この一年を振り返ってみる。
気付いたら今年も残りあとわずか。あまり一年を振り返るようなことはしないのですが、ブログを始めて半年というのもあり、記事にしてまとめてみます!ありきたりですが、暇つぶしとして読んでください!
※ここからは自分への語り掛け、確認、みたいな感じになるので、ですます調は使いません。
何があったっけ1月
もはや何があったかすら思い出せないそんな1月。恐ろしく適当なまとめになる。一つだけ覚えているのは、「働いていたバイト先から逃げる」ということをしたのだけは覚えている。もともとやめるまであと二週間ぐらいまでは迫っていたのだが、どうしても嫌で逃げた。今思うと「それはそれでよかった」と思っている。逃げるのは悪いこと、そして真正面から向かって意見するのも確かに正しいとされる時もある。しっかり面と向かうのも正しいと自分でも思うことはあるけれど、あの時は逃げてよかったと思う。そんな一月。
2月
これと言ってなかった。
3月~6月
今振り返ると、自分にとって久しぶりに自分と向き合い始めた時期だった。一年生の頃は自分の中で考え事をする時間が多かったが、ここ数年は止まっていた。就活を通してもう自分が何なのか、訳がわからなくなる。あるあるな話である。先輩に相談した結果、気乗りしないならやらなくてもいいという結論に至り、今現在さすらっている。
思えば、最初就活を始めた時に学校にマイナビが来た際、
「あ、これってマイナビが学校に来て、学生を就活モードにさせることで、就職率が上がる。大学の評判も上がる。それに貢献したマイナビに学校から収益が行く。っていうシステムになってるんだ!」という発見をしてしまった。おなじみのひねくれ根性である。
客観的になっている時点でよくある学生の就活なんて俺とは遠いものなんだな、、、というのがあったのかもしれないと今なら思えてしまう。
自分の新たな可能性を見つけた7月、8月
自転車で日本を旅してきた。旅なのか、自分への戒めなのか自分でもいまいちよくわからないが、灼熱の中とにかく毎日前に進んだ。しかし色々得る(思い出す)ことは山のようにあった。1個1個まとめることが出来ないので、書けない。
途中まではブログに書いているので、よければそちらをご覧ください。。。
正直旅をして得たものというのはない。あくまで自分の中にもともとあった感情や考えを思い出したということの方が大きい。これは意外な発見だった。何かを得るのかと思っていた。しかし大体は知っている感情だった。
それでも得たものとしては、地形感が付いたということだ。山は地形を考えるうえで重要なものだということが分かった。思った以上に山の力はすごく、気候が場所によって違うことや歴史上での役割など、「ああ、そういうことだったんだ!」と思わされた。
9月
この月はライブをしていた思い出。あとは卒論を書き始めたくらいであったと思う。この時ぐらいからだんだん人と会う回数が減っていき、勝手に気持ちが落ちていくという自滅モードに入っていた。
10月中旬まで
人と合わない、連絡を取らない日がこの月は続いた。思い返してみると、ここ四年間、ほぼ毎日誰かと会っていた。少なくとも毎日誰かと軽く言葉を交わしていた。それが初めて週に一回誰かと会うか合わないかという感じになった。
恐ろしく自分の中で不安が湧き上がってきたりもしたし、とても孤独を感じた1か月になった。
旅をしていたせいで、あくまでも自分はこの世で一人なのだ(その代わり俺以外の全員も俺と繋がっている!)と感じていたのが、そのまま東京に帰ってきてあの人ごみの中、各々狭いところでコミュニティーを形成しているのを見ると、果てしない孤独に迫られてしまった。東京にいると人は多いのに孤独を感じ、旅をしていると一人っきりなのに、どこか余裕が心に生まれるという発見ができた。もしかしたらこれから自分の処世術の一つとしてこの考えが役立つ時が来るかもしれない。
ヒッチハイクをした10月末
そんなこんなで知らず知らずにいろいろな人とも距離を作ってしまう。まずクラスの友達とは授業がかぶらず合わない。そして4年間を共にしたアカペラグループと一瞬別れる(LINEグループを抜ける)。そして彼女とも別の道を歩み始めた。
ということは何が待っているかというと、そう、一人という現状である。別に一人が嫌いなわけではない。むしろ基本的なスタンスは一人だ。どこに行くにしても何をするにしても自分がやりたいことは一人でやってしまう系男子である。更には、旅を通して、これからは一人でやっていかなければならない、、、と思っていた節もあった。
結果、もれなく人が恋しくなり、そしてどこか離れた土地に行きたいと思うようになる。自分で書いていて思ったが、人が恋しくなるのに、知らない人しかいないところに行く発想が出てきたのが何とも面白い。
いいタイミングで青森に行く用事ができた。そこまでヒッチハイクをしてみたら、「自分に自信もつくし、誰かと話すことが出来る!」と考え、決行した。
にしても今までどこか心の拠り所(心の依存先)があったことに甘えていたのかもしれない。
ヒッチハイクをしている最中は結構フルパワーで話をしていた(無理に言葉をひねり出すのではなく、しっかりコミュニケーションをとる感じ)。この時の心のすがすがしさ、人と話すことで自分の中にあふれ出してくるパワーを感じた。
心の拠り所があるところではつい無気力で話してしまうが、それはリラックスとは少し違うような気がすると今では思う。親しき中にも礼儀あり、という言葉が自分の中ですごく身近に最近は感じる。礼儀とはたぶん、相手とコミュニケーションをしっかりとるための姿勢のことなんだと思う。
だから受動的に心の拠り所へ行くだけで終わらせるのではなく、そこで主体的に相手に興味を持って接することが大事なのだと思う。毎回新鮮な気持ちで相手とコミュニケーションをとる。演劇の稽古みたいである。セリフはわかっていても毎回新鮮な気持ちで舞台に立つ。気持ちの深堀がされてより新鮮な風が吹く。というように。
むしろそういう姿勢が取れるのが本当の心の拠り所(心が集まっている所)になっているんだよなと思った。だから身近な人をまずは愛しまくる、ということが今の自分が やるべきこととしている。
歩いて、本を読んだ11月
この月は何をしたわけでもない。ただ、ひたすら歩いた。これがすごい数なのかすごくない数なのか知らないが、月の平均歩数が12000歩になった。毎日12000歩、歩いていたらしい。大体歩きながらその時々思ったことに対してふけったり、歩いた先で小説を読んだり、というこれは大学4年生がするには尊すぎるような行動をしていた。
ただ、自分の気持ちに素直になるには結構大事な時間だったと思っている。歩いているとおのずと頭の中に言葉が浮かぶ。11月は自分の価値観を見直すことが多かった。自分はどうやって世界を見ているのだろうか。
自分自身、好き嫌いで物事を決めてきた方だが、その中には自分ルールみたいなものは限りなく少ない。一般的な感覚みたいなものが染みついている。別にそれが嫌いなのではない。むしろ一般的な感覚があるので世の中を生きるにはまだいい方なのではないかと思うぐらいだ。
しかし自分なりのルール、考え方を突き詰めることで自分を信じることが出来るんだと知った。
「俺はこうやって考えたけどなんでだろう、俺はそう考えたんだな、それでいいじゃないか!」といった感じだ。自分の考えを、世間的にはアウトな事も、だれにもわかってもらえないこともオールオーケー!と思うと自分の中にエネルギーが溢れてくるのを感じる。
歩くという行為は自分を見つめなおす(自信をつける土台を作る)には適しているということを知った。
【あとは電車に乗らなくなるので、お金が減らないという発見がありました!笑】
いろいろありすぎてもうまとめない12月。
この1か月である。もうこの月のことぐらいしかしっかり思い出せない。アカペラをソラマチで歌い、卒論を書き、有馬記念に行き、ドライブし、三浦大知のライブにいった。細かくまとめても、らちが明かないので、もう自分の中で留めておくことにする。
12月中の気づきとしてはお金の使い方が良くなってきた。と言えばいいのだろうか。よくある大富豪的なお金の使い方ではない。値段で物事を判断しなくなったということだ。自らのお昼ご飯事情にすごく表れているなと思う。
バイトも何もしていないので、体や精神を使っているという感覚が無い日がほとんどだ。しかし、お腹は毎日すく。そこで考える。果たしてこの何もしていないからだにご飯をいれていいものなのか。大体悩んだ末に「今日はチョコチップパンの刑だ!」みたいな感じで、100円のパンを買う。チョコチップパンは100円の割りに6本も入っているのでとてもコスパがよいと思っている。
逆に、これから卒論を書くぞ!という日は好きな家系ラーメンのお店に出向き食べる。そしてそのエネルギーで夜まで頑張っちゃったり。
同じ昼ご飯だが、自分なりに意味をつけることが出来ている。僕の場合、無駄な出費というのは自分の意図していない(意識の弱い)モノがほとんどだということに気づく。値段の張るものでも意図していれば大体物持ち良く使う。
意図した出費が出来ているとハッピーな気持ちが続いて行く。自分の中でいいお金の使いかたが出来ているので、カードの返済に迫られようとも怖い文無しである。
今、ここを生きる。
さて、この調子で来年の抱負とか書いちゃおうかな~とも思ったのだが、やめる。来年のこと、先のことを考えるより、今日この瞬間のことを考えたいと最近は強く思う。勝手な自分哲学なのだが、明日(未来)のことを考えるのは、死んだ後の世界を考えるのと同義な気がする。死後は想像できても行動できない。明日も想像できるが今すぐ行動に移せない(予定という名のそれっぽいものはあるが)。どちらも今できることではない。だから同義だと思っている。
何がやってくるか分からないことを考えることは僕にはできない。逆に考えてしまうともう今日を生きるのがなあなあになってしまう。明日があるからいいやと気持ちが緩む。
毎日フルスロットルで生きるという話ではない。ただ、目を向けるのは今この瞬間、伸ばしても今日。それだけでいいのではないか。逆説的に話すと、毎日自分の中で納得のいく1日を過ごすことが出来た時、将来振り返ってみて、「まあ、今世はいい線行ったんじゃない?」みたいに思えることが出来たらいいなと思う。
ということで、僕は今この瞬間を生きる。気づけばもう4000文字も訳の分からないことを書いている。卒論は毎日1000字ペースなのに、もう4倍だ。(この記事は勢いで書いたため、40分くらいで書いております)。このエネルギーは今すぐ卒論に向けなければいけない。なのでこのあたりで今日の記事は終わりです。
おわり。