Pick & POP

Welcome to my page !!

会いたいと思える人が一人でもいることに賭ける

 


今日も山口県は下松市でおばあちゃんの家に居候している。ありがたいことにご飯はもちろん、コーヒーやらお菓子やらも頂き、生活的には何不自由ないところに居させてもらえている。いとこの家族が土曜日に勢ぞろいするということでそれまではこちらにいさせてもらい、それ以降はまた移動する生活が始まると思われる。

 

f:id:hasheem32:20180603143914j:image

f:id:hasheem32:20180603143921j:image

f:id:hasheem32:20180603143927j:image


光市の総合公園には綺麗な花が咲いていた

 

f:id:hasheem32:20180603143950j:image

f:id:hasheem32:20180603143954j:image


おばあちゃんは更地からお花畑やら畑やらを作ったらしい

 

会いたいと思える人が一人でもいることに賭ける。


これから移動する先はさまざまで、基本的には僕が会いたいと思っている人が居るところへ行き、あってご飯でもしながらお話しでもしたいなと思っている。いま、この「会いたいと思う人」がいることって結構大事なんじゃないかな?と思う。

 


僕は性格上、1人でいることが好きなタイプなのだが、その癖して1人の時間が長すぎると「俺って誰からも誘われないしぼっちかよガビーン」みたいに落ちるときがある(そういう時は大抵お腹が空いてるか、歩き過ぎの時である)。この「ぼっちかよガビーン」のメンタルになることって僕だけではないんじゃないだろうかと思ったりする。ひとりでに勝手にやられちゃってるパターンは、誰にでも当てはまる瞬間ってあるのではないかと思う。やられちゃう思考回路が成立してしまう理由としては、たぶん、「俺って誰からも必要とされていないんだ、、、」から来る不甲斐なさ、価値の欠如みたいなのを勝手に感じてしまうからなのだと思う。みなさんはどうか知らないが、僕はこのドツボに頻繁にはまりそうになる。ドツボから抜け出そうとすると「どうすれば人から必要とされるのか」を考え出すことがある。が、しかし、冷静になるとこれはダサいなと思った。

 


これは「周りから必要とされていない自分」を勝手に自らの頭の中に作って、自爆しているだけだ。会いたいと言ってくれる人がいなくたっていいじゃないか。1人の時間だってめちゃくちゃ大切だし、たくさん知り合いがいていつも誰かと会ってる人を見ても「うわべだけで薄っぺらそ~」とか意地悪なことを思うことだってある。そこで僕は「会いたいと思ってくれる人が多い」ことよりも、自分の中に「会いたいと思う人」が1人でもいることの方に価値があると賭けたい。愛されることよりも自分が愛すことに価値を置きたい。こうすればモテる!的なHow to (どうすれば愛されるか)が溢れている中、その逆(どうすれば愛せるか)はあまり見かけない。「モテる」には打算性が入り込み、その逆は無償の愛感がある。絶対できたらかっこいい。ただ愛を伝えるために「会いたい人」に会いに行く。そんな西日本ツアーにしたいと思う。

 

 

とかどうとか散々言っておきながら、会いたいと言ってくれる人が現れるとバカみたい喜ぶ。メチャクチャに嬉しい。東京に帰ったら会いたいと言ってくれてる人(僕も会いたいと思ってはいたが)の元へ一直線に馳せ参じようと思う。

 

つづく!!!