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我が魂はボロ小屋とともに

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群馬県赤城山のおなじみの小屋にいる。平成から令和へと変わるあたらしい節目を山ですごした。実感はほぼ皆無だ。

ここに来ると必ずギターを弾く。前回来たときはビートルズのレット・イット・ビーを練習していたが、一向に上手くなる気配はない。が、なぜか、ゆずのサヨナラバスだけは最初から最後まで弾ける。この曲はぼくが小学生の時、とても好きだった先生がたどたどしくも弾いてくれた曲だ。自分に何かしら縁故のある曲なら弾けるということなのだろうか。なぜかこの曲だけは大丈夫なのである。

 

愛情を込める。


ちょうど1年前、この赤城の家をつかいはじめた。最初は「このオンボロの家で生活するのはタフだぜ、、、」と思っていた。それから少しずつ、部屋の中をそうじしたり、外の庭?を綺麗にしていったり、少しずつ、少しずつ、気持ちをかけてあげることで、今では何の不自由なく生活することができている。

 


じゃあ見た目がすごく変わったのかというと、1年前と比べて、さほど綺麗にはなっていない、というのが本当である。バカな人は「変わってないのかよ笑」と笑うだろう。ぼくはそんな人を笑う。なぜか。それは本当に大切なことが何なのか、わかっていないからである。

 


変わったのはぼくの心だ。ぼくは、この家の庭をほうきで掃いているとき、とても神聖な気持ちになる。まるで庭が愛すべき生き物であるかのように思え、そこに愛情を注いでいる感覚をおぼえる。家の中も同じだ。畳は湿気でボコボコになり、家具もちょっとオンボロだ。しかし、ここ1年、父と僕が結構な時間を過ごしたことにより、生活感が漂っている。そうすると、1年前に感じた「こんなところで生活なんてできるのかよ、、、」というサバイバル意識は薄れる。

 


本当に大事なこと。それは「自分がいかに愛情をかけたか」何だと思う。そして「いかに愛情を持てるか」何だと思う。この家は10年近く放置されてきた。だから老朽化もすごく進んだ。しかしこの1年で様になった。これは愛情を注いだからだ。

少し前に古着のデニムジャケットを買った。やけにしっくりくる。誰かの愛が詰まっている。もう新品の服は買えないかもしれない。特にユニクロや無印は無理だ。使い捨て上等のものに身を包んでいたら、自分まで使い捨て可能な人間になる。せめて「聖なる一つの魂を地に返す」ぐらいのソウルは持っていたい。

 

 

 

そして、そこからさらに進化しようとしている。旧式と新型の融合。これこそが僕の目指したいところだ。今、ここに工房を作りたいと思っている。革製品を作る場所、洋服をリメイクする場所、コーヒーを入れる屋台、キャンプサイトなどなど。この家で使われていた廃材や、廃道具を使いたい。ただ新しくするのではなく、受け継ぐところは受け継いで先に進みたい。そうして愛情を注いだところに、「僕が愛情を注いだ人たち」がくるようなところになれば、それは素晴らしいことに間違いない気がする。

 

 

いま、必要なことは何か。

最近は北方謙三作『三国志』を読んでいる。蜀の劉備という武将は、彼の持つ人道によって仲間を集めるという特徴を持つ。しかし、スタートはわら編みで、無一文みたいなものだった。それが流浪を続けて、仲間と出会い、最後は一国の王として君臨する。今は僕も流浪の身だ。仲間集めをしている最中だとも思う。人間と話せている気がする人間を探す。少しずつ周りが一般的なものに飲み込まれていく中、変わらずに生きていた人にたまに出会える。これほど嬉しいことはない。

 


そういった人と会うとき、大事なのは「自分の中で筋の通った生き方をできているか、人間力を鍛えているか」というところがとても大事になってくる気がする。ぼくは人間力をまだまだ鍛えなくてはいけない。そのために、今できる、やりたいと思うこと、それをやり続けて、さらに強く、謙虚になりたい、そう思う。そしてそれが出来た時、ステキな出会いが待っているのだろう。そう思う。道のりは簡単じゃない。それっぽく働いてお金をもらって老後に備えるよりも、何かもっと大きなものと向き合っている。その道を選んだ自分を間違ってるとは思わない。むしろ、よくぞやったぞ自分と褒めてあげたい、そんな今日この頃である。

 

つづく!!!