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不安定なこの心真実 ひっくるめて全て愛してあげて

世界も常識も1つなんてことはない

 

 ここ数日、人と会って話す機会がいくつもあった。僕の今のこの感じを話すと、相手の反応は大雑把に2パターンに分かれる。1つは「いいね!」系。この方々と話していると、どこまでもフライアウェーできる気がしてくる。と、同時に自分中に「どんな責任も自分持ちなんだよ」ということを芽生えさせてくれる。もう一方は「大丈夫??」系だ。家族が心配するのはわかる(し、迷惑かけてごめんなさい、今は僕の道を行きます!となる)のだけれど、そうじゃない人が結構心配してくる。僕のことが心配なのだろうか?話している感じからすると何か違う気がする。別に僕の事を心配してるのではないような気がする。

 

 

僕に「大丈夫?」とか「何やってんの?」みたいな事を伝える方々は、多分自分が心配になっているのだと思う。あくまで予想だけれど、もし自分がこうなったら嫌だな、的な事を想像しているんだと思う。他人は自分の鏡だ、と聞いたことがある。多分目の前にいる謎の男と自分を比べて考えているのだろうか。僕は、相手の考えている事を予測できない。そんなこと構っている余裕はない、ということが最近わかったので詮索しても無駄な気がするのでこの話はこれでおしまい。

ただ、僕に興味の無さそうな人ほど「へ〜面白そう!」という反応が返ってきた。どちらがいいという訳ではない。でもどちらの道も自分の目の前に現れ、それを自分で選ぶことができるのが人生だと日々体験している。

 

手作りの暖かさに触れる

 

昨日、久々に演劇をしていた時の先輩と会い、手作りカレーをご馳走になった。かぼちゃを具材としてではなく隠し味としてルーに溶かし、それ以外にもいっぱいアレンジが施されているオリジナルカレーを頂いた。

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感想からいうと、めちゃくちゃ美味かった。大盛りのカレーを食べながら「こんな適当な日々を送っている人間にもこの美味いカレーを食べる権利があるとは最高かよ!!まだ死ねない!!」と震えた。感覚として、外で食べるご飯よりも手作り料理の方が2000倍美味しいと思う。

 ちょっと話はずれるけど、ここ最近小料理屋さんに連れて行ってもらった経験した。値段はチェーン店よりも高いけれど、人の暖かさを感じた。出された目の前の料理は、レンジでチン!のやつではなく、ママさんの手作り料理ということになるので半端なくうまい。キャベツの千切り1つ食べ残してはいけない!!となった。

 

差し入れ&お手伝い&ひたすら話を聞く人(?)をする代わりに、もっと誰かの手作り料理を頂きたい!!!なんて思った。

 

可能性

 

さらにその前の日、人生初のバスケットボール観戦をする。毎日NBAの試合をチェックしている割に、ライブで見た事はなかった。ご縁あって好きな選手がいる「千葉ジェッツふなばし」のホームゲームを見ることができた。最高だった。楽しすぎた。周りの人を気にせず手をあげたりしていたので、横に座っていた方の視界を邪魔してただろうな〜と今になって思う。

あまりにも楽しかったので、本場NBAの試合も生で見たくなってきた。少し頑張ってお金を貯めてアメリカにジャンプするのも面白いかもしれない。ちょうど向こうはプレーオフ真っ最中なので盛り上がりも半端ない。行きたい。チケットが高い。

 

1番の味方は自分自身

4月2日からさすらいの身として動き続けているが、思っていた以上にことが動いていない。夜中、風を浴びながら歩いて(しかも疲れている&お腹が空いていると)「俺の価値とは何なのだろうか???」と思う。何も人から賞賛されるようなこと、自分が賞賛してあげらるような凄いことは出来てない、と感じて無力に負けそうになる。カップルが幸せそうに歩いているのを見ると、「俺はその世界に今いないんだよな、、」と勝手に叩きのめされる。寒空の下を彼女を横に連れて歩いたなら日々の恐怖が薄れるのかなと思う。自分の中がとても荒れている感覚を覚える。

そっと街角のベンチに座って小声で歌い始める。三浦大知の『誰もがダンサー』という曲が流れる。歌っててしっくりくる歌詞が現れる。

不安定なこの心 真実

ひっくるめて全て愛してあげて

いつだったか、自分の最小単位は自分1人だという事に気付いた。それまでは無意識的に自分が所属しているもの(家族、恋人、職場、サークル、座組etc)が全てであり、この人達から認められることが善だと思っていたことがあった。確かに大事かもしれない。けれど自分にとっての1番の味方は自分自身だ。それか自然そのもの。弱くて、ほんとクソだと思うことだって山ほどある。そしてそれに負けそうになって「うがー!!」となる事もある。(夜中小さい声でうがー!!と言ったこともある。)

でも思えば完璧な人間だとは自分のことを思っていないし、クソぐらいで丁度いいのかもしれない。いいじゃん、人間らしくて。まずは自分を認めること。受け入れること。許すこと。そして自分と共に進むこと。将来のこととか周りからの視点とかそんなことは一回シャットアウトして、「今この瞬間にかける(死にに行く)」事を意識して、ここからまた進み始めたらもうそれで完璧だと思う。

 

(日付が変わるその瞬間まで俺の命は)つづく、、、!

人生20歳からが始まりだと思え

ここ何日も自分の体にたまっている言葉を書き起こそうとしているのだけれど、なかなかまとまらない。何回も書いては放置、書いては放置を繰り返している。今は無感情なのだろうか、だから言葉にできないのだろうか。今また言語化をするためにこうしてパソコンと向き合っている。

 

心の赴くままに

日曜に家を出てからしばらく、心の赴くままに動いてみた。言葉通り、あっちこっちを移動した。その際に消えていくお金には何にも気に欠けない。さらには食べたいと思ったらどんなご飯だろうとケチらず食べる。そういう方向に舵を切ってみたものの数日で限界を迎えた。確かに心の赴くままに動いてみると面白い結果が待っていたのは本当だ。

 

ある日、大宮で目覚めた僕は北を目指して歩き続けた。途中いろいろな事を考える。「過去も未来もない、あるのは今この瞬間だけだ」「激流に身を任せる」「何をやってもいいし何をしなくてもいい」「今起きていることはベストタイミングなんだ」「全ては許されている」等々の言葉が頭を支配していく。たぶんある意味真理をつかみ始めたのかもしれない。これらの言葉は間違っていない。むしろ的を得ていると思う。しかし前の記事でも書いた通り、まだ僕は何をしたいのか何がきっかけで動きが加速するのか全く自覚がない。

 

 

hasheem32.hatenablog.com

 

 

かといって自らを無理矢理動かすのでは今までの生き方と同じだ。すべてはベストタイミング、その言葉を信じて、そして何よりも自分の可能性を信じていくこと、今の自分にはそれしかできないのかもしれないと思っている。そんなことを考えながら大宮から桶川まで歩いた。心の赴くままに歩いた結果、次は心の赴くままに電車に乗ってなぜか熊谷で降りた。

自分でもわけがわからない。と同時に、全く先の見えない恐怖のような感覚が待っていた。これが本当にベストタイミングなのか??これといった行動をしていない自分に何の意味がある??頭の中で呼びかけてくる声。まだその答えはわからないと自らの心に返事をし、気づいたら今度は秩父にいた。

 

停滞感に悩みを抱えていた僕は秩父の自然に圧倒され、すべてがどうでもよくなる。「ああ、今日はこの瞬間のためにあったんだな」と思う。

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次の日、小田原、沼津と訳の分からない移動をしていた。抱えている悩みは前日と同じだ。この彷徨いに先はあるのか。ここでも静岡の海に救われる。

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風と波の音、鳥の鳴き声、壮大な富士山。海岸沿いを歌いながら歩き黄昏ることに成功した。あの瞬間も最高だった。

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ちょうど残金が少なくなってきたのと同時に、これ以上移動したところでやりたいことはない、行きたいところはないことをひしひしと感じ東京に戻って今に至る。確かに心の赴くままに体を動かすのはめちゃくちゃに大事だと思う。しかし、お金を持っていない&お金を使うのが下手糞な僕は、これ以上移動費を消費してやりたいことはもうなかった。お金が消えていくくらいなら何もしない方がましだ、という方に舵を切ってしまう。この感情はまるで自転車の旅をしていたラストの方の記憶に似ている。やりたいことは特にないのに、旅という名目で進み続ける。何かが違うのだ。自分を満たしてあげるためにするべきことはそこじゃない。今のテーマは「自分をどうしたら楽しませることが出来るか」である。お金をかけて楽しいならそれでよい。お金をかけないで楽しめることがあるならさらに良い。たぶん今の自分は退屈しているんだと思う。しかしそれを打破するのが何なのかにはまだ気づいていない。取りあえず適当に移動することは違うと分かった。いい発見だ。

 

 人生20歳からが始まりだと思え

実家の4階は物置小屋になっているのだがそこに置かれている布団で寝ている。自らを「文京のハックルベリーフィン」と名乗っている。なんだか新しい気分だ。少しだけ謙虚な気持ちで家の中で暮らすことが出来ている。さて、次は群馬だ。やっぱりあの場所が魅力的なのだろうか、頭の中から離れない。しかし今のまま行ってもまた負ける気がする。プランを立てるのか、原チャリを買うのか、どの答えを自らが選択するのか。可能性の幅はまだまだ広がっている。本格的に社会のレールとやらからズレて言い訳できない状態に身を置き始めてから10日程度。まだまだここからだ。この間会った人から言われた言葉を思い出す。

「人生20歳からが始まりだと思え」

とても今の自分に勇気を与えてくれる言葉だと思った。その人もこの言葉をおじいちゃんから言われたらしい。父は偉大という言葉はあるが、祖父も偉大な事を忘れてはいけない。

なるほど、言葉の通り行くとまだ俺は2歳と2か月だ。何も出来なくて、何もわからなくて当然だ。足が立つようになって、少しあーあー言い始めたぐらいじゃないか。まずは焦らず、今を楽しんで。自分をめいいっぱい信じてあげて。あとは自分を流れに任せてあげるだけ。その先に見える景色はまだわからない。2歳と2か月の成人男性は吸収力と爆発力を信じ、今日も一日を生きる。

 

つづく、、、!

多分答えはもう知っている

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 家を出てさすらいの生活を続けている真っ只中の僕だが、現在なんと、実家に戻っている。なんなら昨日あったかい布団の中で眠っていた。

 家を出たときは、予定のある4/14まで実家には帰らないと思っていたのだが、我が身を流れるままに任せた結果、今家にいる。多分あと数時間でまたどこかへさすらうだろう。そんな予感がする。また群馬の赤城山へ消えるのか、それとも新たな場所へ流れ着くのか。時間と体が圧倒的にフリーな僕は、これと言ってやらなければいけないことはない。逆説的にいうと、何をやってもいい(アウトなことは除く!!)。

 

群馬から帰ってくる途中、高崎駅という駅で乗り換えをした。その時ふと新潟方面へ抜ける新幹線の改札を見つけた。そのときは気持ちが関東に向かっていたので湘南新宿ラインに乗ったが、もしかしたら新潟に消えていたかもしれない可能性もあった。ちなみに自由席は5000円ちょっとで買えるらしい。群馬~東京間の往復も約5000円だ。これなら行ったことのない新潟へ行くのも全然選択肢に入ってくることを知る。また自らの可能性を広げるのであった。

 

多分答えはもう知っている


 昨日、不思議な空間にたどり着いた。説明をするとめんどくさくなるのでザックリ言うと、カオスな家に行ってきた。人も現象もモノも全てがカオスだった。そこは誰もが来れる場所となっている。趣味でオラクルカード(タロットカードみたいなやつ)をやっているMさんに、占って(?)もらう。オラクルと聞いて「IT企業の名前!!」と思った。全然IT感はなく、超アナログだ。

 オラクルカードをやってもらった結果思ったことは「多分それは俺はもう知っている」だった。ちなみに占いで教えてもらったことは熱量がある、その行き所がない、そのエネルギーがお腹に溜まっている、だからすぐ痛くなる、瞑想(無になるほど没頭すること)をしろ、パートナーがいると最強。などなど。 

「多分知っている」なんて言うと、分かってるならやれよ!!と言われる気がする。これがまた難しいところなのだ。自分の状態がどうあって、こうこうこういうことをしたら自分が上がって行くというのは見えている。多分それは自分にとってめちゃくちゃ正解な気もする。自惚れかもしれないけど、全てがうまく噛み合ったとき今の100倍のエネルギーを持った人間になれる予感しかない。残念なのは、具体的な行動がわからない。何をしたら熱量を持ってでき、何をしたらパートナーに出会い、何をしたら最強になれるのか、具体的な方法がわからない。そして多分それはこれからもわからない。ネットにも書いてないし、本にも載ってない。自らが手探りで探していくものなんだろうと思った。(Mさんめっちゃ楽しかったです!!!ありがとうございました!!)

 


 本の話でいうと、あまりにも暇すぎて数日前に『孤独は贅沢』という本を買った。内容は自己啓発系の1ページひと格言、そして横に説明、みたいな感じの本だ。1人都会を離れ湖畔の小屋に住む、そしてそこで得た自然の真理、自分なりの幸せ、などについて書かれている。あれ?群馬の山小屋とそう変わらないぞ??と思った。僕は余りにも暇すぎて降りてきてしまった。しかしもう少しサバイバルの中で楽しみを見つけることができたら、多分この本に書いてある事は全て「わっかるぅ~!」になるし、なんなら僕も本が書ける。途中で本を読むことをやめた。多分自分なりの考えを持って進めば同じところにたどり着く。答えはそこ(本の中)にはない。自分の中にある(まだ気づいてないけど。)

 

自分を信じろよ

 

こういう感覚を持ち始めると一切のネットの情報や本が要らなくなる。結構無駄な知識を僕は詰め込んでいるのであとは知恵を働かすだけで、根気さえあればなんとかなる気がしてる。ネットがすぐに使える今だからより思うのかもしれないけれど、自分にとって本当に必要な情報は10年に1回ぐらいのペースぐらいでしか現れないのではないか。なんて思えてくる。ちょっと情報過多になって、情報に頼りすぎだった自分に喝を入れる。

 

ネットや本に書いてある言葉、占ってもらってわかる事実。最初はもちろんそりゃ「身に染みる!!」となる。で、その通りに実践してみたくなる。しかし、本当は多分答えは全てもう持っているのだと思う。そしてそれが今わからないのはタイミングってことにしておこう。あと僕の場合は早生まれということで他の人から見たら遅れてるってことにしておこう。自分の外にはもう答えはない。自ら、自分の中に眠っている答えを見つけるために今日からまたさすらいの日々を続けるのだろう。いつ分かるのか、明日分かるかもしれないし、死ぬまでわからないかもしれない。この不安定感さえも楽しんで日々を送れたらもう言うことなしに違いないのだろう。自分を信じ続けるのだ。迷うし、苦しいし、訳わかんないけど、多分それがいい意味での「普通」な人生なのだろう。あっ、残り残金が27000円だ。まだ行けるな。

 


つづく、、!

お腹との休戦協定方法

 

 今からちょうど二年前、自らのお腹との対決が始まった。きっかけが何だったのかはさだかではない。もしかしたらその当時やっていた演劇の現場で急性胃腸炎になったのが引き金かもしれない。そのあとの友達との旅行の帰りのバスで、トイレを我慢した結果死にそうになったことが原因かもしれない。毎朝早くから教習所に通っていてお腹が痛かったのがあったのかもしれない。もしくはそれ以外の様々なストレスが関係していたのかもしれない。

 

胃カメラと大腸カメラの記憶

 

 あまりにも毎日謎の腹痛に悩まされることになった僕は、二日間の検査入院をすることになり、人生初の胃カメラと大腸カメラというものをやった。胃カメラというと僕は口からカメラをぐわーと入れておえっとなりながらやるやつかと思っていた。が、最近の医療技術は格段に進化しており、2Lぐらいのお腹をきれいにする飲み物を飲んだあと、麻酔をかけてもらって検査をするだけでおしまいだ。このお腹をきれいにする飲み物というのが想像以上だった。最初は口に含んだ瞬間のあまじょっぱさから、「なんだ、これから2Lのアクエリアスを飲めばいいんだ!!」と余裕をぶっこいていた。おかしいかな、1/3を飲んだところでおかしくなってくる。もう飲めない、、、(このアクエリおいしくない、、、)

 

 一緒にその飲み物を飲んでいたおばさんたちとともに、チームプレーをするが如く、お互いに言葉を掛け合い、その飲み物を飲んではトイレに行く、を繰り返す。無事飲み終わった後麻酔をかけてもらい胃カメラでお腹を見てもらった。麻酔が効きやすい体質らしく、2時間ぐらい眠り続けたらしい。一方の大腸カメラはすぐに麻酔をかけてもらい終わった。

 

 結局、2mmぐらいの良性のポリープがあった程度で、これといった目で見える原因というものはなかった。ということで、もれなく僕は過敏性胃腸炎というものであるということがわかる。簡単にこの症状について説明すると、お腹がとても敏感になっており、軽いストレスやメンタル的要因などでもお腹が痛くなってしまうというものである。

 

受け入れることなのか、、、

 

 この症状が出るまではストレスでお腹が痛くなっても、受け止めてやるぜ、、、!と不敵な笑みを浮かべていたものの、痛みが止まらなくなってからは笑えなくなっていた。

 今までの健康体な自分と、痛みを抱えている自分とのギャップに自らが一番耐えられず、「なんで、なんで俺がこんなことに、、、」と思えば思うほどにお腹が痛くなってくる。被害者づらしているとどんどん体はつらくなっていく一方だ。かといって恐ろしいのはおならが少し出る程度で、特に下したりするわけではない。しかし、この症状が出たことは自分にとって悪いことだけではない。

 

 それまではパーフェクト主義になりがちだった側面が自分の中で結構強かったのだが、この一件以降「申し訳ないけど僕は身体的に弱めです!」という面を見せた方が楽だということに気づく。ダメな自分を、自分が受け入れるというのは新たな世界であり、自らを受け入れる【自分を知る】的なことが見えた。すると負い目を感じなくなりはじめ、それまで電車に乗るのにも2駅ごとにおりてはトイレに行き、ろくに移動ができなかったのが、なんと改善を見せ始める。

 

 その後半年近くこの症状に悩まされることになるが、知らない間に痛みを覚えることは少なくなり、全くと言っていいほど腹痛に敏感になることはなくなった。気付けば自転車で全国をすいすいしている時も痛みに襲われることはなかったし、それ以降も悠々と過ごすことが出来ていた。

 ところがこの三月、しかも温かくなってからいまいちお腹の調子がすぐれない。色々な事からの気疲れなのか、それともこれからの自分に対する不安なのかよくわからないが痛む。

 

 

 なんで、今日記事を更新しようと思ったのかというと、昨日このお腹との戦いに休戦協定を申し込んだのだ。今までは痛みを忘れるか、疲れを取るか、放っておくかという対処法を取っていたのだが、とうとう昨日「確かに今お腹は痛い、だけど今は違うよな???」と自らと対話をすることが出来た。

 

お腹との休戦協定

 

 事件は昨日の17時35分ごろ起きる。自転車を取りに自転車置き場に行くと、どのポケットを探しても見つからない。凄い勢いで体がぞわっとした。心が動揺してどう動けばいいのかわからない。ちょっと息も荒くなる。頭の中にやってくる焦りと不安を能がキャッチし、お腹に「お腹痛い」信号を送る。もれなくお腹が痛くなってきた。とりあえずトイレを済ます。

 今までの自分だと、この後も痛みと戦い続けていたのだが、今回の自分は一味違う。ここで大事なのは悲観的になることではない。自らのお腹にも「今は鍵の方が大事だよね」と言葉をかける。大事なのは落ち着くことだ。まずは心をニュートラルな位置にまで持っていくことが最重要課題なのだ。

 

 

 大きく手を広げて深呼吸をする。するとそれだけでも気持ちは和らぐもので、更にポイントとしては息を吐く時に「自らの毒素を出す」イメージを持つことだ。部屋の換気をするかのように呼吸をする。そうすると風通しがよくなり自然と頭が冷静になってくる。

 それまで焦りの感情のせいで素早く(無理をするようなスピードで)動いてたのが、安心感をまとった行動に変化を見せる。頭が落ち着いてくると、これからどうすればいいのかが瞬時にわかってくる。鍵を落としたかもしれないポイントを冷静に見まわしていく。最悪のケースでさえも受け入れる準備を整える。

 

 

 残念なことに自転車の鍵は見つからなかった(無念!!!)。仕方なしに自転車の後輪を持ち上げながら家までの道をひたすら歩いた。無事自転車とともに家に着くことはでき、何とかやった。おもしろいことに、それまでずっと痛かったお腹はどっかに行った。久しぶりにお腹とコミュニケーションがとれた気がした。まずはメンタルだ。知らない間に気持ちは疲れていないか?(たぶん人ごみに疲れていた。)それによって体に無理をさせていないか?まずはいったん心も体も落ち着くこと。

 

 

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 さて、この自転車の鍵が実は厄介な代物で、「ゴジラロック」という頑丈な鍵となっている。簡単に切断することはできない。おそらくスペアの鍵も一回失くしているのでしばらくの間、自転車は封印することになる。

 

 

困ったことにこれから一切の予定が無い僕は、橋本家が持っている、誰も使っていない古民家に興味を持っている。そして 実は自転車に乗って、その古民家のある群馬県に行こうとしていた。しかし自転車は使えなくなった今、これは「次は自転車を使った何かをするのではなく、違うことをするのだ!」というお告げなのだと思い、気持ちを心機一転しております!

 

自転車に乗らない代わりに、両手が開くので、片手にギターを持ちながら移動するのもありだなとか、ごみ拾いをしながら徒歩で群馬に行くのも楽しそうだなとか思っております!

 4月1日以降の動向に、ご注目ください!!

 

つづく、、、

家族とコミュニケーション取れてますか?

 

 思っていることを言葉にするのってやはり難しいですね!そういう実感を只今しております。今日一日の中で、少し言葉にしなければならない(言葉にまとめなければ消え去ってしまいそうな気持がある)と思ったので、気持ちを言葉にしてみたいと思います。自分の弱いところ、それ人に見せる???というところをさらけ出してみることに何かあるのではないかと思います。

 

 

 【大学を出ると同時に、家も出る】宣言をしてからもう何か月が過ぎたのだろうか。自らを奮い立たせようと思い、数か月前、この宣言を家族にした。あまりにも家を出ていくのに対して流れが無い(どうやって生きていくのかが未定なのに家だけは出ちゃう)ことにリアリティさを感じることが出来無かった親はこの数か月間本気にしていなかったようである。ついさっき父親から、扶養から外す。携帯代は自分で払え、などなど、4月からいろいろ変わることについて言われた。

 

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【大学を出ると同時に、家も出る】宣言

 なんで【大学を出ると同時に、家も出る】宣言をしたのだろうか。この意図は文章にすると長く、しかも上手く伝えられないががんばって書いてみる。

 大学4年生の時にいわゆる就活というものをしていた。正直、なんで働くのかが最後まで分からず、一回引退したり、復帰したり、途中旅を挟んでみたりしたものの結果は事実上の就活リタイアをした。一緒に受けている人たちの、あのうさん臭さは無理だったし、面接をするにしても自分の言いたいこと、思っていることが明らかに働くことにフォーカスされていないことに気づいた。こんな状態で嘘をついてまで、あと自分の将来の為とかいうよくわからない利益のために働いても、たぶんすぐ死にます!!と思ったので、思い切ってやめてみた。やめてみると面白い視点が見つかる。

 まずめちゃくちゃに時間が余る。アルバイトをしているわけでもなかった僕には恐ろしいくらいの時間が出来た。いい意味で暇な事もあれば、完全にアウトな暇なときもある。思えばこの数年間の内、いい時間の過ごし方であったり、ダメな時間の過ごし方があった。よかったときは、演劇をしている時。アカペラをしている時。クオリティはさておき、ああ、これはいい仕事をしている!という実感があったので、時間が過ぎても無駄とは思わない。むしろ愛しい。一方アルバイトをしている時や、好きでもないことに時間を使っている時は、圧倒的に「中身のなさ」を感じていた。もしかしたら捉え方次第なのかもしれない。今中身のないと思っていたことが、有意義に感じることもあるかもしれない。結果は残念な感じになった。

 時間が余る問題は、周りの人と物凄い勢いで生活がクロスフェードしていく。周りの誰よりも暇なので、OKが出せる用事が増えたし、一方で意外と周りの人が時間のせいでNGになっているパターンが多いことにも気づく。時間の過ごし方も変わった。ひたすらに散歩をして、本を読む時間が増えた。昔から歩くとなぜか頭の中で仮想の人間を作り出し、僕とそいつで会話が始まる。あの事はどうだ、どうしてああなのだ、といったことが始まる。しばらく大学に入ってからはそのケースは身を潜めていたのだが、歩き始めてからは自分の心や言葉を見つめなおす時間が増えた結果、たぶん、いい意味でわけわからない事を考えるようになったと思う。本から考えることもあったりした。意外と生活的には質素だが、精神的には結構楽しい時間を過ごすことが出来るようになった。

 

就活をオフした僕は、その他諸々、サークルもオフ、人間関係もオフした。

 

人と話すとは、、、

話がなぜ宣言をしたのかからだいぶずれてきてしまっていることに気づく。そうだ、なぜそんな時間の余った僕がそうしようとしたのかだ。

 それはヒッチハイクを通しての記憶が大きく作用している。色々をオフった時期、人間関係もオフった。ゼロに戻すことで、自分の世界を一から構築しようと思った。誰も知らない世界に生きたかった。そうすることで新しい自分が見れると思ったからだ。

 お金を貯めて海外を旅する。プログラミングでも学んで稼ぐ。そのほかにも10個ぐらいプランがあった。その一つにやったことのないことをしたいということで、ヒッチハイクをしてみた。ヒッチハイクには家をオフする意味合いも込めていた。

 

 ヒッチハイクは隣にいる人と本気のコミュニケーションをとる。その時一文無しで、拾ってくださったドライバーさんにどういうお返しをしたらいいのかなんてわからなかった僕は持てるコミュニケーション力を全放出した。ひたすらこの人のために会話をしようと、本気の会話を心がけた。結果、この力をどうして一番傍にいた人たちに出さなかったのか、ということが一番の教訓になった。

 

hasheem32.hatenablog.com

 

余白を持て余していた僕は、農業インターンみたいなのに申し込んだりしていたが、そんなことよりも隣にいるやつを大切にすることの方が大事だ!!!となる。オフしたはずのアカペラグループにいい感じに戻ることが出来た僕は、「こいつらに愛を注がなければ自分のことだけやったって上手くいくはずがない」という使命感にかられ、ラストライブに自らの時間を調整し、無事この間終えることが出来た。

 

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 ヒッチハイクをしてもう一つ思ったことがある。家に対してである。我が家には大変お世話になっており、もう何から何まで至れりつくせりで、王様気分で正直22年間生きてきたと言っても過言ではないと思う。何もかもゼロにしたかった僕は、明日にでも家を出ようと思っていた。(この背景にはいろいろ思うところがあったので割愛します!!!)

 

 ヒッチハイクをして、帰ってから、ああ、親には日々感謝だな、近い人ほどこれをすぐ忘れる、と思い、家を出るのは学生を卒業するその時にしよう。その方が区切りがいいし、理由も十分だろうと思っていた。(ようやく言えた!!!!!)

そしてその間は、家族に感謝しつつ、圧倒的に甘えていこう(お手伝いはもちろんする)、家にいてできることをしようと決意した。そして学生としてこの期間は潔く過ごそう。そういう風に考えた末の宣言であった。

 

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家族とコミュニケーション取れてますか?

 そして今、よくわからない事になっている。結局「卒業まで動かない」という謎の攻めの姿勢を見せた僕はこれからの予定は未定だ。この余白が僕を変える、と勝手にポジティブシンキングをしているのだが、たぶん父にはこの感じが良くなかったらしい。ひたすら「扶養を外す」、「保険が無いとどうしようもなくなるぞ」、「これまでの時間は何のためにあったのか」、「自分に何のメリットがあって歌ったのか」といった言葉が迫ってきた。なんだか、聞いていて悲しくなってきた。

 これは浅い考えと言われたぐうの音もないが、保険があることよりも、金があることよりも、自分にだけメリットがある選択をすることよりも、もっと大事な事があると思う。僕の場合「好きな人に好きを伝える」「ありがとうを言えるようになる」といった、愛を伝えていくことの方がよっぽど大事だと思っている。そして人とのつながりを大切にすることが僕の周りを幸せにできるのではないかと思っている。それに気づくことができ、すこしずつ実践ができるようになったこの数か月はとても愛おしい。

 その時間を無駄と言われたことに、シンプルに寂しさがこみあげてきた。僕の否定もあるが、もう一つの意味で寂しかった。

 言いたいことを言えてない父が目の前にいた。言いたい言葉を見つけられていない父はだんだんずれていってしまった。たぶん父が言いたかったのは「得する人生を送れ」ではなく、「お前のコトが心配なんだよ?」だったのだと思う。本当に言いたいことが言えずに違う言葉が現れる時、寂しさや怒りに任せた言葉が出てくる。僕も何度も経験している。最後まで本当に言いたかったであろう言葉は現れず、もはやコミュニケーション不可能と感じた僕はその場を去った。

 

 ちょうど今朝、ああ、家族とのコミュニケーションが不足しているな、これを解決できれば、将来とか家がどうとかそんなことよりもいろいろな事が上手く運びそうだな、と思っていた。ということで、実は朝母親とも話した。母親との会話は得るものがたくさんあった。素直に反省せねばならないところがたくさんあることに気づいた。しかし父とは違かった。コミュニケーションが不足していることが明らかになった。

 

 父の本当に思っている所の言葉を引き出すことが出来なかった自分にも非がある。もっと自分のコトを言語化できるようになりたい。何を思っているのか、口で伝えられるようになりたい。それができるようになったコミュニケーションはもっと尊いものになる。真の意味での会話が始まる。なにか素晴らしい世界が待っているのではないかと思った。

あなたは家族とコミュニケーションが取れてますか?

 

 

家族とともに成長を、、、、、

果てしない道がつづいてる。

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 昨日の夜、僕がやっているアカペラグループAgua-Blancoのラストライブがあった。僕は今家でのんびりすごし、でも忘れないうちに昨日のことを書き綴りたいと思う。たぶん今から書く文章は僕が思っていることの1/10も伝えることが出来ないと思う。頭の中に浮かんでくる言葉や考えはたくさんあるが、細かく書きすぎてもお堅くなってしまうので、思ったことをそのまま文字に起こしていければいいかなと思う。

 

 

ライブ当日の朝 

 朝起きてから布団の中でYoutubeを見るのが日課になってしまっている。ライブ当日の朝Youtubeを開くとおススメ動画の一番上に「音楽関係者が歌下手を歌ウマにするボイトレ」の動画が現れた。

 


お願い!ランキング - 17.11.02

 

 ちなみに最近見ている動画はNBAのハイライトやお笑い系などまったく歌に関連していないモノだった。が、しかし、なぜかここにきて突然の音楽系の動画が来たので「これはお前に役立つかもよ?」と言われた気がして、関連する動画までずっと見漁っていた。

 その動画に出てくる先生はめちゃくちゃスパルタなのだが動画の中で「過呼吸になるくらいになった時何かひとつ得るものがあればいい」「テクニックなんかより結局は自分次第なんだよね」みたいな言葉を言っていた。

 

 ここ何日かに一回訪れていた「明日も生きれると思うなよ!(今に集中!!)」「俺のやるべきことは上手く歌うことではなく、目の前のあなたに生き様を届けること!」という言葉たちと先生の言葉がすごいリンクして、なにか今日という一日を素晴らしいものにしなければならないと思いながら、突然ギアを上げるのはどうなのだろうかなど思い悩み、ラストライブということもあって緊張した体と声で家を出て、集合場所まで一時間考えながら歩いた。

 

 歩いている途中、グループのラインでリーダー(バンマス)の文也が突然「卒業通知が届いていない、、、!」という緊急速報を鳴らした。たぶん学校の段取りが悪いだけで、卒業できると思うのだが、本人はライブ当日なのにそちらの方が心配になっている。なんかこの様子が微笑ましかった。我らがAgua-Blancoのラインではこういうライブに関係のない話が日々行きかっている。いつも通りのラインだ。

 また自分はAguaでの身の振り方を忘れてる。ここでは生真面目に物事を突き詰めるのではなく、あるがままに自分の身を流すのが良いと言うことをこの4年間で散々思い知らされたではないか!!

 ラストライブだからしっかりやらなくてはいけないと思っていた自意識は完全にどっかに行き、今日もいつもと変わらない一日だけれどだからこそ肩の力を抜いていつも通り誠心誠意歌えればそれでいいや!ということをリーダー文也のラインで気づくことができた。

 ちなみに昔の自分だったら、「卒業通知よりもラストライブに集中!!」と言ったり、思ったりしてモヤモヤしていたんだと思うけれど、「のんびりいきましょ~」と気持ちを変換できた自分のことを少しだけ褒めてあげたいなと思った。(彼の卒業通知は届いたようです!おめでとー!)

 

 さてそんなこんなで学校にて少し準備をしたのちに阿佐ヶ谷にあるライブハウス「あさがやドラム」に向かった。このライブハウスについては昨日のライブでも言った通り一年生の頃からお世話になっているライブハウスである。ああだこうだと言葉にするとちんけになってしまうので、上手く伝えられないのだが、この場所は最高だ。ここに出会えなかったらおそらく今回のライブも企画できなかっただろうし、いろいろなにかがずれていただろう。感謝で心がぶるぶるする。

 

ライブ本番

 本番中の話については特にそこまで細かく話をしなくていいかなと思う。昨日あの場所にいた人はもう断片的にしか覚えていな人も多いかもしれないが、それでも「何かがあさがやドラムであった」という記憶さえあればそれだけで十分である。足りすぎぐらいな気もする。

 本番に関してはもちろん内容的にレベルが低い点は山のようにあった。もうこれは「反省」というよりも「許してください!(もうコレが限界で、上手くなれません!)」の方に部類されると思う。

 どうしても毎回僕たちのライブでは和音がグワングワンしたり、テンポが駆け足どころではなくダッシュする。しかし、和音のグワングワンは気持ちが入りすぎて音と声量バランスがずれ、テンポンダッシュは早く楽しみを味わい尽くしたいから早くなったのだと思う。今回も確実に熱量があった。熱かった(体温的にも)。最近の言葉で言うとエモい(?)。テクニックよりも熱量!は僕の理想だ。歌が上手くていいことは、熱量(自分の気持ち)を届けるのにより効果的になるだけであって、あってもなくてもどっちでもいいと思う。「なんかいい」「青春感があった」とかそう言うことを届けることができた実感はある。ステージに立ってて僕たちが楽しめていたから。とりあえず何かはとどいたのではないでしょうか!?

 

 もう一つ、昨日来ていただいたお客さん一人一人全員が本当に素晴らしく、ステージに立っている最中、圧倒的肯定感を感じた。

 今回のライブは「メンバーがライブを見に来てほしい人に声をかける」集客、言ってしまえば招待制にした。もともとは身内の家族だけ呼んでしっぽり歌おうという予定だったものの、色々あってもっと輪を広げることになった。これがとてもいい形に作用し全員素敵な人が集まり、ライブが始まる前も仲間と「幸せだな~」なんて言っていた。

 他人を評価するような冷たい目はその場にはなかった。ただただ「君たちはただ存在しているだけでいいよ」という安心感を皆さんからいただいていたように思う。もうどちらがお客(受け取る側)なのかわからない。お客さんの顔を歌っている時に見ると、「いいよ!歌って!」と言っているかのような眼差しを送ってくれている。今回僕が呼んだライブハウスの一番後ろにいてビールを飲んでいた友達もしっかり顔を出して見守ってくれていた。何をしていても許される空間は、一体感がある。客席とステージの境界線が溶けていく。乱雑にまとめると、僕たちの名前はAgua-Blancoというのだが、そのAguaのメンバーが50人くらい増えた気がした。昨日来てくれたお客さん全員がAguaだった。

 

橋本家について

我が家の話を少ししたいと思う。

 今回、橋本家全員を招待した。父、母、弟である。普段僕が歌っている姿を家族は見ていない。母親だけ二回ライブを見に来てくれた。父と弟にとっては初めてのライブハウスだったと思うし、初めて僕がステージに立って歌っている姿を見る日になったと思われる。三人に渡すパンフレットに、ライブが始まる前、手書きで言葉を書いていたのだが、言葉を形にして家族へ送ることが僕にとって物凄く久しぶりで、照れながらも落としてはいけない言葉を大事に探しながら書いた。ライブハウスに来ると、父親はいつも通り、母親は機嫌よく、弟は異空間に来ているような顔をしていた(普段は野球をしているから、地下が新鮮だったのかな?)。下手側の後ろでよく僕からも見えやすいところにいた。

 ライブ本番中、驚いたのは三人とも僕にカメラを向けていたことだ。父親はデジカメ、母はスマホ、弟はPSvitaを使って、何かしらの媒体で僕を残してくれていた。もっと淡々と聞いて見ているのかなと思っていただけに、めっちゃ見てくれてる!と嬉しくなった。あとあとメンバーから聞いたところ、母親がめっちゃノリノリで曲を聴いていてくれたらしい。

 思えばいつも弟の野球の試合を家族で観に行くことはたくさんあったが、僕が何かやっているのを見てもらったことは少ない。元々僕は自分のやっていることを親に見せるのが嫌いでどんな事をしているのかよく分かってないことが多いと思う。久しぶりに息子感(元気に俺は生きています!れ)を出せたのではないだろうか。息子は楽しくやってます!!!!

 最後にお客さん全員と僕たちとで写真を撮ったのだが、父親が手を挙げて楽しそうに写真に写っていた。普段の父はテンションがわかりにくいのだが、これを見て、ああ、なんかよかったと思った。ほんわかした気持になった。

(余談だが、一番後ろにいた僕の友達もしっかり決め顔で映っていてくれて嬉しかった。沼野ありがとう。)

 そのあとも家族だけで写真を撮ったのだが、その時に父が「うちはフォーメーションがないね、決めなきゃ!」と言っていて、僕は「え!家族写真にそんな乗り気な父親初めて見た!」とびっくり嬉しかった。

 

ライブ終演後

 ライブ終演後、来てくれたお客さんと写真を撮ったり、歓談したりなんかして一通り終わったところで、今回パンフレットの写真を撮ってくれ、更にデザインまでしてくれ、更にさらにその印刷までもやってくれ、更にさらにさらに動画まで作ってくれるという素晴らしいお方I君と、ずっと当初から僕たちのライブに来てくれていたHさん、Nさんが残っていた。この三人とあさがやドラムのお父さん、お母さん、娘さん、PAさん、も混ざり合計13人で乾杯をした。こうやって輪が少しずつ広がっていくような現象を目撃することが出来て、本番中の楽しさは勿論そうなのだが、こういう人のつながりみたいなのって素晴らしいなと、レモンサワー片手に思った。更に自分たちだけにこだわらず閉じこもらず、輪を広げることが出来ているメンバー全員も素晴らしいなと思った。メンバーのこういう根本的に優しいところが4年間やってこれた理由なのではないか。

 

 あさがやドラムのお母さんから「前より顔がすっきりしているね(気持ち的に)」と言われた。半年前にも同じステージで歌ったのだが、その時は旅をしたり色々就活云々で頭がパンパンになっていた。そう考えると今はどこか腹が決まっている(予定はないけれど!)実感はあり、顔も変わっていったのかもしれない。顔が変わったと言われるのは結構好きだ。生き様は顔に現れる。ちょっとだけでもいい生き様を見せれていると思うと、もっと頑張ってかっこよくなってやる!!という気持ちがわいてくる。シンプルにとても嬉しい。

 

果てしない道はつづいてる。

 ちょっとだけAgua-Blancoのメンバーについてライブを通しての話をして終わりにする。

 今回自分の中のテーマで、観客だけでなく、メンバーのみんなに歌を届けることをやってみようと思っていた。お客さんに感謝の気持ちを伝えるのは当たり前中の当たり前なのだが、意外とメンバーへベクトルを向けることは忘れられがちだ。

 僕はこのメンバーに一方的にでも心を込めて伝えなくてはならない理由がある。半年前、意見のすれ違いで僕はこのグループを辞めようとした。結果的には連れ戻された。やめようとしたとき、一方的に抜け出そうとした。自分のことで色々と思い悩んでた時期で、今思うと結構頭が硬くなってた。ラインを退会した後、連絡がなければそれまで。呼び出されても徹底的に話し合って自分の筋を通そうと考えていた。話す仲間もいなくなったので、人を求めてヒッチハイクをした。その時いろんなことを思ったのだが何より、一番近くにいる人とのコミュニケーションを一番ないがしろにしていたなということを実感した。東京に帰ってからみんなに呼び出され、話し合った。友達を失っちゃいけないからまた戻る、とかそういう事じゃなく「つべこべ言わずにこいつらと歌え」という天命をこの時受けた気がする。呼び出されてAguaの一員として連れ戻された時、メンバーがどう思うかとかそんな事はどうでもよく、僕はこの人達を愛さなくてはいけない義務がこの時発生した。

 みんなに伝わったかどうかは分からないが、慈しみを込めて歌った。時間を過ごした。ありがとう。

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ライブが全て終わったわけだが、全く終わった感(今生の別れ)を感じない。それは今もまだラインがもりもり動いているからかもしれないし、来週、実はまだ歌う用事があるからかもしれない。だけどそれだけじゃない気がする。

 今まで、演劇の現場では今生の別れの思いをして来たことはあった。それが力になったこともあったし、別れという将来への不安ではなく今に集中することを考えさせられた時もあった。しかし、このメンバーとの関係性においては別れはない気がする。

 ドラゴンボールみたいなものなのだと思う。必要な時に集まって、また散らばっていく。いつ集まるのかはわからない。明日かもしれないし、死後の世界でかもしれない。たぶん続いていく。残念ながら他のみんなは嫌かもしれないけど、続いていくのだろう。また歌える機会を楽しみに僕は待っている。

 走れ走れ走れ 躓き転んで落ち込んで それでもほら 起き上がれば

果てしない道が続いてる。

                         『笑ってしまえ』

ギャバン!あばよ涙

ギャバン!よろしく勇気

宇宙刑事ギャバン! 

                       『宇宙刑事ギャバ ン』

 

ここまで書いて見たけれど、やっぱり伝えたいことの1/10も伝えられてない!

 文章もはちゃめちゃ!でも書きたい事は書いたし、読んでももらいたいので、ここまでー!

 

 

おしまい。

【七年目の懺悔と大発見・その3】バランスを取る

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 人生最後(?)のライブまで残すところあと一日!今日も今までステージに関わってきた記憶を掘り起こして、自分の見つめなおすべきところ、自分を受け入れるところ、こういう選択肢もあったかもしれない!という自分への可能性、などなどを文章に起こし、何か気付くことが出来ればGOODだと思って、記事を書きたいと思います。

 

 余談にはなりますが、今日の帰り道はスマホに入っているSuicaアプリを開いて残金を見たところ残っていたのは134円で、もれなくチャージをしなければ帰ることが出来なかったので、歩いて家に帰ることにしました。その途中、二組ぐらいの親子に出会い、そのどちらもとても素晴らしい雰囲気だった(子供と親がどちらもめちゃくちゃ楽しそうにしていた!!)ので、ああ、これは明日もいい一日になりそう!という気がしております。天気予報もつい先日までは雨だったのが、先ほど見たら晴れに変わっていました。これは明日という日がみんなにとっていい感じの日になるお告げなのだと思います!(明日のライブがいい感じになりますように!) 

 

余談・ライブまであと少し

 ライブ開始まで、24時間を切っている。今日も8時間ほど練習兼打ち合わせをして、明日の本番に備えた。こんなに時間は使ってきたものの、もちろんまだまだ作り込みが甘いところはたくさんある。今までだと本番直前になって急ピッチでその穴を埋める作業をしており、実際本番当日になるまで不安だった思い出がある。それに対応して、自分の気持ちも「しっかりやらないといけない」と意気込み、顔と心がこわばっていた。しかし、僕もそうなのだが、メンバーの顔を見ている限り、まだまだライブ自体の余白はたくさんあるものの、どこか余裕と朗らかさを感じる。いい顔をしている。

  このことは凄いいいことが起きているような気がする。上手く言葉では言い表せないのだが、前までは「ライブをきちんとすること」が目的になっていた。それはアカペラのレベルや、ライブ全体の内容の完成度といったことのような気がするが、今回は「好きな人と大切な時間を共有すること」に重きを置いているため、正直ライブの完成度よりも、一緒に舞台に立つ仲間に対して、僕が呼んだお客さんに対して、誠心誠意向き合うことが出来るのかがテーマである。こうなってくると、あくまで歌のうまさや内容というのは手段に過ぎない。目の前にいる大切なあなた(仲間&お客さん)にプラスの感情を少しでも伝えることが出来れば僕にとってのこのライブは大成功になるのだと思う。そのために必要なことは、かっこつけず、いつも通り誠実に向き合うこと、それだけだと思う。

 今までのライブ前はしっかり髪型を整えて、白髪も染めていた。しかし今回髪型を整えることには成功したものの、頭皮がセブ島に行った時に日焼けしてしまい、更にお金が尽きてしまい白髪を染めることが出来なかった。が!これはもう「お前は残念ながらかっこつけることはできません!いつも通りやってください!」と言われているような気がして、逆に心が落ち着いた。ライブに向けて必要なものは誠実な心オンリーというのはなんと身軽なのだろうか!なにかを背負うことでやりきった感を得ることはできる。しかしもれなく心のロスや、消失感にとらわれる。ならば特に何も背負わなければ何が得れるのだろうか。これはある意味実験だ。明日のライブがとても楽しみになってきた。

 

 

前回の記事はこちら👇👇👇👇👇👇👇👇👇

 

hasheem32.hatenablog.com

 

 

 僕の青春、、、

 昨日のことになってしまうのだけれども、突然友達から、以前僕がやっていた大学主催の演劇プロジェクトについて尋ねられた。知り合いが興味があるのでどんな感じだったかを聞かれた。僕は「青春ができると伝えて!!」といった。懐かしい。僕は大学一年生の時にこのプロジェクトに参加していた。今思えばここでは青春をしていたなあなんて思う。それほどこのプロジェクトに対しては一回しか参加していないのにどこか思うところがあって、今でもたまに思い出すことがある。

 このプロジェクトはイギリスの文豪、シェイクスピアの作品を学生だけで上演するというのがテーマになっている。そして公演をするホールは約1200人を動員できる所で、もしかしたら渋谷にあるシアターコクーンや、初台の新国立劇場といった、よく使われる劇場よりも動員数は多いかもしれない。この規模感からも分かる通り、相当気合の入っているプロジェクトである。

 

 友達が企画してくれた演劇で、もれなく自分のダサさに敗北した僕は、「この現場では死ぬ!(己の出せるモノ全てを出し切って、精魂尽き果てよう!!)」という思いを胸に抱きこのプロジェクトに臨んだ。この時は役者としてではなく演出助手として参加していた。僕は「演技は下手だけど、役者には寄り添える(少しは気持ちがわかるかもしれない)」ということを思っており、現場で役者と触れ合えるこの仕事を、適役じゃないか!!!と感動した。さて稽古が始まると、僕は何をしたかというとめちゃくちゃ笑顔と愛想を振りまいた。話したことのない人(苦手そうな人は避けた!)にすり寄った。ポジティブオーラを出せば、万事いいことが起きると信じていた僕は約一か月間ぐらい元気に頑張ったが、途中から笑顔や愛想を出すことではなく、思っていることを真正面からぶつけていくスタンスに変えることにした。具体的に言うと、あれ?と思った演技に対して嫌われる覚悟でズバズバ意見を物申した。もうこれは主役の4年生にも3年生にも言った。なるべく人に合わせて口調や伝え方も意識した(つもり)。メンタルがガラスの人には上手く寄り添う感じで話した。このあたりは結構頑張っていた。

 

 が!ある日、事件が起きる。ある日の稽古、あまりにも適当に稽古をしている人たちを見てツンツンしていた僕はイラつきのあまり学校の壁を恐ろしい勢いでハイキックした。文章にすることは難しいのだけれどものすごく心にモヤモヤが広がっていた。結果、人に文句を言うのではなくモノにあたる方式を選んだ。綺麗なハイキック(タイキックみたいな感じ)が決まりいい音が校舎に響いたものの、足の親指を負傷した。その日はあまりの痛さに靴を履くことが出来なかった。当時、演劇プロジェクトとアカペラの二足の草鞋を履いていたのだが、次の日のアカペラの練習に「壁を蹴って足が痛いから30分遅れる」ことになり爆笑された。一つ得た教訓としては「壁を蹴るときはハイキック(指が痛くなる)ではなく前蹴り(足の平たいところを使う)にするべし」というもので、実は後にこの教訓は活かされることになってしまう。今では絶対に考えられない。。。。

 しかし、自分の気持ちを正直に伝える(壁を蹴ってしまったけれど)ことにシフトしたことで、僕が信頼できそうな人を見つけることが出来た。これは大発見だ。この時の僕は、ダークネス感を漂わせており真面目なんだか、ひねくれものなんだかわからない感じになっていた。そのため僕は周りから好かれていなそうだなと思っていた。一方で僕のことを受け入れてくれる人の存在にも気付くことが出来た。当時は日々愚痴をこぼす感じでその人たちに甘えていたけれども、本当はものすごく嬉しかった。この人のことが好き!と思えた時、心がとても楽になるような体験をさせてもらっていた。何とか最後までプロジェクトに参加し続けられたのは皆さんのおかげです!

 八方美人になることはできないけれど、自分のことを受け入れてくれる人の為なら頑張れるというのは、なんとなくだが今にも続いている傾向ではないかと思う。

 

バランスを取る

 僕はバランスを取る。みんなが真面目にやっていると「ふざけた方が楽しいで~」と言い、みんながふざけてると「まじめにやれ!!!」と言いたくなる。なんなら言った。片方に思念が集まるとそれを崩すが如く、真逆のことを言い、惑わす(選択肢を増やす)。天邪鬼とも言うのかもしれない。これをやるともれなく「お前は何がしたいのだ!」と言われることがある。ただ単に、みんなと同じことをしたくない、みんなが同じ雰囲気なのはなにかやばい気がする、と危惧しているだけなのだと思う。運がいいことに(?)バランスを取るような人のポジションがこの時は空いていて、俺がやるしかねえ!となった。結果いつも、わちゃわちゃ楽しそうにしている輪には入らず、ただ佇んでいた。とは言っているもののたぶん本当は楽しそうにしている輪に僕も混ざりたかった自分が居たのだと思う。しかし、それを僕がやってしまったら歯止めが利か無くなりそうだな~と感じたのか、頑なにしなかった。

 周りとのバランスはとれるくせに、自分の中の気持ちのバランスを取ることは下手糞だ。本番直前の楽屋にて、みんながメッセージカードを書いていた。打ち上げでプレゼントする用のものらしい。しかし「打ち上げに行けると思うなよ!!(まずは目の前の本番をやりきることが最優先だろ!!)」と僕は思った。また、千秋楽の直前、舞台裏で感動(これが最後の舞台だ、、、)の嵐が巻き起こりお互いに涙してハグしたり手を握っていたが僕は、「泣くとセリフが走るから、泣くな!お前らのための舞台じゃねえぞ!客に伝わってこそ舞台だ!」と思い淡々としていた。これは真面目なのだろうか何なのだろうか。今に集中しろ!!という考えは今でも残っている。特に一人で行動するときなんかは、戒めとして「未来より今!(明日があると思うな!)」と自らに言う。

 しかし「正義感の押し付け」になってしまっていると思う。演劇を成功させることが目的になっていた節があったけれど、本当は「演劇を通してあなたと私でぶつかり合いましょう(そしてお互いの世界をひろげましょう!)」が正解なのだと思う。だから終わってもいないのにメッセージを書くことに対しては割り切って、感謝の言葉を書けばよかったし、感動タイムには僕も一緒に感動してそれからみんなを鼓舞すればよかったのかなと思う。何を前提に置くか。どれだけ根源的な事に自分のテーマを置くことが出来るかというのは大事なことである。物事よりも人にフォーカスを当てて生きていきたい。これからの人生にも深く関わっていきそうなことである。

 

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舞台裏のインカムBoy

 

 バランスを取りすぎて(まじめにやれ!!と言いすぎた)プロジェクトが終わった後、これといった繋がりは残らなかった。周りが離れたというよりも、自分の中で壁を作ってしまっていたような気がする。バランスを取るというのは難しいことだなということを振り返って今こうして文章にして始めて分かった。ちなみに実務的な話で行くとこの演出助手という仕事は全くできておらず、へっぽこりんちょでした!(皆さんすいませんでした!!)

 

 一方で、演劇プロジェクト関係者ではない、友達から「演劇頑張って!!!」という励ましのメッセージをいただいていたことを書きながら思い出した。こういう言葉は本当に支えになる。明らかにひん曲がっていたものの自分なりのスタンスを貫き通していた(自分は全身全霊で臨んでいたつもり)ことによって、現場にいない人からもポジティブエネルギーが送られてくるというのは凄い力が働いているような気がする。

 このプロジェクトが始まる前は、持てるものすべてを絞り出したらきっといいことがあるとなんとなく信じていた。ちなみにその時はなにかが巡り巡って女の子と付き合えるかも!?と未来に期待を寄せていました!笑

 巡り巡った結果、思わぬ所から励ましの言葉をいただけたことで、ああ、まだ捨てたもんじゃないんだなと思ったのを強く記憶している。がんばっていれば必ず誰かは見ていてくれる。それは隣にいる人かもしれないし、全くであったことのない人かもしれない、もしかしたら自分自身が見守ってくれているのかもしれない。どれにせよ、希望はいつも自分で生み出すことが出来るし、そのためにならまだまだ力を振り絞ることが出来るんだと思った。

 

 

さて、ここまでバーっと振り返ってみました。この年はボリューミーだったので、めちゃくちゃ長くなりました。が!ほとんどこれ以降は懺悔がありません!もしかしたらあと少しでおしまいになるかも???

ということでひとまず今日はここまで!明日のライブは果たしてどうなるのでしょうか??

 

つづく、、、、

 

今回の懺悔ポイント!

・壁を蹴ってごめんなさい

・メッセージをかけず、一緒に感動できずごめんなさい

・皆様とのバランスはほどほどにとります、、、

今回の大発見!

・頭皮までもがいつも通りやれと言っている

・向き合う対象を人そのものにしたら、見方が変わるかも

・自分をいい感じに貫けば、いい感じの風が吹く