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日曜日のSHAKE

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昨日、山口県下松市から、広島を経由して岡山に来た。電車とバスの乗り継ぎは意外といけるもので、窓から見える景色を見ながら、「おれは今さすらっている、、、」という半分気持ちよく、半分気持ち悪い浸り方をしながら移動する。今回の目的は岡山に住んでいる友達D君に会いに行くことだった。右手にリンゴと夏みかんの詰まった紙袋を下げて向かう。結果から言うと彼との時間は最高なものとなった。

話してみて面白かったことを書きます。

 

 

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1.世はJoyだ!

D君と出会う場所を決めて、彼はそこに自転車で颯爽と現れた。大学の時と変わらず元気そうでなによりだった。岡山のレンタサイクル「モモチャリ」を僕は使い、彼とともに岡山周辺をサイクリングしてみようか!と動き出したところ、突然彼の仕事用スマホに連絡が入り、お互い少しざわつく。いろいろな細かいことは省くが、まとめると、仕事上の話で、謝罪メールを書かなくてはいけないことになってしまったらしい。完全に動揺しているD君とともに「とりあえず店に入ろう!」ということになり、焼肉屋へ行く。席につき彼のメール姿をそっと見つめる。と、彼が「こういうの苦手なんだよね~」とメールを見せてくれたので、なぜか僕から情景反射的に「こういう時こそJoyで行こうぜ!!」という言葉が口をでた。そうしたら一気に空間の雰囲気が変わった。不穏な空気が流れる時こそJoyだ。その後赤ペン先生的なノリで「おれ添削してあげるよ!」となったり、彼も、確かに!!!みたいになり結果モヤモヤが溶けたことで、美味しい焼肉を食べることができた。

 

 

 

別に何かいいことを言おうとして「Joyだ!」となった訳ではない。なぜだろうか。最初はメールの文面を見て僕も真面目に考えていた。せっかく2人いるんだから共同作業でメールを完成させたい!と僕は思い、気づいたら気持ちが結構Joy寄りになっていた。ので溢れた気持ちが思わず口をでたのだと思う。このあとD君とずっと「世はJoyだ!!!」みたいになって、2人の中での急上昇ワードになった。

 

「仕事として真面目にやらなければいけない」みたいな雰囲気はいろんな場面いろんなことで、僕も感じ他人にも感じてきたけれど、もしかしたら仕事の根本にあるのはJoy(楽しむこと)であり、「ちょっと腰が引けて嫌だな~」と思っていることでも、「よし、やってみるか!」と前向きになる可能性を秘めているのかもしれない。完全に節穴だった。

 

2.チームプレーがだいじだそうです。

 

 

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ドラゴンヘッドとドラゴンテイルという占い(?)をたまたま発見してやってみた。そこには直すべきところとして「なんでも1人でやりすぎるところ」、伸ばしていきたいところは「チームプレー」だと書かれていた。

 


チームプレーというと僕がイメージするのはスポーツだったり会社だったりする。何かわかりやすい括りの中で役割分担をしてやって行く。がしかし、今回の西日本ツアーを通して、違う形でのチームプレーって存在するんじゃないかという気がしてきた。

 

 

 今会社で働いている人たちは基本的に仕事を同じ場所でして、お金をもらっている。そこでの生活はやりたいことがあるのかないのか知らないけれど、場所と経験では限定的ななものを感じる。一方好きなようにあっちこっち動き回れる代わりに全く金がなく、死ぬぅと日々なっている僕がいる。

今まで異物としての生き方だと自分のことを卑下してきたのだけれど、そうじゃないのかもしれない気がしている。ちょうどいい感じに働いている人にはできないことをできる。例えば移動が最たるもので、その人が見れない景色、できない体験をぼくが担っている。そう考えると、優越感ではなく、一緒に生きている感じがした。

 

全く話はズレるのだが、先日広島県で会いたい人に連絡したところ、なんとスペインにいるということでお断られた。会えなかったことが残念と言うよりは、僕が行って見たい国No.1スペインに行っていることが嬉しかった。ぼくもスペインに行きたくなった。その人から僕は夢をもらったのでこれもチームプレーだ。

実は友人と大学の時から一緒に行こうと言い続けて実現しなかったスペインへの旅をもう一回考え直しても良いかもしれない(彼もさすらっているらしい!)。こういうチームプレーもありかもしれない。

 

 

3.何者にもならない

 

D君に「『何者』っていう映画みた?」と聞かれた。名前だけは聞いたことがある。教えてもらった話をざっくりまとめると、人は皆何者かになろうとしていて、それを就活を使って表現した、作品らしい。見たことがないので映画について詳しくは語れないが、何者にならなければいけないみたいな感覚ってとてもわかる気がする。仕事があって、金があって、家族がいて、フォロワーがいて、海外移住して、独立・起業して。何か動き続けていないとダメで、何かを成し遂げていないと無価値で。特に僕の場合、演劇やアカペラをやっていてこの脅迫概念に迫られていたことを思い出す。観客の入らない公演・ライブには価値がない。実績を上げないといい場所で舞台ができない・歌えない。他の世界でも往々にしてあるのだろうか?

 


D君曰く、何かを成し遂げても先がまた現れてくるループから抜け出せそうにない、と話してくれた。漫画『バガボンド』でいう武蔵がひたすら天下無双とは何かを求めて斬り合いをしている様子と頭の中で重なった。自分の強さを探すために斬り合い続ける武蔵。そんな武蔵に切られた準ライバル?辻風黄平は「これで殺し合いの螺旋は降りた」と一種の清々しさを込めた言葉をいう。人を殺すことに生きる道を見出して来たのに、殺されたことにより光を見た黄平。その意味が分からずに切り続ける武蔵。武蔵の中では殺しの螺旋が続いている。そんな様子が彼の話を聞いて頭の中で連想された。ぼくたちはいつまで外側に張り付いたもの、見えない先を求め続けるのだろうか。いつまで自らの力を主張することで生きる道を見つけ出すのか。そしてこの螺旋から降りることはできるのだろうか。その先はあるのだろうか。

 

 

 

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僕自身、何者かにはなれなそうな気がする。理由は、単純に自分をよく見せることが下手くそすぎる。自分を何者かに見せようとしてもネットを使った発信力もなければ、人から信頼される的な影響力もない。変にうまく見せようとすると気持ち悪い感じになる。そこで僕が打ち出したのは「何者にもならない」である。ただそこに在る者としていること。何か目指すのであればそうなりたい。

 

最近自分が何者かで在るかを頑張って示している人が多い、と感じるのは僕だけではないのではないでしょうか?なんならこれからフリーランスの人とか起業する人なんてのは当たり前になってきて、もっと自分にはこれくらいの価値があって、スキルがあって、フォロワーがいて、年収があって、みたいなのを主張しなければいけない人が増えるのではないかとすら思います。これからの時代はこうなる、的なことを書いたがこれはカッコつけで言ってみたいだけで、単純に「みんなと同じはイヤー!」というお子ちゃまな理由が本当である。何者にもならない先に残るのは一体なんなのだろうか。

 

 

 

焼肉を彼にご馳走になり、自宅にまであげさせてくれた(なんとこの日彼は布団を用意してくれて泊まらせてくれました、、、!!ありがとうございます!!!)。シャワーを浴びたところで、なぜか歌いたくなる。カラオケに行くためだけに外出する。岡山の夜は静かで良い。語りながら夜道を歩き、一時間みっちり歌いこんで最高の時間を過ごしたのだった。次の日仕事があるというのに、夜中まで一緒に過してくれたD君に感動した、そんな1日だった。

 


つづく!!!