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今を生きることから。

まずは福岡での1日を、、、

2日連続でブログを書くなんて我ながら珍しい。ゲストハウスに今日は泊まる。一階部分はブックカフェみたいになっており、なんとPS4やギターも置いてある。いいね!って感じの空気感に包まれながら記事を書いていく。

紙に利用者記入の中に職業の欄が登場し、おお、書けないぞ!となった。いろんな方から日々、どうしてるの?的な問いに対して、さすらってます!みたいなことを言ってはいるが、最近この「さすらい」というワードに対して少し違和感を感じている。「さすらい」という言葉にはどこか彷徨っているイメージがある気がする。他人から見たらそうなのかもしれないけれど、自分の中では彷徨ってはいないつもりだ。果たしてじゃあ今の自分にどんな新しい言葉をつけてあげれば良いのだろうか。それを見つけるのが新しいトピックスなのかもしれない。

 

福岡空港から博多駅まで歩く。バスに追い越される。バスに乗っている子供が僕を見ている。僕ははにかむ。子供がはにかみ返してきた。これだけのことだが、最高のスタートは切れた。(のちに前日の徹夜と、歩きすぎと、にやられてグロッキーになることは詳しく書かない。)

 

朝ごはん、昼ごはんを食べる時間をタイミング的に逃してしまい、結果イオンでリンゴを丸々1個買い、それを丸かじりしながら福岡の街を歩くということをしていた。視線を感じる。リンゴをかじるのなんて初めてのくせして、さも「いつも通りですけど??」的な雰囲気を醸し出しているところがキモである。うーん、これは側から見たら立派な「さすらい」なのかもしれない。リンゴが美味しかった。

 

 

フランクルの『夜と霧』をカフェに入って読む。アウシュビッツ等の収容所での話を読みながら心を揺さぶられている傍、隣で車の保険の話をしているのが聞こえてきた。もしも事故ったら、もしもやっかまれたら、もしももしも。

もしもなんていう言葉を使った仕事が成立するのは平和の証なのかもしれない。収容所でのいつ死ぬかわからない、明日死ぬかもしれない話を読んでいたばかりに、なにかすごいギャップを感じた。またそれが、保険のおばさんがとても煽ってるように僕には見えたのもあるのかもしれない。話はズレるが、この間保険会社から父宛に電話があり、僕が代わりに出た。なぜか僕の名前を相手は知っており、「仕事はなにしてる?」と聞かれた。「何もしてないです(キリッ!)」と答えた。たじろがれた。

 

今を生きることから。

 

ついさっきまで半端なく「やばい!!!」と激しく動揺していた。なんと所持金がジャスト300円になったのである。面白すぎる。とうとうここまできてしまった。元から所持金が少なかったのは間違いなかった。ので、「残りは山口県にいるおばあちゃんに会いにいく分にしよう!」となり、もれなく無の方に舵をとることにした。チケットを買った矢先、自分でお金を払ったはずなのに「死ぬ、死ぬぅ!!!」となっていた。ここで大事なのは見方の転換である。先がないのなら、先を考えず今に集中するのが最善の策ではないか。結果、「今出来ることをやったら先が見える(かも!)」となった。しっかり「ヤバイ!!!」を感じてから「今だ!!!」になった自分を褒めてあげたい。

 


さてここからどうなるのか。フランクルはいう。

 


もういい加減生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、といかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考え込んだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることに他ならない。

 


どう行動するのかが大事だ。まずはおばあちゃんに会いにいく、そしてその時間を徹底的に楽しむ。ん、まてよ。なんだやることがあるじゃないか。その先を考えるのは後だ。まずは今に集中すること。そこから始まるのだと思う。

 

つづく!!!