弱いままで、いくさ。
引きこもりすぎて、もうこんな人生うんざりだ!となった僕は何も用事がないことをいいことに、豊洲のららぽーとへお出かけをした。なぜ豊洲のららぽーとなのか?理由はない。強いて言うなら「フカフカしたベンチに座れる」からになるのだろうか。東京の家にもフカフカしたソファはある。だけれど、この停滞感をぶっ飛ばすにはまずはどこかにお出かけすることが最善だと思っている。
実家にセルフ幽閉されて早1週間が過ぎた。移動していた期間の1週間と何もしない1週間は確かに違うがどちらも必要だと思った。
— 橋本真嗣 (@hasheem_32) 2018年6月16日
因みに貯まったのはゲームの総プレイ時間と料理の経験値(こっち大事)だけであった、、、 https://t.co/C5BP72dUQN
実際に豊洲のららぽーとでは、それまで「やる?やらない?んーどうしよう?」みたいな感じで滞っていたことを一つ前に進めることができた。成功である。あと、休日ということもあってガキンチョがたくさんいたのも良かった。大人と酒を交わしてなんかそれっぽいことを喋っているよりも、ガキンチョパワーを直に感じている方がよっぽど、僕の奥底に眠っているエネルギーを引き出してくれる。ガキンチョは太陽だった。
笑顔に負けたぜ。
さて、やりたいこともベンチに座って5分で終わったので、すぐにららぽーとを出た。そこから「自宅を目指して三千里(ほんとは30000歩)」を自主開催することになり、なう、後楽園のスターバックスコーヒーというお店でこのブログを書いている。
4時間ぐらいぶっ続けで歩き続けた僕は、もれなく右足の股関節がおかしくなり、歩くこともままならなくなったので、休むことにした。コーヒーだけ買うつもりだったが、笑顔のとても可愛らしい店員さんに「このケーキめっちゃオススメです!」とオススメされた。店員さんの可愛らしい接客にKOされた。疲れていた僕は「俺が出費することで貴方が笑顔になるならいくらでも出します!」的なマゾヒスティック根性が発動し、いつもなら買いもしないケーキを買ったのだった。が!これが素晴らしく美味しく、しかも、食べてから初めて、あっ、お昼ご飯食べてない!(現在18時!)と思い出し、これは神のお導きだったんだな!みたいな訳の分からない着地を決めることができた。
弱いままで、いくさ。
豊洲から後楽園まで歩きながら「強さとは何か、弱さとは何か」みたいなことを考えながら歩いていた。強さとは何なのだろうか。社会的に地位が高いことだろうか。お金があることだろうか。パートナーがいることだろうか、パンチングマシーンで高得点をはじき出せることだろうか。本当の強さとは優しいことだろうか。待った、だんだん週刊少年ジャンプ的な問いになってきた。その定義は、意味は、漫画にお任せする。
以前、僕は、自分がどれだけ強いかを争い、それを見せつけている時期というのがあった。相手よりどれだけ優れているかを競っている際、気にしているのは「どうやって自分を強く見せるか」についてだった。ここが強みだ。だからこれを出そう。俺はこんなことができる、だから強い。こんな感じでずっと戦い続けた。年上、年下関係なくやって見た。なるべく強いやつとつるみ自分を大きく見せることもあった。結果、自分のそれっぽい強さを誇張し、それでも自分には価値がある!と吠え、弱いところを見せずに強いところだけを見せてきた。
僕には幸いなことに?逃げる、という手を使える人間だった。カッコ良く言えば、戦いから自ら勇退をし、言っちゃえば逃走した。争いから逃げ続けた。それは他人との争いはもちろん、自分の中にいる、「よく見せようとしているマサツグ」との戦いからも逃げた。結果はこんな調子である。
たまに、「新卒で働かない方行くとか勇気あるね!」とか「なんかその生き方見てたら元気出た!」とか言われることがある。乱暴にまとめると、僕にはこれしかなかった、のである。働いたところで数ヶ月して「なんだこの仕事は!(仕事はできない)」と自らに悪態をつきながら、それでも、我慢して何となくボーナスとかもらって、それっぽく生きていたのだと思う。結婚も普通にして子供も、、、みたいなことを分かりやすい感じで送っていたのかもしれない。僕はそれっぽく生きることも出来るんじゃないかと思う。どこかで何かつっかえたものを抱えながら。なんか予想がつく。が、もう1人のマサツグは「嫌ならやめろ!死にに行け!採算なんて考えたら終わりだ!」と言った。ありきたりな言葉になるけれど、レールから脱線した。だからこんな調子だ。根本は逃げの発想だ。少なくとも強い方の分類には入れないと思う。
この間初めてニートと言われた。言われたことのショックよりも、言った人はどこか欠けてるな~と思った。ちなみにその人には職も彼女もお金もある。でもそんな言葉を使って僕を下げ、自分をあげているようにしか見えなかった。これが一般的にいう「強い」なのだろうか。軽く悪態ををつくと、ニートの定義には「家事をしない」ことが入っているが、申し訳程度だけれど家の家事は全部僕が担っており、ちげえし!と弱者なりの反論をかまして終わりにしたいと思う。
ずっと強くなりたかった。俺には価値があると示し続けた。限界はすぐにやってきた。
今、強くなるよりも、弱さを前面に押し出して、誰かに弱い部分を補ってもらいたいと思う。もう無理なものは無理なのだ。たまに弱さに潰されそうになる。カップルを見たら、「そのレールからは降りたのだよ、、、」とか、夜中突然「俺なにやってんだろ、、、」とか勝手に自滅してる。自分だけの人生を!的なサムシングで始めたこの生活も、30打席に1ホームランぐらいの、あとは全部三振、ゴロ、フライ、的な感じである。決して毎日充実とは言えない。けれど、弱いまま行った結果、普通だったら絶対に会えない素晴らしい出会いもあった。人の善意に触れることもなかった。自分が弱いなんて、誰かのお陰で今生きてるなんて思いもしなかった。
世間的に言う幸福みたいなものを満たしている人を見て、俺はこうはなりたくないと思った。
— 橋本真嗣 (@hasheem_32) 2018年6月20日
世間を呪っている目をしている人を見て、俺はこうはなりたくないと思った。
ただ前を向いて生きている人を見て、俺はこう”ありたい”と思った。
俺は弱い。いいんだ。隠さずに、このままいくんだ。弱いなりに前を見る。守るものはない。「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」という、僕の大好きなアニメ『交響詩編エウレカセブン』のセリフが脳裏に浮かんできた、、、
つづく!!!