあったかもしれない!という自分への可能性、などなどを文章に起こし、何か気付くことが出来ればGOODだと思って、記事を書きたいと思います。

 

 余談にはなりますが、今日の帰り道はスマホに入っているSuicaアプリを開いて残金を見たところ残っていたのは134円で、もれなくチャージをしなければ帰ることが出来なかったので、歩いて家に帰ることにしました。その途中、二組ぐらいの親子に出会い、そのどちらもとても素晴らしい雰囲気だった(子供と親がどちらもめちゃくちゃ楽しそうにしていた!!)ので、ああ、これは明日もいい一日になりそう!という気がしております。天気予報もつい先日までは雨だったのが、先ほど見たら晴れに変わっていました。これは明日という日がみんなにとっていい感じの日になるお告げなのだと思います!(明日のライブがいい感じになりますように!) 

 

余談・ライブまであと少し

 ライブ開始まで、24時間を切っている。今日も8時間ほど練習兼打ち合わせをして、明日の本番に備えた。こんなに時間は使ってきたものの、もちろんまだまだ作り込みが甘いところはたくさんある。今までだと本番直前になって急ピッチでその穴を埋める作業をしており、実際本番当日になるまで不安だった思い出がある。それに対応して、自分の気持ちも「しっかりやらないといけない」と意気込み、顔と心がこわばっていた。しかし、僕もそうなのだが、メンバーの顔を見ている限り、まだまだライブ自体の余白はたくさんあるものの、どこか余裕と朗らかさを感じる。いい顔をしている。

  このことは凄いいいことが起きているような気がする。上手く言葉では言い表せないのだが、前までは「ライブをきちんとすること」が目的になっていた。それはアカペラのレベルや、ライブ全体の内容の完成度といったことのような気がするが、今回は「好きな人と大切な時間を共有すること」に重きを置いているため、正直ライブの完成度よりも、一緒に舞台に立つ仲間に対して、僕が呼んだお客さんに対して、誠心誠意向き合うことが出来るのかがテーマである。こうなってくると、あくまで歌のうまさや内容というのは手段に過ぎない。目の前にいる大切なあなた(仲間&お客さん)にプラスの感情を少しでも伝えることが出来れば僕にとってのこのライブは大成功になるのだと思う。そのために必要なことは、かっこつけず、いつも通り誠実に向き合うこと、それだけだと思う。

 今までのライブ前はしっかり髪型を整えて、白髪も染めていた。しかし今回髪型を整えることには成功したものの、頭皮がセブ島に行った時に日焼けしてしまい、更にお金が尽きてしまい白髪を染めることが出来なかった。が!これはもう「お前は残念ながらかっこつけることはできません!いつも通りやってください!」と言われているような気がして、逆に心が落ち着いた。ライブに向けて必要なものは誠実な心オンリーというのはなんと身軽なのだろうか!なにかを背負うことでやりきった感を得ることはできる。しかしもれなく心のロスや、消失感にとらわれる。ならば特に何も背負わなければ何が得れるのだろうか。これはある意味実験だ。明日のライブがとても楽しみになってきた。

 

 

前回の記事はこちら👇👇👇👇👇👇👇👇👇

 

hasheem32.hatenablog.com

 

 

 僕の青春、、、

 昨日のことになってしまうのだけれども、突然友達から、以前僕がやっていた大学主催の演劇プロジェクトについて尋ねられた。知り合いが興味があるのでどんな感じだったかを聞かれた。僕は「青春ができると伝えて!!」といった。懐かしい。僕は大学一年生の時にこのプロジェクトに参加していた。今思えばここでは青春をしていたなあなんて思う。それほどこのプロジェクトに対しては一回しか参加していないのにどこか思うところがあって、今でもたまに思い出すことがある。

 このプロジェクトはイギリスの文豪、シェイクスピアの作品を学生だけで上演するというのがテーマになっている。そして公演をするホールは約1200人を動員できる所で、もしかしたら渋谷にあるシアターコクーンや、初台の新国立劇場といった、よく使われる劇場よりも動員数は多いかもしれない。この規模感からも分かる通り、相当気合の入っているプロジェクトである。

 

 友達が企画してくれた演劇で、もれなく自分のダサさに敗北した僕は、「この現場では死ぬ!(己の出せるモノ全てを出し切って、精魂尽き果てよう!!)」という思いを胸に抱きこのプロジェクトに臨んだ。この時は役者としてではなく演出助手として参加していた。僕は「演技は下手だけど、役者には寄り添える(少しは気持ちがわかるかもしれない)」ということを思っており、現場で役者と触れ合えるこの仕事を、適役じゃないか!!!と感動した。さて稽古が始まると、僕は何をしたかというとめちゃくちゃ笑顔と愛想を振りまいた。話したことのない人(苦手そうな人は避けた!)にすり寄った。ポジティブオーラを出せば、万事いいことが起きると信じていた僕は約一か月間ぐらい元気に頑張ったが、途中から笑顔や愛想を出すことではなく、思っていることを真正面からぶつけていくスタンスに変えることにした。具体的に言うと、あれ?と思った演技に対して嫌われる覚悟でズバズバ意見を物申した。もうこれは主役の4年生にも3年生にも言った。なるべく人に合わせて口調や伝え方も意識した(つもり)。メンタルがガラスの人には上手く寄り添う感じで話した。このあたりは結構頑張っていた。

 

 が!ある日、事件が起きる。ある日の稽古、あまりにも適当に稽古をしている人たちを見てツンツンしていた僕はイラつきのあまり学校の壁を恐ろしい勢いでハイキックした。文章にすることは難しいのだけれどものすごく心にモヤモヤが広がっていた。結果、人に文句を言うのではなくモノにあたる方式を選んだ。綺麗なハイキック(タイキックみたいな感じ)が決まりいい音が校舎に響いたものの、足の親指を負傷した。その日はあまりの痛さに靴を履くことが出来なかった。当時、演劇プロジェクトとアカペラの二足の草鞋を履いていたのだが、次の日のアカペラの練習に「壁を蹴って足が痛いから30分遅れる」ことになり爆笑された。一つ得た教訓としては「壁を蹴るときはハイキック(指が痛くなる)ではなく前蹴り(足の平たいところを使う)にするべし」というもので、実は後にこの教訓は活かされることになってしまう。今では絶対に考えられない。。。。

 しかし、自分の気持ちを正直に伝える(壁を蹴ってしまったけれど)ことにシフトしたことで、僕が信頼できそうな人を見つけることが出来た。これは大発見だ。この時の僕は、ダークネス感を漂わせており真面目なんだか、ひねくれものなんだかわからない感じになっていた。そのため僕は周りから好かれていなそうだなと思っていた。一方で僕のことを受け入れてくれる人の存在にも気付くことが出来た。当時は日々愚痴をこぼす感じでその人たちに甘えていたけれども、本当はものすごく嬉しかった。この人のことが好き!と思えた時、心がとても楽になるような体験をさせてもらっていた。何とか最後までプロジェクトに参加し続けられたのは皆さんのおかげです!

 八方美人になることはできないけれど、自分のことを受け入れてくれる人の為なら頑張れるというのは、なんとなくだが今にも続いている傾向ではないかと思う。

 

バランスを取る

 僕はバランスを取る。みんなが真面目にやっていると「ふざけた方が楽しいで~」と言い、みんながふざけてると「まじめにやれ!!!」と言いたくなる。なんなら言った。片方に思念が集まるとそれを崩すが如く、真逆のことを言い、惑わす(選択肢を増やす)。天邪鬼とも言うのかもしれない。これをやるともれなく「お前は何がしたいのだ!」と言われることがある。ただ単に、みんなと同じことをしたくない、みんなが同じ雰囲気なのはなにかやばい気がする、と危惧しているだけなのだと思う。運がいいことに(?)バランスを取るような人のポジションがこの時は空いていて、俺がやるしかねえ!となった。結果いつも、わちゃわちゃ楽しそうにしている輪には入らず、ただ佇んでいた。とは言っているもののたぶん本当は楽しそうにしている輪に僕も混ざりたかった自分が居たのだと思う。しかし、それを僕がやってしまったら歯止めが利か無くなりそうだな~と感じたのか、頑なにしなかった。

 周りとのバランスはとれるくせに、自分の中の気持ちのバランスを取ることは下手糞だ。本番直前の楽屋にて、みんながメッセージカードを書いていた。打ち上げでプレゼントする用のものらしい。しかし「打ち上げに行けると思うなよ!!(まずは目の前の本番をやりきることが最優先だろ!!)」と僕は思った。また、千秋楽の直前、舞台裏で感動(これが最後の舞台だ、、、)の嵐が巻き起こりお互いに涙してハグしたり手を握っていたが僕は、「泣くとセリフが走るから、泣くな!お前らのための舞台じゃねえぞ!客に伝わってこそ舞台だ!」と思い淡々としていた。これは真面目なのだろうか何なのだろうか。今に集中しろ!!という考えは今でも残っている。特に一人で行動するときなんかは、戒めとして「未来より今!(明日があると思うな!)」と自らに言う。

 しかし「正義感の押し付け」になってしまっていると思う。演劇を成功させることが目的になっていた節があったけれど、本当は「演劇を通してあなたと私でぶつかり合いましょう(そしてお互いの世界をひろげましょう!)」が正解なのだと思う。だから終わってもいないのにメッセージを書くことに対しては割り切って、感謝の言葉を書けばよかったし、感動タイムには僕も一緒に感動してそれからみんなを鼓舞すればよかったのかなと思う。何を前提に置くか。どれだけ根源的な事に自分のテーマを置くことが出来るかというのは大事なことである。物事よりも人にフォーカスを当てて生きていきたい。これからの人生にも深く関わっていきそうなことである。

 

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舞台裏のインカムBoy

 

 バランスを取りすぎて(まじめにやれ!!と言いすぎた)プロジェクトが終わった後、これといった繋がりは残らなかった。周りが離れたというよりも、自分の中で壁を作ってしまっていたような気がする。バランスを取るというのは難しいことだなということを振り返って今こうして文章にして始めて分かった。ちなみに実務的な話で行くとこの演出助手という仕事は全くできておらず、へっぽこりんちょでした!(皆さんすいませんでした!!)

 

 一方で、演劇プロジェクト関係者ではない、友達から「演劇頑張って!!!」という励ましのメッセージをいただいていたことを書きながら思い出した。こういう言葉は本当に支えになる。明らかにひん曲がっていたものの自分なりのスタンスを貫き通していた(自分は全身全霊で臨んでいたつもり)ことによって、現場にいない人からもポジティブエネルギーが送られてくるというのは凄い力が働いているような気がする。

 このプロジェクトが始まる前は、持てるものすべてを絞り出したらきっといいことがあるとなんとなく信じていた。ちなみにその時はなにかが巡り巡って女の子と付き合えるかも!?と未来に期待を寄せていました!笑

 巡り巡った結果、思わぬ所から励ましの言葉をいただけたことで、ああ、まだ捨てたもんじゃないんだなと思ったのを強く記憶している。がんばっていれば必ず誰かは見ていてくれる。それは隣にいる人かもしれないし、全くであったことのない人かもしれない、もしかしたら自分自身が見守ってくれているのかもしれない。どれにせよ、希望はいつも自分で生み出すことが出来るし、そのためにならまだまだ力を振り絞ることが出来るんだと思った。

 

 

さて、ここまでバーっと振り返ってみました。この年はボリューミーだったので、めちゃくちゃ長くなりました。が!ほとんどこれ以降は懺悔がありません!もしかしたらあと少しでおしまいになるかも???

ということでひとまず今日はここまで!明日のライブは果たしてどうなるのでしょうか??

 

つづく、、、、

 

今回の懺悔ポイント!

・壁を蹴ってごめんなさい

・メッセージをかけず、一緒に感動できずごめんなさい

・皆様とのバランスはほどほどにとります、、、

今回の大発見!

・頭皮までもがいつも通りやれと言っている

・向き合う対象を人そのものにしたら、見方が変わるかも

・自分をいい感じに貫けば、いい感じの風が吹く