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選択するのは自由で、何を選んだっていい

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 ここ1ヶ月の自分の動向を簡潔にまとめると、群馬県赤城山と東京都文京区を反復ヨコ跳びしている感じである。4月の頭に群馬に行く電車の中では「ここから俺の物語が始まる(ゾクゾク、ワクワク)」となっていたが、蓋を開けて見たら都会と自然のデュアルライフをしていた。何かを始めたらずっとその場所にいなきゃいけない(一回群馬に行ったら、実家に帰るのは大罪だ!)と思っていたのだが、いや、これもアリだ、人生なんでもアリなんだ!!!みたいなことを感じて現在は実家にいる。そのかわり実家にいるときは家事全般を自主的にやってなんとか少しでも貢献を、、、!と奮闘している(家にいてもやることがないので家事をしている側面もある)。その過程でなんと、現在クッキングにどハマりしているのだ。

 

クッキングという大発見


人生の中でまさかクッキングにハマるときが来るとは思わなかった。たいそうなことはしない。普通に夜ご飯を作ったり、お菓子を作ったりするだけだ。クラシルのアプリを見て簡単そうなレシピを見つけて実際にやってみる。面白いことに10回ぐらいクッキングしたあたりから、「俺は料理ができるメンズかもしれない!!」と自信をつけることに成功する。そうなってからはもう、料理が楽しそうな実験にかわり知らず知らずのうちに【やりたいこと】となった。【やりたいこと】をしている時は楽しくして仕方ない。多分働いていたらご飯を作ることなど頭にもなかったのだろう。自分を楽しませるきっかけがどこに潜んでいるかはわからないものである。

 

クッキーを作るマン

 

クッキングの過程で、なんとさらにクッキーが作れるようになった。これは真嗣史上なかなかのレベルアップである。ホットケーキミックスを使ったやり方だと、一袋につき約30枚近く焼けることがわかった。この間はたくさん作ってしまったので【フリークッキー】と称して、家の中で誰でも、好きな時に、自由に食べれるコーナーを設置してみたところ、いつもだったらポテチとブラックサンダーに手を伸ばす家族が、クッキーを完食した。面白かったのでまたやるかもしれない。もしかしたら枠を家族だけでなくこれからお会いするみなさんまで広げて、クッキーを配布するマンとして登場するかもしれないです!!!(しないかもしれない!!!!)

 

古民家をリバース

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今自分の中で一番ホットなトピックスは群馬県赤城山にある古民家の再生だ。この家は僕のひいおじいちゃんが使っていた家で、僕自身小さい頃から訪れている。今は橋本家の敷地となっている。再生というと聞こえはいいものの、そんなに大層なことではない。立派なことでもない。空き家問題にメスを入れてるわけでもない。ただ単に「無料で使える家が群馬にあるから、金なしの僕にはぴったりだ!ついでにキレイにしちゃお!」ぐらいのゆるいノリだ。

 


今は雑草が荒れ放題になっているが、ひいおじいちゃんが住んでいた頃は、あたり一面は芝生で、自作の池まで備え付けられそこには庭園が広がっていたらしい。その話を聞いた時、「ガーデニングしてみたいな」と思った。ガーデニングに関する知識は皆無に等しいがだからといってやらない理由にはならない。まずは落ち葉を掃くところからスタートしていきたいと思う。クッキングに続き、ガーデニングまで習得してしまったらやばいと思う。ようやく想像力が走り出したところなのに更にその古民家で洋服をセルフで作れないかと思っている。おっと、調子に乗りすぎてはいけない。まずは目の前のことをするだけである。

 


この家の方向性としては(僕の頭の中でのビジョンは)誰でも、好きな時に、自由に使ってもらえたらいいなと思っている。キレイになってからでなくても別に今からそういう使い方をしてもいいのだと思う。トイレは使えるけど臭い(ので、僕は立ちションと穴を掘って大をしている)というのと、風呂がない(ので冷たい水道水で体を洗っている)ぐらいしか不便な点はない気がする。コンビニだって40分歩けばあるし、大好きなイタリアンレストランも50分ぐらいで着く。60分山を下れば温泉もある。家の中にはBluetoothスピーカーがあり、自然の中で流すジャズは最強で最高だ。

もしクレイジーな体験をしたいという方がいらっしゃれば、一緒に焚き火をしながら夜空を眺めて語り合えたら最高だなぁ、、、なんて心を膨らましております!!!

 

 

選択するのは自由で、何を選んだっていい

 

hasheem32.hatenablog.com

 

 

この歳になってようやく「選択するのは自由で、何を選んだっていい」ということに気づいた。〇〇をしなければいけない、的なことを言われる場面なんかは世間では山ほどあるんだろうなと思う。僕は直近でいうと「大学を出たら働かなくてはいけない」と言われたし、勝手に自分で思い込んでいた(その割には自分が働くビジョンなど想像できなかった)。それはただ単にそういう世界しか知らないだけであったということに気づく。さすらいの身をしているがその中で実際に働いていない人の話を聞くこともあれば、楽しそうに働いている人の話を聞くこともあるし、「働くとは、、、」と悩んでいる人の話を聞くこともある。世の中にはいろんな立場の人がいる。どこに位置するかは自分で決めることができるのではないか。

 


話は少しズレるが、この間人生初グリーン車に金曜の夜乗った。周りはお仕事を1週間頑張った方々でほぼ満席だった。知人とご飯をしてルンルンの僕は座席を見た瞬間、場違い感を覚えた。が、座って久しぶりにDSでポケモンをしてみた。その時ふと「疲れた心と体をグリーン車で休めるのだ、、」という人生を送るもよし、「呑気な無職が謎の優越感を得るために乗る」世界を生きるのもよし、それをどの歳でやるのも自由!なんだなぁ~と思い、選択の自由は常に目の前にあることを知る。

 


 多分どの位置にいても各々にメリットはあるのだと思う。その生き方がダメなんてことはないはずだ。その中で出来ることと言ったら、自分の心はどうしていたのか、それに耳を傾ければそれだけでいいのではないかと思う。健全体であればそれでいい。何もしてなくてもいい。その人の生産性とかはどうでもいいのだ。生産性で言ったら「クッキーの型」の方が今の僕の数億倍価値があると思う。あいつは100円にも満たないあの作りでクッキーをおそるべきほど大量生産できる。僕は残念ながら型じゃない。でも元気な姿をみんなに見せることはできる。楽しかった話をみんなにすることができる。それだけで十分なのではないかと思う。健全体な自分であることを目的に、日々の選択をしていくことが大事なんだと今強く感じている。

 

 

つづく、、、!