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いま、やっちゃおう

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現在、大阪府は梅田を出発して、和歌山県へむかう電車のなかで、この文章をかいている。なぜ、和歌山県へむかうのか?理由はただひとつ。行ったことがないからである。僕にはあと行っていない県が8県ほどある。いま、「8県ほど」と書いたら、予測変換のところに「8軒」と出てきた。そのとおり、それぐらいのお隣さんを訪ねる感じで和歌山県へ向かっている。

 


これから4/27に東京である予定以外はほとんど暇だ。めちゃくちゃ暇だ。やることがあるときはいい感じの空気を出せるけれど、やることがなくなった途端、暇だ、死のう、みたいな気持ちになる。イッツァピーンチ!ピンチはチャンス!ということで、和歌山県には熊野古道とかなんかそんな感じの「歩いて修行!」みたいな場所があった気がする。これだ!精神修行も兼ねた、一大歩行祭をやってしまうと思う!

 

 

 

休養の日々。

 

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帰国して早四日(帰国したってワードを言いたいだけ)、何もしていない。驚くほど何もしていない。ほぼ寝ている。昨日は朝起きて、公園へ行き、芝生で寝て、グランフロント大阪のソファで寝て、天王寺の芝生で寝て、夜が来て、寝た。こんな感じでいいんだっけ??と思ったけど、変な話台湾の桃園空港を出るとき「日本では休養の日々が続くだろうな」という気がしていた。期せずしてそうなった。しゅごい。しゅごいけど、もう大阪はいい。東京よりもまだ人間感があって大阪は好きになった。でも人が多い。人の圧を感じる。誰も悪くないけれど、勝手に自滅して行くパターンが見えている。こういうときは自分から動くのが大正解!早く山が、海が、川が、待ち遠しい。

 


いま、やっちゃおう

 


寝たついでに、ぽちぽちスマホをいじっていた。ツイッターを開いたら、台湾で地震があったというニュースが流れてきた。台北の地下鉄は全線ストップとのこと。数日前まで台北にいた僕としては、えええ!!!となった。悠々カードなるもの(日本でいうsuica)を台北でゲットして、「うひょー!」となっていた僕にとっては、ショッキングなニュースであった。無事だということを家族に伝えたその数時間後、信号待ちをしていたら、目の前の交差点でド派手な事故が起きた。

 


車は横転、エアバッグがでていて、バイクに乗っていた人は倒れている。なんとか一命は取り留めたようだけど、周りは騒然としていた。この一連の流れを見て、明日は我が身だなと、思った。いつ何が起きるかわからない。いま、この瞬間しかないんだなと痛感した。やり残したことがあるならいますぐ動いてみなきゃ。体が動かなくなってから、「あのときああしていたら」なんて思うのは寂しい。

 


その想いの先が、「歩いて修行して、靴を壊して、気になっている下駄のワークショップに参加して、無事トントンになる」というのはどうなんだろう。笑

我ながら頭おかしいなとは思う。でもやってみる。ちなみに下駄のワークショップは数ヶ月前から気になっていた。ただ、値段と、よくわかんない怖さと、作った下駄をどう所有するか(移動しているから荷物を増やしたくない)がネックになって動けなかった。でも、この算段なら、いける。ピースがうまくハマってきた。やり残したことがあるなら、いま、やっちゃおう。

 


つづく!!!

何もないまま、マエマエマエ

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台湾は桃園国際空港からこの記事を書いている。つい2週間前まで、「ひとりで海外行くとか、ふつうに自殺行為かよ」とか思っていた。なんと愚かなことよ!やってみたらできちゃったのだ。あんなにも遠かった海外ひとり旅ができちゃったのだ。見たか、2週間前の自分よ。お前はやればできる子だったんだぞ!

 

 

できる子博士を振り返ろう

 


いま、この記事を書いているのは、台湾。1週間前はタイのバンコクにいた。これが初めてのひとり海外である。今は二カ国目。グローバル化が止まらない。うしし。なぜ、ここまで大胆に行動できたのだろうか?ちょっと振り返ってみたい。

 


1.背水の陣

 

今のところ、実家に帰る予定はない。いや、実家には帰れない。鍵を渡したからだ。「新年度からは、自活してこい!」ということで、体たらくな日々を過ごしてしまった長男(僕)は、しっかり旅に出されたのであった。いってきます!という感じで家を出発した。

なう、ホームはない。ホームロスト。帰る場所はない。ワードだけだとカッコイイ。前にすすむ。それだけだ。

 


2.躁パワー

 


最初の出発先は、沖縄だった。正直な話、僕は沖縄で(メンタル的に)死にかけた。死にかけたのと、復帰の様子はnoteに書いたのでご覧ください!

 

 

noteのリンク↓

https://note.mu/hasheem32/m/mfa599407b403

 

 

そして、まさかのV字復帰(躁パワー)を利用して、「ここまできたら、怖くてできなかったことをやろう!(最悪死んでも予定ないし!)」と勝手に盛り上がり、みごとに、タイはバンコクスワンナプーム空港行きのチケットを購入したのであった。

 


3.ジャンプボーイ


沖縄最終日、僕はせっかくならお酒飲みに行こう(誰かと話せたらいいな!)と思い立ち、那覇の屋台村へ向かった。そこでとある青年に出会った。聞くと、青年は海外経験者、しかもちっちゃい頃から色んなところを行き来しているらしい。なんと!そんな彼と飲んでいたら、「楽しんでください」というワードとともに奢っていただき、別れ際ドン・キホーテで「コップがいるんじゃないですか!」と言って買ってくれた。しかも「生きろ!」というサイン付きである。そう簡単には死ねない(タイで適当に過ごすことはできない!)ということで、これは1人だけの旅路じゃないぞ、となってきた。

 

 

何もないまま、マエマエマエ

 


あとは身を任せて、あれよあれよとなんとかしていった。この3点がどれか一つでも欠けていたら、ひとり初海外は無理だったろう。たかがひとり海外旅行。海外慣れしている人からしたら、「あっそ」と言われてしまうだろう。どうとでも言いなさい!

 

 


海外ひとり未経験勢の期待の星になったことは間違いない。僕は決してバカにしない。というか、今でもあの「死ぬんじゃねえか?」という感覚は鮮明に覚えている。

 


死線(と勝手に呼ばさせていただきます)を超えたいま、「なあんだ、まだ見ぬ世界、いっぱいあるじゃないか!!!」となっている。一方で、腰をすえて、やりたいことへの気持ちもフツフツと湧き始めている。もちろん明日の予定は何もない。というか、明日寝る場所はない。何もない。何もないけれど、何もないと、今更ああだこうだ言ってる場合じゃない。ただ前に進むだけなのである。というか戻るどころがないから、前にすすむしかない!!!

 

いま、この瞬間、とてもじゃないけど真っ当な生き方なんて出来てないけど、不思議な時を過ごしていると、そう強く思うのであった。

 


つづく!!!

言いたいだけの革職人

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桜の季節

もうそろそろ春だ。ふらっと立ち寄った本屋さんにはもう春の服、春の食べ物、春の花、その他いっぱいの春が現れ始めていた。寒かったり、雨だったり、まだまだ目に見えていない春が多い。少なくともまだ僕は感じれていない。けれど、気づいたら知らないうちに桜が咲き誇っている、そんな季節が今年もやってきているのだろう。

 

去年、武道館の近くで桜を感じた。あまりの人の多さにやられて、卒業式が終わってからの謝恩会やらは疲れ果てていた。懐かしい。あれから約1年が過ぎた。他の人にとって、この1年は早かったのだろうか、それとも長かったのだろうか。僕は早いとも思ったし、長いとも思った。あまりにもこの1年が訳の分からない時間だっただけに、本当に1年経ったのか疑わしいくらいだ。なにかこう、今までの1年の感じ方とは違う。しっくり来ない。何が起きたのだろうか。

 

 

我は何処へ

学生だった時とは違う。ただ1学年上がるあの感覚とは違う。だいぶ遠くまで来たなとも思えるし、そりゃ1年しか経ってないしさほど変わらないよな、とも思う。メンタリティの話である。学生だったあの頃、僕は守られていた。「学生」というそれはそれで、それなりの分かりやすい身分が付いていた。それによって、学割だとか、学生特典だとかはもちろん、他人も僕のことを「学生さん」として見る。分かりやすい。多分、今仕事をして働いている同世代の人たちも同じく「会社員さん」「サラリーマンさん」として見られるのだろう。ともかく、分かりやすかったのだ。

 

しかし、now、僕はよく分からない感じの人になっている気がする。学生の時、就活を放棄したので無職には間違いない。でもちょっとだけ仕事をしたりする。3ヶ月に一回ぐらいのペースで全国に飛び立つ。そう考えると旅人かもしれない。でも東京にいることも多い。ニートなのかもしれない。山に篭ったりもした。でもまだ見ぬ境地を目指して行った断食は3日でギブアップしたので、仙人でもない。歌うのは大好きだけれど、ミュージシャンを目指してはいない。フリーターというのも夢を追っている人になら合うけれど、僕には何か違う気がする。

 

大体、人に説明するときに困る。この間始めてフリーターという言葉を使って見たけれど、「なにかしっくり来ないなぁ、、、」と思った。どうなのだろうか。こういう現象に思い当たりがある人はどれくらいいるのだろうか。たまにSNSサーフィンをかましていると、いろんな肩書を付けている人たちを見つけてしまう。一方、どれを名乗っても当てはまりそうもない。無職/旅人/ニート/仙人/歌好き、みたいな感じでツイッターのプロフィールの文章を書こうもんなら、自分でも「こいつマジキモい!!」と思ってしまう。とにかく、分かりにくいのだ。一体我は何処へいってしまっているのだろう、、、(別に悪いと思ってないけどね!!!笑)

 

言いたいだけの革職人

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そんな意味不明な日々を送り、人を混乱させる記憶を積み重ねている僕は、より実態を掴ませない所業を始めてしまった。それは革細工、レザークラフトである。ことの発端は友達の財布探しの付き添いだった。いい感じのデパートに入って、いろんなブランド物を見た。見るたんびに「なんでこんなちっこいのがこんなに高いの!」とか「俺にはこんなの買えません!!」とか思っていた。社会人になって段々ブランド物が買えるようになっていく友達とは裏腹に、財政的な問題で土俵に上がれない僕は、「何がブランドだ!」と、何一つ悪気がないブランドに対して悪態をついていた。

 

お金はないが持て余した時間だけはある男は迷案を思いついた。いっそのこと自分で作ってしまえばいいと。安上がりだし、何より、勝手にマイブランドが出来上がる。これで質はどうあれブランド物を所有することに成功する(ここまでブランドブランドと連呼したけど、実はそこまで興味がなかったのは🤫)。

 

という事で、勝手に革を使って物を作り始めた。もはや言いたいだけなんだけれど、革職人になった。そしてそれなりに想いは懸けている。だから半分冗談だけど、半分本気だ。職人とは正式に名乗れないけど、それぐらいの気持ちと懸ける思いは嘘じゃない。

 

この話を周りの人に話したら、秒速で依頼が来た。ほぼ仕事のなかった男にとって「うひょ!」って感じである。とうとう来ちゃった!となる。ただ、先に宣言する。結果を残すつもりはない。商売も別にするつもりはない。

誰かのために気持ちを込めてつくる。つくることに没頭する。そういうことができたらいいなと思う。目指すは「革職人名乗ってもいいんじゃない?」と言われる三歩手前ぐらいを行きたいと思う。好きな人に渡すアイテムに、お土産、お花、体験談に続いて、革小物を付け足すことができるようになりたいのだ、、、!

 

 

つづく!

『橋本真嗣』season.23

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写真は2月の頭に訪れた山口のおばあちゃんの家の梅だ。一方。寒い。天気が良くない。外が暗い。そんな日々が続く、大都市東京。悔しいかな、またこの地に帰ってきては、ボケーっとしている。いや、有り難い。ボケーっとさせていただけているだけで、感謝ものだ。特に、実家には本当にお世話になっている。ちょっと気をぬくと、すぐに感謝を忘れそうになる。いけない。感謝の思いを忘れないためにまたどこかへ移動する。そんなかんじも悪くないと思っている今日この頃だ。

 

革細工、始めました

寒い日は困る。そして篭る。広島県の府中という山の中で雪が降る季節に生まれたのにもかかわらず、まったく寒いのはダメだ。それもそのはず、そこには生後数ヶ月しかいないから、その時のことはもう関係ないぐらい遠い話だ。

 

「ただ篭るのでは脳がない」と思ったのと、「前々からやりたかったこと」がうまく一致して、現在、レザークラフト を始めた。「やっぱり作るのは楽しい」。そう感じている自分がいたことに妙に納得した。1月に始めたガンプラの話もそうだけれど、どうやら手作業で、何かを作ることが好きみたいだ。何か作れるだけでワクワクしてくる感じを久しぶりに思い出している。

 

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本質的には、言いたいだけ、なんだと思う。何やっていますか?みたいな質問に対して、「革細工しています」とか言ってみたい。去年は「山に篭っています」があったけど、今年も使い回すのは良くない。なので、次聞かれる機会があったら「革で小物作ってます」みたいに言ってみようと思う。密かに群馬の山小屋で革細工をする事で、自然の雰囲気も合わさって「工房感」が出るのではないか、という作戦を練っている。そうしたら「山の工房で革細工しています」というパワーワードが使える。ふふふ。もはやここからは騙し合いの世界である。

 

Season.23

気づいたら人生23シーズン目に入っていた。誕生日であった2月2日周辺は、久しぶりにあちこちに移動していたので、なんというか、今までのとは違う、真新しい感じの新シーズン開始だった。「新シーズン開始」。いまこのワードを書いてふと思った。23シーズン目と考えると、ベテラン、とか、引退、とか、長いイメージがつきまとう。

 

しかし、新シーズン開始と考えると、アメリカのドラマみたいな気がする。人生はドラマだという、クサいセリフもあながち嘘ではない気がしてきた。

話はちょっと逸れるけれど、ここ2ヶ月ぐらい『ウォーキング・デッド』というゾンビドラマを見続けている。このドラマは9シーズン目だ。作品自体は間延びはしているものの、新しい展開が待ち受けている。それが楽しみだ。新しいキャラや、敵、仲間との離別などなど色々ギミックが盛り込まれている。だから、なんとか(途中でくじけそうになったけれど)、追えるところま追って見ている。

 

もし僕のこれからの1年が、ドラマの1シーズンに相当するものだったら。まずはエピソードの話数を決めよう。ウォーキング・デッドは1シーズンにつき16話。8話を境に前後半が分かれている。僕は、わかりやすく1ヶ月を1話と考えて、全12話ということにしよう。そして半分の6話(8月ぐらい)で一つ大きな節目を迎えられるように、ギミックを考えてみよう。今こうして書き出してみて、面白くなってきた。だって、一年を振り返った時に、「ああ、あの時の伏線はあそこにつながるのか!」と思えるかもしれないから。

 

書いている途中だけれど、本当に楽しくなってきた。笑

この考えは意外とアリなのではないか。ダメだ、まったくもって話がまとまらない。久しく文章を書いていなかったので(メモを大量にボツにしている!)落とし所がわからなくなってきた。よし、こうしよう。ここからの1年は、ドラマの1シーズンみたいに、一区切りであるということ。そして1月1話とし、全12話からなるストーリーを作ること。そして、その考えを持った結果どう感じたり、思ったりするのか、その傾向を探ってみること。そうしよう!1話ごとにnoteにまとめて、シーズンいくつまで続くか、という挑戦に挑むことにしよう!そうしよう!いい感じに訳のわからない着地を決めたので、大満足である。

 

つづく!!!

 

 

New Years levolution

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朝起きたら、テレビで「新しい年号は何か大予想!」みたいな番組がやっていた。4月くらいになったら変わるんだろうか。年号よりも自分は、4月になったらどうなっているのだろうか。まったく先の読めない人生となり始めている。少なくとも、去年と同じことはなぞらない、それだけは自分に刻んでいきたい一年である。

 

 

 

今世はもう夜中を歩かない

去年は何回も夜中を歩いた。初めて深夜帯に移動をしたのは、自転車で旅をしていた時だ。あ、あれは一昨年か。もはや時系列さえ怪しくなり始めた。23:00までしか空いていない温泉で休み、いけるっしょ!的なノリで夜中走り出した。が、街灯は一切なく、隣をトラックがバンバン走り抜ける。足元は見えないし、雨も降ってくるし、散々な夜間移動だった。恩田陸さんの『夜のピクニック』とは全く違う。あんな青春はなかった。何回かやると、「俺やってる!」という気持ちから、「何やってんだろ俺」に変わりがちになるので、もう今世は夜中を歩かないことを決めた。

 

 

いや、もしかしたら誰かと一緒に移動したいたら違ったのだろうか?ちょっとは爽やかな風が吹いたのだろうか?今年のテーマとして、「少しは他人と近づく」みたいな感じなのが頭に浮かんでいる。去年は自分の好きな人たちだけとしか、ほぼ、会っていない。とても良い時間が流れたことは間違いない。しかし、このままだとクローズドだ。ちょっとだけでも、知らない人のある環境に身を置くのもアリかもしれない。「友達探し」がキーワードになりそうだ。

 

 

新連載『majiでgunpraする5秒前』

友達といえば、先日、友達と「本気でガンプラを作ってみようぜ!」みたいな感じになった。その感じを、形にしてみようかなと思って一念発起、noteを初めてみた。さて、いつまでつづくのだろうか。というか完結するのだろうか。完結するまで時間がかかるというのも、またロマンかもしれない。大好きな漫画『バガボンド』は、連載が止まって久しい。というかこのままもう終わるんじゃないかと思うぐらいだ。もしかしたら僕が書いている作品もそうなるかもしれない。うん。それはそれで味わい深い。とりあえず、いけるところまで頑張って書いてみようと思う。圧倒的自己満足を目指す旅は始まった。

 

 僕たちは子供だったんだ。|ハシモト マサツグ|note

 

 

今年のこれから。

最初にも書いたけれど、果たしてこれからどうなってしまうのだろうか!自分でもこんなに不確定な時間を過ごすのは初めてなので、とても戸惑いがある。どうしたらいいのだろうか?そんな問いが現れた瞬間、年末年始ごろから「もっとくらえ!」という声が、体の内側から聞こえてきた。「お前はまだまだ全力出してねえだろ?(自分の人生を)ぶん回しちゃいなよ!」。

 

 

基本的に、やりたいことが浮かんでも、すぐ泡のように消える傾向にある。半端なく飽き性なんだと思う。その分頭にはいっぱい夢の気泡が浮き出てくる。今だとなんだろう?海外に行きたい(タイとアメリカ)、レザークラフトをしたい、仙台に牛タンを食べに行く。他にもいっぱい浮かんできたぞ。じゃあその通りやってみたらいいじゃないか。「お金なんてなんとか出来るだろ?」「ちょっと頑張って稼げばできないことはないぜ!」。そうか、そうだったのか、やってみたいこと、といっても、自分から掴みにいったことなんて少ないのか俺は。じゃあ今年は自ら掴みに行こう。今年ぐらいはちょっとだけ「うぉりゃ!」といってもいいのかもね。よし、やってみよう。

 

 

つづく!!!

 

駆け抜けるfeat. Kinnikutuu

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東京もいよいよ冬シーズンが到来してきた。寒い。冬の服装がない。はっ!それを買うお金がない。服装を変えるのだけが、寒さ対策なのだろうか?なにか思いもよらない突破方法を見つけることができるのではないか?去年はビリーズブートキャンプで突破した。今年はなにしようかな?そんなことを考えながら、ヌクヌクとあったかい暖房の下でブログを書いている。

 

 


先日、友人の落語を聞いてきた。落語はよくわからない。演劇を大学で勉強してたのに、歌舞伎がよくわからないのと同じくらいわからない。でも面白いもので、わからないものをわからないなりに見ていくと、だんだん分かってくる。どうやら現代風の話をしていくうちに、昔の小噺へとフェードインしていくらしい。現代と過去のクロスフェード。落語のことは一旦脇に置いて、僕はこの友人のことがとても好きである。言葉にするのは難しい。敢えて言葉にするなら、「楽しむのが得意な人」だと思う。彼女は今回もしっかり楽しんで落語をしていた。僕は楽しんでいる人を見ると楽しくなる。とてもエネルギーが湧いてくる。「(あなたを見ていたら)エネルギー湧いてきた!」みたいな感覚って素晴らしい。人って素晴らしい。終演後に友人に聞いたらやっぱり「楽しかった!」と笑顔で言っていた。もっと、もっと、この人を見ていたい!そんな風に僕が思えるとても良い時間だった。エネルギーが湧いてきた僕はこの後、奇行にでる。

 


落語を聴き終えて、笹塚から帰ろうとするが、ここ最近の半端ない財政悪化により、電車賃を(とりあえず)ケチってみることにした。そう、徒歩移動である。突然の冷え込みを見せた東京は、ただでさえ色々と冷たいのに、より冷たくなる。歩いているだけではダメなのである。なにを思ったか、エネルギー満ち溢れた僕は、走り出した。突然。コンバースで。マラソンが大の苦手なのに。気づけば新宿まで来ていた。何をしているんだろう。でもあったかい。止まると汗が冷えて寒いくらいだ。

 


周りを見ると寒そうにして歩いている人がほとんど。その中を颯爽と走り抜けていく僕。完全にNHKBSの『旅ラン』を見ていたせいだ。どんどん進む。気づくと自宅まで走っていた。エネルギーが湧きすぎた。ただ、1人夜の都会を駆け抜けていくその感触に、完全に酔っ払っていた僕は、明らかに頭がいっちゃってるとも思えるほどの笑顔を見せていた。爽やかだった。楽しかった。とても良い1日だった。

 


時は経ち、数日後。そう、今である。絶賛筋肉痛である。寒いのでなんか筋肉に響いてより痛い。しかも調子に乗ってコンバースで走ったりしたので、足首に異常をきたした。捻挫みたいな痛みがのしかかる。何やってんだ俺!と50000回ぐらい思いもしたけれど、完全復帰した時には痛みのこと忘れちゃうんだろうな。なんて思ったり。そして残るのはナゾに爽やかだった時間と自らの笑顔。良い記憶だけが残っていく。都合がいい男である。今年ももうあと少し。どんな道を駆け抜けていくのだろうか(どんな筋肉痛が待ち受けているのだろうか???)。

 


つづく。

Fire.fire&fire

11月はとても嬉しいことに、大勢の人と、ほとんどサシでお話ししたり、ご飯を食べたり、することができた。この半年の中で、1番人と会ったのではないかと思う。本当にありがとうございます!おかげさまで、日々が圧倒的に楽しくなっております!「皆さんのおかげです!」みたいなコメントをよく芸能人の人たちが言っているのを見かけると、本当か~?なんて疑っていた。けれど、現在本当にその通りで、人と会って、話して、大満足の時間を作ることが、日々を生きるエナジーになっていると思う。あと1ヶ月で、この1年に区切りがつく。さあ、どんな世界を自分に見せてあげることができるのか。まだまだ始まったばかりだ。

 

 

 

Memories in Gunma 

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ちょっとだけ、群馬県赤城山というところに行ってきた。泊まっていた山小屋の標高は600m。冬の群馬は寒い。この場所も例外ではなく、夜寝る時は、相応の準備をしないと、寒さで目が覚めちゃう。でもその代わり、目の前に広がる山肌は、5月に行った時よりも、綺麗に見える。紅葉も素晴らしい。虫もいない。僕はこの場所が好きだ。大した土地じゃない。ボロい母屋。竹ボーボーの奥地。風呂トイレなし。夏は暑くて冬寒い。土地内の設備的なものは壊滅状態だ。でも、空気がきれいで、山がきれいに見えて、思う存分声を出して歌えて、木材で筋トレできる。今の僕には十分すぎるくらいだ。

 


焚き火はみなさんやってますか?自分で火を灯すことはできますか?僕は今回初めて、1人で火を確保するというチャレンジをした。火種はライターに頼った。でも、ライターを使うことに慣れてない。タバコを吸わないからだ。難しい。何回やっても火が消える。ついたと思ったら自分の親指を燃やしそうになる。その辺に落ちてたスギの葉を着火剤として使う。なんとか火が葉っぱにつくもののすぐ消える。ライターと格闘する。葉っぱとも格闘する。そうこうして10分。ついに火が大きくなる。急いで燃えそうなものをかき集めて、そっと燃やしていく。火が安定してきたぞ。薪をくべてみよう。よし、ようやく安定してきた。ホッと一息。

 

ただ、焚き火を眺める動画。。。


火はすごい。寒過ぎて凍傷気味になっていた指先が、温めただけで生き返る。ケトルも沸かせられちゃう。火を見てるだけで、安心できる。素晴らしい。焚き火ライフバンザイ!である。

ぜひ他の人と焚き火を見ながら、語り合いたい。特に焚き火なんてしたことない人と一緒に、やってみたい。で、2人で「火がつかねぇ!」とか、「早く燃えそうなもの持ってきて!」とか、「火がついたやったー!」とか盛り上がりたい。そして、落ち着いてからゆっくり、コーヒーでも飲みながら語りあいたい。どうでもいいゴシップとか、誰かへの愚痴とか、金の話とか、そういうのを一旦脇に置いて、宇宙についてとか、虫は食べれるのかとか、身にならない話をしたいなぁ。宇宙のことも虫のことも全く知らないけど。笑

 

 

今年はもう寒くて、群馬の山にはいられない。来年の春まで、しばらくの間お別れ。来年からは本腰を入れたら入れなかったりしながら、手入れをしていきたいなんて思っている。できたら、だれか知り合いを連れ去りたいとも思う。あったかくなったら、やってみよう。それまでだ。それまでの時間がある。何をしたい?何ができる?考えてみた。歩いてみた。結果、よくわかんなかった。それでいいんだと思うことにした。今わからなくても、明日の朝になったらわかるかもしれない。今、どれだけこの瞬間を大切にできるか。そこだ。逆説的に言えば、今この瞬間を大切にできたら、やりたいことが出てくるかもしれないし、素敵な出会いだってあるかもしれない。まずはいまだ。目の前だ。好きな人に好きっていうんだ。ありがとうって伝えるんだ。それからだ。まだまだ歩き始めてから1年も経ってない。ヨチヨチ。だんだんテコテコ。知らぬ間にダッシュ!いけるはずさ!

 

つづく。