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弱さと料理とこれからと。

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多動っぽい日々とは縁遠くなってしまって久しい。世間的に見たらニートと言われてもおかしくない生活を送っている。誰からでも罵倒されたり、バカにされたりしてもいいんだけれど、単純に自分自身に飽きてきている。今、ニートの役で舞台に出てくれと言われたら、程よい演技ができる自信があるくらいに気持ちがよくわかる。多分、ニートは自分の人生に飽きているのだと思う。引きこもっている人は本当は何かジレンマ抱えているだけで、外に出たい気持ちもあるのだと思う。

 


あと、専業主婦のみなさんの気持ちも少しわかる。ごはんを作るスキルだけはレベルアップしている。適当に家庭料理を作ってくれと言われたら、作りに行けちゃう。その一方で、いつも同じ時間に同じことをして終わることのない作業(という名の家事)を数年も続けていたら、これは自分が腐ってもおかしくない。半端なく飽きる。最初は家を綺麗に保つ、家を管理することが楽しかったけれど、慣れてくると家事をしなければいけないという義務感にやられてくる。今までこれを一手に引き受けてきた、我が母親に対してリスペクトの思いしかない。そしてリスペクトが足りない男性陣(父親と弟)に対してなぜか僕がプンスカしている。

 

 

弱さと料理とこれからと。


普通、男ならば、どれだけ昇進するか、どれだけ稼ぐか、どんなもの(お金がかかる家や車など)を買うか、どれだけ知識を得るか、人生において成功できるか、を意識するだろう。そんなイメージを勝手に持っている。下は見ない、前へ他人より前へ、他人より上へ。

 


僕はたまに、「どれだけ社会的に落ちることが出来るか」の方が大事そうと思うことがある。学生だった頃からこんな事を思っていたのは、性根がひん曲がっているのだと思う。でも社会的に落ちれば落ちるほど、外側にあるものを剥がせば剥がすほど、自分の中心に近づいている感覚は強くなっている。剥がした先に残るのは、体そのものの神秘だったり、愛することの尊さだったり、そういうことなのかもしれないと感じる。それならば、もっと離したい。中心に近づきたい。そんな社会的地位のレベルダウンを潜在的に思っているから、サムライヘアーとか、新卒無職とか、山籠りとか、そんな事をしているのかもしれない。

 


ニートだって、専業主婦だって、なぜかスポットライトは真っ当な仕事や生き方や正しいとされる人間に奪われてしまう。でも一番ハードな時間を過ごしているのは彼らで、一番リスペクトを贈られるべきは彼らだと思えてきてしまう。新卒で無職という選択をしてよかったことの1つとして、「弱い」とされる人、「弱い」とされる考え、「弱い」とされる状態、そう言ったものに対して、優しくなれたことだと思う。

 


ぐだぐだと書いてしまった。スタンダードとして、この気持ちを忘れたくない。だから書き留めておいた。あくまで自分は弱者であること。ザコであること。言い訳としてじゃなく、伸び代が山ほどあるということ。そんな事を思い、今日も家族の夜ごはんを作る。今日はチャーハンだ。王道飯ほど難しい。テレビでもいつもプロの料理家が、ご家庭チャーハンにダメ出ししている。それほど難しい。人生も同じ。王道ほど険しい。けれどみんな目指したがる。僕にはそれができなかった。ならば、オリジナル、創作料理を閃けばいいのだ。自分の満足度だけが基準のオリジナル飯(人生)を開発するのが突破口だ。レシピは自分の中に。全ては想像力に任せて。自分の中心へ。

 


とか言っていたら、面白い作戦を閃いた。どんな世界をこのノーワーキングマンは切り開いていくのだろうか、、、!

 


つづく!!!