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家族とコミュニケーション取れてますか?

 

 思っていることを言葉にするのってやはり難しいですね!そういう実感を只今しております。今日一日の中で、少し言葉にしなければならない(言葉にまとめなければ消え去ってしまいそうな気持がある)と思ったので、気持ちを言葉にしてみたいと思います。自分の弱いところ、それ人に見せる???というところをさらけ出してみることに何かあるのではないかと思います。

 

 

 【大学を出ると同時に、家も出る】宣言をしてからもう何か月が過ぎたのだろうか。自らを奮い立たせようと思い、数か月前、この宣言を家族にした。あまりにも家を出ていくのに対して流れが無い(どうやって生きていくのかが未定なのに家だけは出ちゃう)ことにリアリティさを感じることが出来無かった親はこの数か月間本気にしていなかったようである。ついさっき父親から、扶養から外す。携帯代は自分で払え、などなど、4月からいろいろ変わることについて言われた。

 

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【大学を出ると同時に、家も出る】宣言

 なんで【大学を出ると同時に、家も出る】宣言をしたのだろうか。この意図は文章にすると長く、しかも上手く伝えられないががんばって書いてみる。

 大学4年生の時にいわゆる就活というものをしていた。正直、なんで働くのかが最後まで分からず、一回引退したり、復帰したり、途中旅を挟んでみたりしたものの結果は事実上の就活リタイアをした。一緒に受けている人たちの、あのうさん臭さは無理だったし、面接をするにしても自分の言いたいこと、思っていることが明らかに働くことにフォーカスされていないことに気づいた。こんな状態で嘘をついてまで、あと自分の将来の為とかいうよくわからない利益のために働いても、たぶんすぐ死にます!!と思ったので、思い切ってやめてみた。やめてみると面白い視点が見つかる。

 まずめちゃくちゃに時間が余る。アルバイトをしているわけでもなかった僕には恐ろしいくらいの時間が出来た。いい意味で暇な事もあれば、完全にアウトな暇なときもある。思えばこの数年間の内、いい時間の過ごし方であったり、ダメな時間の過ごし方があった。よかったときは、演劇をしている時。アカペラをしている時。クオリティはさておき、ああ、これはいい仕事をしている!という実感があったので、時間が過ぎても無駄とは思わない。むしろ愛しい。一方アルバイトをしている時や、好きでもないことに時間を使っている時は、圧倒的に「中身のなさ」を感じていた。もしかしたら捉え方次第なのかもしれない。今中身のないと思っていたことが、有意義に感じることもあるかもしれない。結果は残念な感じになった。

 時間が余る問題は、周りの人と物凄い勢いで生活がクロスフェードしていく。周りの誰よりも暇なので、OKが出せる用事が増えたし、一方で意外と周りの人が時間のせいでNGになっているパターンが多いことにも気づく。時間の過ごし方も変わった。ひたすらに散歩をして、本を読む時間が増えた。昔から歩くとなぜか頭の中で仮想の人間を作り出し、僕とそいつで会話が始まる。あの事はどうだ、どうしてああなのだ、といったことが始まる。しばらく大学に入ってからはそのケースは身を潜めていたのだが、歩き始めてからは自分の心や言葉を見つめなおす時間が増えた結果、たぶん、いい意味でわけわからない事を考えるようになったと思う。本から考えることもあったりした。意外と生活的には質素だが、精神的には結構楽しい時間を過ごすことが出来るようになった。

 

就活をオフした僕は、その他諸々、サークルもオフ、人間関係もオフした。

 

人と話すとは、、、

話がなぜ宣言をしたのかからだいぶずれてきてしまっていることに気づく。そうだ、なぜそんな時間の余った僕がそうしようとしたのかだ。

 それはヒッチハイクを通しての記憶が大きく作用している。色々をオフった時期、人間関係もオフった。ゼロに戻すことで、自分の世界を一から構築しようと思った。誰も知らない世界に生きたかった。そうすることで新しい自分が見れると思ったからだ。

 お金を貯めて海外を旅する。プログラミングでも学んで稼ぐ。そのほかにも10個ぐらいプランがあった。その一つにやったことのないことをしたいということで、ヒッチハイクをしてみた。ヒッチハイクには家をオフする意味合いも込めていた。

 

 ヒッチハイクは隣にいる人と本気のコミュニケーションをとる。その時一文無しで、拾ってくださったドライバーさんにどういうお返しをしたらいいのかなんてわからなかった僕は持てるコミュニケーション力を全放出した。ひたすらこの人のために会話をしようと、本気の会話を心がけた。結果、この力をどうして一番傍にいた人たちに出さなかったのか、ということが一番の教訓になった。

 

hasheem32.hatenablog.com

 

余白を持て余していた僕は、農業インターンみたいなのに申し込んだりしていたが、そんなことよりも隣にいるやつを大切にすることの方が大事だ!!!となる。オフしたはずのアカペラグループにいい感じに戻ることが出来た僕は、「こいつらに愛を注がなければ自分のことだけやったって上手くいくはずがない」という使命感にかられ、ラストライブに自らの時間を調整し、無事この間終えることが出来た。

 

hasheem32.hatenablog.com

 ヒッチハイクをしてもう一つ思ったことがある。家に対してである。我が家には大変お世話になっており、もう何から何まで至れりつくせりで、王様気分で正直22年間生きてきたと言っても過言ではないと思う。何もかもゼロにしたかった僕は、明日にでも家を出ようと思っていた。(この背景にはいろいろ思うところがあったので割愛します!!!)

 

 ヒッチハイクをして、帰ってから、ああ、親には日々感謝だな、近い人ほどこれをすぐ忘れる、と思い、家を出るのは学生を卒業するその時にしよう。その方が区切りがいいし、理由も十分だろうと思っていた。(ようやく言えた!!!!!)

そしてその間は、家族に感謝しつつ、圧倒的に甘えていこう(お手伝いはもちろんする)、家にいてできることをしようと決意した。そして学生としてこの期間は潔く過ごそう。そういう風に考えた末の宣言であった。

 

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家族とコミュニケーション取れてますか?

 そして今、よくわからない事になっている。結局「卒業まで動かない」という謎の攻めの姿勢を見せた僕はこれからの予定は未定だ。この余白が僕を変える、と勝手にポジティブシンキングをしているのだが、たぶん父にはこの感じが良くなかったらしい。ひたすら「扶養を外す」、「保険が無いとどうしようもなくなるぞ」、「これまでの時間は何のためにあったのか」、「自分に何のメリットがあって歌ったのか」といった言葉が迫ってきた。なんだか、聞いていて悲しくなってきた。

 これは浅い考えと言われたぐうの音もないが、保険があることよりも、金があることよりも、自分にだけメリットがある選択をすることよりも、もっと大事な事があると思う。僕の場合「好きな人に好きを伝える」「ありがとうを言えるようになる」といった、愛を伝えていくことの方がよっぽど大事だと思っている。そして人とのつながりを大切にすることが僕の周りを幸せにできるのではないかと思っている。それに気づくことができ、すこしずつ実践ができるようになったこの数か月はとても愛おしい。

 その時間を無駄と言われたことに、シンプルに寂しさがこみあげてきた。僕の否定もあるが、もう一つの意味で寂しかった。

 言いたいことを言えてない父が目の前にいた。言いたい言葉を見つけられていない父はだんだんずれていってしまった。たぶん父が言いたかったのは「得する人生を送れ」ではなく、「お前のコトが心配なんだよ?」だったのだと思う。本当に言いたいことが言えずに違う言葉が現れる時、寂しさや怒りに任せた言葉が出てくる。僕も何度も経験している。最後まで本当に言いたかったであろう言葉は現れず、もはやコミュニケーション不可能と感じた僕はその場を去った。

 

 ちょうど今朝、ああ、家族とのコミュニケーションが不足しているな、これを解決できれば、将来とか家がどうとかそんなことよりもいろいろな事が上手く運びそうだな、と思っていた。ということで、実は朝母親とも話した。母親との会話は得るものがたくさんあった。素直に反省せねばならないところがたくさんあることに気づいた。しかし父とは違かった。コミュニケーションが不足していることが明らかになった。

 

 父の本当に思っている所の言葉を引き出すことが出来なかった自分にも非がある。もっと自分のコトを言語化できるようになりたい。何を思っているのか、口で伝えられるようになりたい。それができるようになったコミュニケーションはもっと尊いものになる。真の意味での会話が始まる。なにか素晴らしい世界が待っているのではないかと思った。

あなたは家族とコミュニケーションが取れてますか?

 

 

家族とともに成長を、、、、、