Pick & POP

Welcome to my page !!

多分答えはもう知っている

f:id:hasheem32:20180408120537j:image

 家を出てさすらいの生活を続けている真っ只中の僕だが、現在なんと、実家に戻っている。なんなら昨日あったかい布団の中で眠っていた。

 家を出たときは、予定のある4/14まで実家には帰らないと思っていたのだが、我が身を流れるままに任せた結果、今家にいる。多分あと数時間でまたどこかへさすらうだろう。そんな予感がする。また群馬の赤城山へ消えるのか、それとも新たな場所へ流れ着くのか。時間と体が圧倒的にフリーな僕は、これと言ってやらなければいけないことはない。逆説的にいうと、何をやってもいい(アウトなことは除く!!)。

 

群馬から帰ってくる途中、高崎駅という駅で乗り換えをした。その時ふと新潟方面へ抜ける新幹線の改札を見つけた。そのときは気持ちが関東に向かっていたので湘南新宿ラインに乗ったが、もしかしたら新潟に消えていたかもしれない可能性もあった。ちなみに自由席は5000円ちょっとで買えるらしい。群馬~東京間の往復も約5000円だ。これなら行ったことのない新潟へ行くのも全然選択肢に入ってくることを知る。また自らの可能性を広げるのであった。

 

多分答えはもう知っている


 昨日、不思議な空間にたどり着いた。説明をするとめんどくさくなるのでザックリ言うと、カオスな家に行ってきた。人も現象もモノも全てがカオスだった。そこは誰もが来れる場所となっている。趣味でオラクルカード(タロットカードみたいなやつ)をやっているMさんに、占って(?)もらう。オラクルと聞いて「IT企業の名前!!」と思った。全然IT感はなく、超アナログだ。

 オラクルカードをやってもらった結果思ったことは「多分それは俺はもう知っている」だった。ちなみに占いで教えてもらったことは熱量がある、その行き所がない、そのエネルギーがお腹に溜まっている、だからすぐ痛くなる、瞑想(無になるほど没頭すること)をしろ、パートナーがいると最強。などなど。 

「多分知っている」なんて言うと、分かってるならやれよ!!と言われる気がする。これがまた難しいところなのだ。自分の状態がどうあって、こうこうこういうことをしたら自分が上がって行くというのは見えている。多分それは自分にとってめちゃくちゃ正解な気もする。自惚れかもしれないけど、全てがうまく噛み合ったとき今の100倍のエネルギーを持った人間になれる予感しかない。残念なのは、具体的な行動がわからない。何をしたら熱量を持ってでき、何をしたらパートナーに出会い、何をしたら最強になれるのか、具体的な方法がわからない。そして多分それはこれからもわからない。ネットにも書いてないし、本にも載ってない。自らが手探りで探していくものなんだろうと思った。(Mさんめっちゃ楽しかったです!!!ありがとうございました!!)

 


 本の話でいうと、あまりにも暇すぎて数日前に『孤独は贅沢』という本を買った。内容は自己啓発系の1ページひと格言、そして横に説明、みたいな感じの本だ。1人都会を離れ湖畔の小屋に住む、そしてそこで得た自然の真理、自分なりの幸せ、などについて書かれている。あれ?群馬の山小屋とそう変わらないぞ??と思った。僕は余りにも暇すぎて降りてきてしまった。しかしもう少しサバイバルの中で楽しみを見つけることができたら、多分この本に書いてある事は全て「わっかるぅ~!」になるし、なんなら僕も本が書ける。途中で本を読むことをやめた。多分自分なりの考えを持って進めば同じところにたどり着く。答えはそこ(本の中)にはない。自分の中にある(まだ気づいてないけど。)

 

自分を信じろよ

 

こういう感覚を持ち始めると一切のネットの情報や本が要らなくなる。結構無駄な知識を僕は詰め込んでいるのであとは知恵を働かすだけで、根気さえあればなんとかなる気がしてる。ネットがすぐに使える今だからより思うのかもしれないけれど、自分にとって本当に必要な情報は10年に1回ぐらいのペースぐらいでしか現れないのではないか。なんて思えてくる。ちょっと情報過多になって、情報に頼りすぎだった自分に喝を入れる。

 

ネットや本に書いてある言葉、占ってもらってわかる事実。最初はもちろんそりゃ「身に染みる!!」となる。で、その通りに実践してみたくなる。しかし、本当は多分答えは全てもう持っているのだと思う。そしてそれが今わからないのはタイミングってことにしておこう。あと僕の場合は早生まれということで他の人から見たら遅れてるってことにしておこう。自分の外にはもう答えはない。自ら、自分の中に眠っている答えを見つけるために今日からまたさすらいの日々を続けるのだろう。いつ分かるのか、明日分かるかもしれないし、死ぬまでわからないかもしれない。この不安定感さえも楽しんで日々を送れたらもう言うことなしに違いないのだろう。自分を信じ続けるのだ。迷うし、苦しいし、訳わかんないけど、多分それがいい意味での「普通」な人生なのだろう。あっ、残り残金が27000円だ。まだ行けるな。

 


つづく、、!

お腹との休戦協定方法

 

 今からちょうど二年前、自らのお腹との対決が始まった。きっかけが何だったのかはさだかではない。もしかしたらその当時やっていた演劇の現場で急性胃腸炎になったのが引き金かもしれない。そのあとの友達との旅行の帰りのバスで、トイレを我慢した結果死にそうになったことが原因かもしれない。毎朝早くから教習所に通っていてお腹が痛かったのがあったのかもしれない。もしくはそれ以外の様々なストレスが関係していたのかもしれない。

 

胃カメラと大腸カメラの記憶

 

 あまりにも毎日謎の腹痛に悩まされることになった僕は、二日間の検査入院をすることになり、人生初の胃カメラと大腸カメラというものをやった。胃カメラというと僕は口からカメラをぐわーと入れておえっとなりながらやるやつかと思っていた。が、最近の医療技術は格段に進化しており、2Lぐらいのお腹をきれいにする飲み物を飲んだあと、麻酔をかけてもらって検査をするだけでおしまいだ。このお腹をきれいにする飲み物というのが想像以上だった。最初は口に含んだ瞬間のあまじょっぱさから、「なんだ、これから2Lのアクエリアスを飲めばいいんだ!!」と余裕をぶっこいていた。おかしいかな、1/3を飲んだところでおかしくなってくる。もう飲めない、、、(このアクエリおいしくない、、、)

 

 一緒にその飲み物を飲んでいたおばさんたちとともに、チームプレーをするが如く、お互いに言葉を掛け合い、その飲み物を飲んではトイレに行く、を繰り返す。無事飲み終わった後麻酔をかけてもらい胃カメラでお腹を見てもらった。麻酔が効きやすい体質らしく、2時間ぐらい眠り続けたらしい。一方の大腸カメラはすぐに麻酔をかけてもらい終わった。

 

 結局、2mmぐらいの良性のポリープがあった程度で、これといった目で見える原因というものはなかった。ということで、もれなく僕は過敏性胃腸炎というものであるということがわかる。簡単にこの症状について説明すると、お腹がとても敏感になっており、軽いストレスやメンタル的要因などでもお腹が痛くなってしまうというものである。

 

受け入れることなのか、、、

 

 この症状が出るまではストレスでお腹が痛くなっても、受け止めてやるぜ、、、!と不敵な笑みを浮かべていたものの、痛みが止まらなくなってからは笑えなくなっていた。

 今までの健康体な自分と、痛みを抱えている自分とのギャップに自らが一番耐えられず、「なんで、なんで俺がこんなことに、、、」と思えば思うほどにお腹が痛くなってくる。被害者づらしているとどんどん体はつらくなっていく一方だ。かといって恐ろしいのはおならが少し出る程度で、特に下したりするわけではない。しかし、この症状が出たことは自分にとって悪いことだけではない。

 

 それまではパーフェクト主義になりがちだった側面が自分の中で結構強かったのだが、この一件以降「申し訳ないけど僕は身体的に弱めです!」という面を見せた方が楽だということに気づく。ダメな自分を、自分が受け入れるというのは新たな世界であり、自らを受け入れる【自分を知る】的なことが見えた。すると負い目を感じなくなりはじめ、それまで電車に乗るのにも2駅ごとにおりてはトイレに行き、ろくに移動ができなかったのが、なんと改善を見せ始める。

 

 その後半年近くこの症状に悩まされることになるが、知らない間に痛みを覚えることは少なくなり、全くと言っていいほど腹痛に敏感になることはなくなった。気付けば自転車で全国をすいすいしている時も痛みに襲われることはなかったし、それ以降も悠々と過ごすことが出来ていた。

 ところがこの三月、しかも温かくなってからいまいちお腹の調子がすぐれない。色々な事からの気疲れなのか、それともこれからの自分に対する不安なのかよくわからないが痛む。

 

 

 なんで、今日記事を更新しようと思ったのかというと、昨日このお腹との戦いに休戦協定を申し込んだのだ。今までは痛みを忘れるか、疲れを取るか、放っておくかという対処法を取っていたのだが、とうとう昨日「確かに今お腹は痛い、だけど今は違うよな???」と自らと対話をすることが出来た。

 

お腹との休戦協定

 

 事件は昨日の17時35分ごろ起きる。自転車を取りに自転車置き場に行くと、どのポケットを探しても見つからない。凄い勢いで体がぞわっとした。心が動揺してどう動けばいいのかわからない。ちょっと息も荒くなる。頭の中にやってくる焦りと不安を能がキャッチし、お腹に「お腹痛い」信号を送る。もれなくお腹が痛くなってきた。とりあえずトイレを済ます。

 今までの自分だと、この後も痛みと戦い続けていたのだが、今回の自分は一味違う。ここで大事なのは悲観的になることではない。自らのお腹にも「今は鍵の方が大事だよね」と言葉をかける。大事なのは落ち着くことだ。まずは心をニュートラルな位置にまで持っていくことが最重要課題なのだ。

 

 

 大きく手を広げて深呼吸をする。するとそれだけでも気持ちは和らぐもので、更にポイントとしては息を吐く時に「自らの毒素を出す」イメージを持つことだ。部屋の換気をするかのように呼吸をする。そうすると風通しがよくなり自然と頭が冷静になってくる。

 それまで焦りの感情のせいで素早く(無理をするようなスピードで)動いてたのが、安心感をまとった行動に変化を見せる。頭が落ち着いてくると、これからどうすればいいのかが瞬時にわかってくる。鍵を落としたかもしれないポイントを冷静に見まわしていく。最悪のケースでさえも受け入れる準備を整える。

 

 

 残念なことに自転車の鍵は見つからなかった(無念!!!)。仕方なしに自転車の後輪を持ち上げながら家までの道をひたすら歩いた。無事自転車とともに家に着くことはでき、何とかやった。おもしろいことに、それまでずっと痛かったお腹はどっかに行った。久しぶりにお腹とコミュニケーションがとれた気がした。まずはメンタルだ。知らない間に気持ちは疲れていないか?(たぶん人ごみに疲れていた。)それによって体に無理をさせていないか?まずはいったん心も体も落ち着くこと。

 

 

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

 

 さて、この自転車の鍵が実は厄介な代物で、「ゴジラロック」という頑丈な鍵となっている。簡単に切断することはできない。おそらくスペアの鍵も一回失くしているのでしばらくの間、自転車は封印することになる。

 

 

困ったことにこれから一切の予定が無い僕は、橋本家が持っている、誰も使っていない古民家に興味を持っている。そして 実は自転車に乗って、その古民家のある群馬県に行こうとしていた。しかし自転車は使えなくなった今、これは「次は自転車を使った何かをするのではなく、違うことをするのだ!」というお告げなのだと思い、気持ちを心機一転しております!

 

自転車に乗らない代わりに、両手が開くので、片手にギターを持ちながら移動するのもありだなとか、ごみ拾いをしながら徒歩で群馬に行くのも楽しそうだなとか思っております!

 4月1日以降の動向に、ご注目ください!!

 

つづく、、、

家族とコミュニケーション取れてますか?

 

 思っていることを言葉にするのってやはり難しいですね!そういう実感を只今しております。今日一日の中で、少し言葉にしなければならない(言葉にまとめなければ消え去ってしまいそうな気持がある)と思ったので、気持ちを言葉にしてみたいと思います。自分の弱いところ、それ人に見せる???というところをさらけ出してみることに何かあるのではないかと思います。

 

 

 【大学を出ると同時に、家も出る】宣言をしてからもう何か月が過ぎたのだろうか。自らを奮い立たせようと思い、数か月前、この宣言を家族にした。あまりにも家を出ていくのに対して流れが無い(どうやって生きていくのかが未定なのに家だけは出ちゃう)ことにリアリティさを感じることが出来無かった親はこの数か月間本気にしていなかったようである。ついさっき父親から、扶養から外す。携帯代は自分で払え、などなど、4月からいろいろ変わることについて言われた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~

【大学を出ると同時に、家も出る】宣言

 なんで【大学を出ると同時に、家も出る】宣言をしたのだろうか。この意図は文章にすると長く、しかも上手く伝えられないががんばって書いてみる。

 大学4年生の時にいわゆる就活というものをしていた。正直、なんで働くのかが最後まで分からず、一回引退したり、復帰したり、途中旅を挟んでみたりしたものの結果は事実上の就活リタイアをした。一緒に受けている人たちの、あのうさん臭さは無理だったし、面接をするにしても自分の言いたいこと、思っていることが明らかに働くことにフォーカスされていないことに気づいた。こんな状態で嘘をついてまで、あと自分の将来の為とかいうよくわからない利益のために働いても、たぶんすぐ死にます!!と思ったので、思い切ってやめてみた。やめてみると面白い視点が見つかる。

 まずめちゃくちゃに時間が余る。アルバイトをしているわけでもなかった僕には恐ろしいくらいの時間が出来た。いい意味で暇な事もあれば、完全にアウトな暇なときもある。思えばこの数年間の内、いい時間の過ごし方であったり、ダメな時間の過ごし方があった。よかったときは、演劇をしている時。アカペラをしている時。クオリティはさておき、ああ、これはいい仕事をしている!という実感があったので、時間が過ぎても無駄とは思わない。むしろ愛しい。一方アルバイトをしている時や、好きでもないことに時間を使っている時は、圧倒的に「中身のなさ」を感じていた。もしかしたら捉え方次第なのかもしれない。今中身のないと思っていたことが、有意義に感じることもあるかもしれない。結果は残念な感じになった。

 時間が余る問題は、周りの人と物凄い勢いで生活がクロスフェードしていく。周りの誰よりも暇なので、OKが出せる用事が増えたし、一方で意外と周りの人が時間のせいでNGになっているパターンが多いことにも気づく。時間の過ごし方も変わった。ひたすらに散歩をして、本を読む時間が増えた。昔から歩くとなぜか頭の中で仮想の人間を作り出し、僕とそいつで会話が始まる。あの事はどうだ、どうしてああなのだ、といったことが始まる。しばらく大学に入ってからはそのケースは身を潜めていたのだが、歩き始めてからは自分の心や言葉を見つめなおす時間が増えた結果、たぶん、いい意味でわけわからない事を考えるようになったと思う。本から考えることもあったりした。意外と生活的には質素だが、精神的には結構楽しい時間を過ごすことが出来るようになった。

 

就活をオフした僕は、その他諸々、サークルもオフ、人間関係もオフした。

 

人と話すとは、、、

話がなぜ宣言をしたのかからだいぶずれてきてしまっていることに気づく。そうだ、なぜそんな時間の余った僕がそうしようとしたのかだ。

 それはヒッチハイクを通しての記憶が大きく作用している。色々をオフった時期、人間関係もオフった。ゼロに戻すことで、自分の世界を一から構築しようと思った。誰も知らない世界に生きたかった。そうすることで新しい自分が見れると思ったからだ。

 お金を貯めて海外を旅する。プログラミングでも学んで稼ぐ。そのほかにも10個ぐらいプランがあった。その一つにやったことのないことをしたいということで、ヒッチハイクをしてみた。ヒッチハイクには家をオフする意味合いも込めていた。

 

 ヒッチハイクは隣にいる人と本気のコミュニケーションをとる。その時一文無しで、拾ってくださったドライバーさんにどういうお返しをしたらいいのかなんてわからなかった僕は持てるコミュニケーション力を全放出した。ひたすらこの人のために会話をしようと、本気の会話を心がけた。結果、この力をどうして一番傍にいた人たちに出さなかったのか、ということが一番の教訓になった。

 

hasheem32.hatenablog.com

 

余白を持て余していた僕は、農業インターンみたいなのに申し込んだりしていたが、そんなことよりも隣にいるやつを大切にすることの方が大事だ!!!となる。オフしたはずのアカペラグループにいい感じに戻ることが出来た僕は、「こいつらに愛を注がなければ自分のことだけやったって上手くいくはずがない」という使命感にかられ、ラストライブに自らの時間を調整し、無事この間終えることが出来た。

 

hasheem32.hatenablog.com

 ヒッチハイクをしてもう一つ思ったことがある。家に対してである。我が家には大変お世話になっており、もう何から何まで至れりつくせりで、王様気分で正直22年間生きてきたと言っても過言ではないと思う。何もかもゼロにしたかった僕は、明日にでも家を出ようと思っていた。(この背景にはいろいろ思うところがあったので割愛します!!!)

 

 ヒッチハイクをして、帰ってから、ああ、親には日々感謝だな、近い人ほどこれをすぐ忘れる、と思い、家を出るのは学生を卒業するその時にしよう。その方が区切りがいいし、理由も十分だろうと思っていた。(ようやく言えた!!!!!)

そしてその間は、家族に感謝しつつ、圧倒的に甘えていこう(お手伝いはもちろんする)、家にいてできることをしようと決意した。そして学生としてこの期間は潔く過ごそう。そういう風に考えた末の宣言であった。

 

~~~~~~~~~~~~~~ 

 

家族とコミュニケーション取れてますか?

 そして今、よくわからない事になっている。結局「卒業まで動かない」という謎の攻めの姿勢を見せた僕はこれからの予定は未定だ。この余白が僕を変える、と勝手にポジティブシンキングをしているのだが、たぶん父にはこの感じが良くなかったらしい。ひたすら「扶養を外す」、「保険が無いとどうしようもなくなるぞ」、「これまでの時間は何のためにあったのか」、「自分に何のメリットがあって歌ったのか」といった言葉が迫ってきた。なんだか、聞いていて悲しくなってきた。

 これは浅い考えと言われたぐうの音もないが、保険があることよりも、金があることよりも、自分にだけメリットがある選択をすることよりも、もっと大事な事があると思う。僕の場合「好きな人に好きを伝える」「ありがとうを言えるようになる」といった、愛を伝えていくことの方がよっぽど大事だと思っている。そして人とのつながりを大切にすることが僕の周りを幸せにできるのではないかと思っている。それに気づくことができ、すこしずつ実践ができるようになったこの数か月はとても愛おしい。

 その時間を無駄と言われたことに、シンプルに寂しさがこみあげてきた。僕の否定もあるが、もう一つの意味で寂しかった。

 言いたいことを言えてない父が目の前にいた。言いたい言葉を見つけられていない父はだんだんずれていってしまった。たぶん父が言いたかったのは「得する人生を送れ」ではなく、「お前のコトが心配なんだよ?」だったのだと思う。本当に言いたいことが言えずに違う言葉が現れる時、寂しさや怒りに任せた言葉が出てくる。僕も何度も経験している。最後まで本当に言いたかったであろう言葉は現れず、もはやコミュニケーション不可能と感じた僕はその場を去った。

 

 ちょうど今朝、ああ、家族とのコミュニケーションが不足しているな、これを解決できれば、将来とか家がどうとかそんなことよりもいろいろな事が上手く運びそうだな、と思っていた。ということで、実は朝母親とも話した。母親との会話は得るものがたくさんあった。素直に反省せねばならないところがたくさんあることに気づいた。しかし父とは違かった。コミュニケーションが不足していることが明らかになった。

 

 父の本当に思っている所の言葉を引き出すことが出来なかった自分にも非がある。もっと自分のコトを言語化できるようになりたい。何を思っているのか、口で伝えられるようになりたい。それができるようになったコミュニケーションはもっと尊いものになる。真の意味での会話が始まる。なにか素晴らしい世界が待っているのではないかと思った。

あなたは家族とコミュニケーションが取れてますか?

 

 

家族とともに成長を、、、、、

果てしない道がつづいてる。

f:id:hasheem32:20180311232832j:image

 昨日の夜、僕がやっているアカペラグループAgua-Blancoのラストライブがあった。僕は今家でのんびりすごし、でも忘れないうちに昨日のことを書き綴りたいと思う。たぶん今から書く文章は僕が思っていることの1/10も伝えることが出来ないと思う。頭の中に浮かんでくる言葉や考えはたくさんあるが、細かく書きすぎてもお堅くなってしまうので、思ったことをそのまま文字に起こしていければいいかなと思う。

 

 

ライブ当日の朝 

 朝起きてから布団の中でYoutubeを見るのが日課になってしまっている。ライブ当日の朝Youtubeを開くとおススメ動画の一番上に「音楽関係者が歌下手を歌ウマにするボイトレ」の動画が現れた。

 


お願い!ランキング - 17.11.02

 

 ちなみに最近見ている動画はNBAのハイライトやお笑い系などまったく歌に関連していないモノだった。が、しかし、なぜかここにきて突然の音楽系の動画が来たので「これはお前に役立つかもよ?」と言われた気がして、関連する動画までずっと見漁っていた。

 その動画に出てくる先生はめちゃくちゃスパルタなのだが動画の中で「過呼吸になるくらいになった時何かひとつ得るものがあればいい」「テクニックなんかより結局は自分次第なんだよね」みたいな言葉を言っていた。

 

 ここ何日かに一回訪れていた「明日も生きれると思うなよ!(今に集中!!)」「俺のやるべきことは上手く歌うことではなく、目の前のあなたに生き様を届けること!」という言葉たちと先生の言葉がすごいリンクして、なにか今日という一日を素晴らしいものにしなければならないと思いながら、突然ギアを上げるのはどうなのだろうかなど思い悩み、ラストライブということもあって緊張した体と声で家を出て、集合場所まで一時間考えながら歩いた。

 

 歩いている途中、グループのラインでリーダー(バンマス)の文也が突然「卒業通知が届いていない、、、!」という緊急速報を鳴らした。たぶん学校の段取りが悪いだけで、卒業できると思うのだが、本人はライブ当日なのにそちらの方が心配になっている。なんかこの様子が微笑ましかった。我らがAgua-Blancoのラインではこういうライブに関係のない話が日々行きかっている。いつも通りのラインだ。

 また自分はAguaでの身の振り方を忘れてる。ここでは生真面目に物事を突き詰めるのではなく、あるがままに自分の身を流すのが良いと言うことをこの4年間で散々思い知らされたではないか!!

 ラストライブだからしっかりやらなくてはいけないと思っていた自意識は完全にどっかに行き、今日もいつもと変わらない一日だけれどだからこそ肩の力を抜いていつも通り誠心誠意歌えればそれでいいや!ということをリーダー文也のラインで気づくことができた。

 ちなみに昔の自分だったら、「卒業通知よりもラストライブに集中!!」と言ったり、思ったりしてモヤモヤしていたんだと思うけれど、「のんびりいきましょ~」と気持ちを変換できた自分のことを少しだけ褒めてあげたいなと思った。(彼の卒業通知は届いたようです!おめでとー!)

 

 さてそんなこんなで学校にて少し準備をしたのちに阿佐ヶ谷にあるライブハウス「あさがやドラム」に向かった。このライブハウスについては昨日のライブでも言った通り一年生の頃からお世話になっているライブハウスである。ああだこうだと言葉にするとちんけになってしまうので、上手く伝えられないのだが、この場所は最高だ。ここに出会えなかったらおそらく今回のライブも企画できなかっただろうし、いろいろなにかがずれていただろう。感謝で心がぶるぶるする。

 

ライブ本番

 本番中の話については特にそこまで細かく話をしなくていいかなと思う。昨日あの場所にいた人はもう断片的にしか覚えていな人も多いかもしれないが、それでも「何かがあさがやドラムであった」という記憶さえあればそれだけで十分である。足りすぎぐらいな気もする。

 本番に関してはもちろん内容的にレベルが低い点は山のようにあった。もうこれは「反省」というよりも「許してください!(もうコレが限界で、上手くなれません!)」の方に部類されると思う。

 どうしても毎回僕たちのライブでは和音がグワングワンしたり、テンポが駆け足どころではなくダッシュする。しかし、和音のグワングワンは気持ちが入りすぎて音と声量バランスがずれ、テンポンダッシュは早く楽しみを味わい尽くしたいから早くなったのだと思う。今回も確実に熱量があった。熱かった(体温的にも)。最近の言葉で言うとエモい(?)。テクニックよりも熱量!は僕の理想だ。歌が上手くていいことは、熱量(自分の気持ち)を届けるのにより効果的になるだけであって、あってもなくてもどっちでもいいと思う。「なんかいい」「青春感があった」とかそう言うことを届けることができた実感はある。ステージに立ってて僕たちが楽しめていたから。とりあえず何かはとどいたのではないでしょうか!?

 

 もう一つ、昨日来ていただいたお客さん一人一人全員が本当に素晴らしく、ステージに立っている最中、圧倒的肯定感を感じた。

 今回のライブは「メンバーがライブを見に来てほしい人に声をかける」集客、言ってしまえば招待制にした。もともとは身内の家族だけ呼んでしっぽり歌おうという予定だったものの、色々あってもっと輪を広げることになった。これがとてもいい形に作用し全員素敵な人が集まり、ライブが始まる前も仲間と「幸せだな~」なんて言っていた。

 他人を評価するような冷たい目はその場にはなかった。ただただ「君たちはただ存在しているだけでいいよ」という安心感を皆さんからいただいていたように思う。もうどちらがお客(受け取る側)なのかわからない。お客さんの顔を歌っている時に見ると、「いいよ!歌って!」と言っているかのような眼差しを送ってくれている。今回僕が呼んだライブハウスの一番後ろにいてビールを飲んでいた友達もしっかり顔を出して見守ってくれていた。何をしていても許される空間は、一体感がある。客席とステージの境界線が溶けていく。乱雑にまとめると、僕たちの名前はAgua-Blancoというのだが、そのAguaのメンバーが50人くらい増えた気がした。昨日来てくれたお客さん全員がAguaだった。

 

橋本家について

我が家の話を少ししたいと思う。

 今回、橋本家全員を招待した。父、母、弟である。普段僕が歌っている姿を家族は見ていない。母親だけ二回ライブを見に来てくれた。父と弟にとっては初めてのライブハウスだったと思うし、初めて僕がステージに立って歌っている姿を見る日になったと思われる。三人に渡すパンフレットに、ライブが始まる前、手書きで言葉を書いていたのだが、言葉を形にして家族へ送ることが僕にとって物凄く久しぶりで、照れながらも落としてはいけない言葉を大事に探しながら書いた。ライブハウスに来ると、父親はいつも通り、母親は機嫌よく、弟は異空間に来ているような顔をしていた(普段は野球をしているから、地下が新鮮だったのかな?)。下手側の後ろでよく僕からも見えやすいところにいた。

 ライブ本番中、驚いたのは三人とも僕にカメラを向けていたことだ。父親はデジカメ、母はスマホ、弟はPSvitaを使って、何かしらの媒体で僕を残してくれていた。もっと淡々と聞いて見ているのかなと思っていただけに、めっちゃ見てくれてる!と嬉しくなった。あとあとメンバーから聞いたところ、母親がめっちゃノリノリで曲を聴いていてくれたらしい。

 思えばいつも弟の野球の試合を家族で観に行くことはたくさんあったが、僕が何かやっているのを見てもらったことは少ない。元々僕は自分のやっていることを親に見せるのが嫌いでどんな事をしているのかよく分かってないことが多いと思う。久しぶりに息子感(元気に俺は生きています!れ)を出せたのではないだろうか。息子は楽しくやってます!!!!

 最後にお客さん全員と僕たちとで写真を撮ったのだが、父親が手を挙げて楽しそうに写真に写っていた。普段の父はテンションがわかりにくいのだが、これを見て、ああ、なんかよかったと思った。ほんわかした気持になった。

(余談だが、一番後ろにいた僕の友達もしっかり決め顔で映っていてくれて嬉しかった。沼野ありがとう。)

 そのあとも家族だけで写真を撮ったのだが、その時に父が「うちはフォーメーションがないね、決めなきゃ!」と言っていて、僕は「え!家族写真にそんな乗り気な父親初めて見た!」とびっくり嬉しかった。

 

ライブ終演後

 ライブ終演後、来てくれたお客さんと写真を撮ったり、歓談したりなんかして一通り終わったところで、今回パンフレットの写真を撮ってくれ、更にデザインまでしてくれ、更にさらにその印刷までもやってくれ、更にさらにさらに動画まで作ってくれるという素晴らしいお方I君と、ずっと当初から僕たちのライブに来てくれていたHさん、Nさんが残っていた。この三人とあさがやドラムのお父さん、お母さん、娘さん、PAさん、も混ざり合計13人で乾杯をした。こうやって輪が少しずつ広がっていくような現象を目撃することが出来て、本番中の楽しさは勿論そうなのだが、こういう人のつながりみたいなのって素晴らしいなと、レモンサワー片手に思った。更に自分たちだけにこだわらず閉じこもらず、輪を広げることが出来ているメンバー全員も素晴らしいなと思った。メンバーのこういう根本的に優しいところが4年間やってこれた理由なのではないか。

 

 あさがやドラムのお母さんから「前より顔がすっきりしているね(気持ち的に)」と言われた。半年前にも同じステージで歌ったのだが、その時は旅をしたり色々就活云々で頭がパンパンになっていた。そう考えると今はどこか腹が決まっている(予定はないけれど!)実感はあり、顔も変わっていったのかもしれない。顔が変わったと言われるのは結構好きだ。生き様は顔に現れる。ちょっとだけでもいい生き様を見せれていると思うと、もっと頑張ってかっこよくなってやる!!という気持ちがわいてくる。シンプルにとても嬉しい。

 

果てしない道はつづいてる。

 ちょっとだけAgua-Blancoのメンバーについてライブを通しての話をして終わりにする。

 今回自分の中のテーマで、観客だけでなく、メンバーのみんなに歌を届けることをやってみようと思っていた。お客さんに感謝の気持ちを伝えるのは当たり前中の当たり前なのだが、意外とメンバーへベクトルを向けることは忘れられがちだ。

 僕はこのメンバーに一方的にでも心を込めて伝えなくてはならない理由がある。半年前、意見のすれ違いで僕はこのグループを辞めようとした。結果的には連れ戻された。やめようとしたとき、一方的に抜け出そうとした。自分のことで色々と思い悩んでた時期で、今思うと結構頭が硬くなってた。ラインを退会した後、連絡がなければそれまで。呼び出されても徹底的に話し合って自分の筋を通そうと考えていた。話す仲間もいなくなったので、人を求めてヒッチハイクをした。その時いろんなことを思ったのだが何より、一番近くにいる人とのコミュニケーションを一番ないがしろにしていたなということを実感した。東京に帰ってからみんなに呼び出され、話し合った。友達を失っちゃいけないからまた戻る、とかそういう事じゃなく「つべこべ言わずにこいつらと歌え」という天命をこの時受けた気がする。呼び出されてAguaの一員として連れ戻された時、メンバーがどう思うかとかそんな事はどうでもよく、僕はこの人達を愛さなくてはいけない義務がこの時発生した。

 みんなに伝わったかどうかは分からないが、慈しみを込めて歌った。時間を過ごした。ありがとう。

f:id:hasheem32:20180311233016j:image

 

 

ライブが全て終わったわけだが、全く終わった感(今生の別れ)を感じない。それは今もまだラインがもりもり動いているからかもしれないし、来週、実はまだ歌う用事があるからかもしれない。だけどそれだけじゃない気がする。

 今まで、演劇の現場では今生の別れの思いをして来たことはあった。それが力になったこともあったし、別れという将来への不安ではなく今に集中することを考えさせられた時もあった。しかし、このメンバーとの関係性においては別れはない気がする。

 ドラゴンボールみたいなものなのだと思う。必要な時に集まって、また散らばっていく。いつ集まるのかはわからない。明日かもしれないし、死後の世界でかもしれない。たぶん続いていく。残念ながら他のみんなは嫌かもしれないけど、続いていくのだろう。また歌える機会を楽しみに僕は待っている。

 走れ走れ走れ 躓き転んで落ち込んで それでもほら 起き上がれば

果てしない道が続いてる。

                         『笑ってしまえ』

ギャバン!あばよ涙

ギャバン!よろしく勇気

宇宙刑事ギャバン! 

                       『宇宙刑事ギャバ ン』

 

ここまで書いて見たけれど、やっぱり伝えたいことの1/10も伝えられてない!

 文章もはちゃめちゃ!でも書きたい事は書いたし、読んでももらいたいので、ここまでー!

 

 

おしまい。

【七年目の懺悔と大発見・その3】バランスを取る

f:id:hasheem32:20180310011405j:image

 人生最後(?)のライブまで残すところあと一日!今日も今までステージに関わってきた記憶を掘り起こして、自分の見つめなおすべきところ、自分を受け入れるところ、こういう選択肢もあったかもしれない!という自分への可能性、などなどを文章に起こし、何か気付くことが出来ればGOODだと思って、記事を書きたいと思います。

 

 余談にはなりますが、今日の帰り道はスマホに入っているSuicaアプリを開いて残金を見たところ残っていたのは134円で、もれなくチャージをしなければ帰ることが出来なかったので、歩いて家に帰ることにしました。その途中、二組ぐらいの親子に出会い、そのどちらもとても素晴らしい雰囲気だった(子供と親がどちらもめちゃくちゃ楽しそうにしていた!!)ので、ああ、これは明日もいい一日になりそう!という気がしております。天気予報もつい先日までは雨だったのが、先ほど見たら晴れに変わっていました。これは明日という日がみんなにとっていい感じの日になるお告げなのだと思います!(明日のライブがいい感じになりますように!) 

 

余談・ライブまであと少し

 ライブ開始まで、24時間を切っている。今日も8時間ほど練習兼打ち合わせをして、明日の本番に備えた。こんなに時間は使ってきたものの、もちろんまだまだ作り込みが甘いところはたくさんある。今までだと本番直前になって急ピッチでその穴を埋める作業をしており、実際本番当日になるまで不安だった思い出がある。それに対応して、自分の気持ちも「しっかりやらないといけない」と意気込み、顔と心がこわばっていた。しかし、僕もそうなのだが、メンバーの顔を見ている限り、まだまだライブ自体の余白はたくさんあるものの、どこか余裕と朗らかさを感じる。いい顔をしている。

  このことは凄いいいことが起きているような気がする。上手く言葉では言い表せないのだが、前までは「ライブをきちんとすること」が目的になっていた。それはアカペラのレベルや、ライブ全体の内容の完成度といったことのような気がするが、今回は「好きな人と大切な時間を共有すること」に重きを置いているため、正直ライブの完成度よりも、一緒に舞台に立つ仲間に対して、僕が呼んだお客さんに対して、誠心誠意向き合うことが出来るのかがテーマである。こうなってくると、あくまで歌のうまさや内容というのは手段に過ぎない。目の前にいる大切なあなた(仲間&お客さん)にプラスの感情を少しでも伝えることが出来れば僕にとってのこのライブは大成功になるのだと思う。そのために必要なことは、かっこつけず、いつも通り誠実に向き合うこと、それだけだと思う。

 今までのライブ前はしっかり髪型を整えて、白髪も染めていた。しかし今回髪型を整えることには成功したものの、頭皮がセブ島に行った時に日焼けしてしまい、更にお金が尽きてしまい白髪を染めることが出来なかった。が!これはもう「お前は残念ながらかっこつけることはできません!いつも通りやってください!」と言われているような気がして、逆に心が落ち着いた。ライブに向けて必要なものは誠実な心オンリーというのはなんと身軽なのだろうか!なにかを背負うことでやりきった感を得ることはできる。しかしもれなく心のロスや、消失感にとらわれる。ならば特に何も背負わなければ何が得れるのだろうか。これはある意味実験だ。明日のライブがとても楽しみになってきた。

 

 

前回の記事はこちら👇👇👇👇👇👇👇👇👇

 

hasheem32.hatenablog.com

 

 

 僕の青春、、、

 昨日のことになってしまうのだけれども、突然友達から、以前僕がやっていた大学主催の演劇プロジェクトについて尋ねられた。知り合いが興味があるのでどんな感じだったかを聞かれた。僕は「青春ができると伝えて!!」といった。懐かしい。僕は大学一年生の時にこのプロジェクトに参加していた。今思えばここでは青春をしていたなあなんて思う。それほどこのプロジェクトに対しては一回しか参加していないのにどこか思うところがあって、今でもたまに思い出すことがある。

 このプロジェクトはイギリスの文豪、シェイクスピアの作品を学生だけで上演するというのがテーマになっている。そして公演をするホールは約1200人を動員できる所で、もしかしたら渋谷にあるシアターコクーンや、初台の新国立劇場といった、よく使われる劇場よりも動員数は多いかもしれない。この規模感からも分かる通り、相当気合の入っているプロジェクトである。

 

 友達が企画してくれた演劇で、もれなく自分のダサさに敗北した僕は、「この現場では死ぬ!(己の出せるモノ全てを出し切って、精魂尽き果てよう!!)」という思いを胸に抱きこのプロジェクトに臨んだ。この時は役者としてではなく演出助手として参加していた。僕は「演技は下手だけど、役者には寄り添える(少しは気持ちがわかるかもしれない)」ということを思っており、現場で役者と触れ合えるこの仕事を、適役じゃないか!!!と感動した。さて稽古が始まると、僕は何をしたかというとめちゃくちゃ笑顔と愛想を振りまいた。話したことのない人(苦手そうな人は避けた!)にすり寄った。ポジティブオーラを出せば、万事いいことが起きると信じていた僕は約一か月間ぐらい元気に頑張ったが、途中から笑顔や愛想を出すことではなく、思っていることを真正面からぶつけていくスタンスに変えることにした。具体的に言うと、あれ?と思った演技に対して嫌われる覚悟でズバズバ意見を物申した。もうこれは主役の4年生にも3年生にも言った。なるべく人に合わせて口調や伝え方も意識した(つもり)。メンタルがガラスの人には上手く寄り添う感じで話した。このあたりは結構頑張っていた。

 

 が!ある日、事件が起きる。ある日の稽古、あまりにも適当に稽古をしている人たちを見てツンツンしていた僕はイラつきのあまり学校の壁を恐ろしい勢いでハイキックした。文章にすることは難しいのだけれどものすごく心にモヤモヤが広がっていた。結果、人に文句を言うのではなくモノにあたる方式を選んだ。綺麗なハイキック(タイキックみたいな感じ)が決まりいい音が校舎に響いたものの、足の親指を負傷した。その日はあまりの痛さに靴を履くことが出来なかった。当時、演劇プロジェクトとアカペラの二足の草鞋を履いていたのだが、次の日のアカペラの練習に「壁を蹴って足が痛いから30分遅れる」ことになり爆笑された。一つ得た教訓としては「壁を蹴るときはハイキック(指が痛くなる)ではなく前蹴り(足の平たいところを使う)にするべし」というもので、実は後にこの教訓は活かされることになってしまう。今では絶対に考えられない。。。。

 しかし、自分の気持ちを正直に伝える(壁を蹴ってしまったけれど)ことにシフトしたことで、僕が信頼できそうな人を見つけることが出来た。これは大発見だ。この時の僕は、ダークネス感を漂わせており真面目なんだか、ひねくれものなんだかわからない感じになっていた。そのため僕は周りから好かれていなそうだなと思っていた。一方で僕のことを受け入れてくれる人の存在にも気付くことが出来た。当時は日々愚痴をこぼす感じでその人たちに甘えていたけれども、本当はものすごく嬉しかった。この人のことが好き!と思えた時、心がとても楽になるような体験をさせてもらっていた。何とか最後までプロジェクトに参加し続けられたのは皆さんのおかげです!

 八方美人になることはできないけれど、自分のことを受け入れてくれる人の為なら頑張れるというのは、なんとなくだが今にも続いている傾向ではないかと思う。

 

バランスを取る

 僕はバランスを取る。みんなが真面目にやっていると「ふざけた方が楽しいで~」と言い、みんながふざけてると「まじめにやれ!!!」と言いたくなる。なんなら言った。片方に思念が集まるとそれを崩すが如く、真逆のことを言い、惑わす(選択肢を増やす)。天邪鬼とも言うのかもしれない。これをやるともれなく「お前は何がしたいのだ!」と言われることがある。ただ単に、みんなと同じことをしたくない、みんなが同じ雰囲気なのはなにかやばい気がする、と危惧しているだけなのだと思う。運がいいことに(?)バランスを取るような人のポジションがこの時は空いていて、俺がやるしかねえ!となった。結果いつも、わちゃわちゃ楽しそうにしている輪には入らず、ただ佇んでいた。とは言っているもののたぶん本当は楽しそうにしている輪に僕も混ざりたかった自分が居たのだと思う。しかし、それを僕がやってしまったら歯止めが利か無くなりそうだな~と感じたのか、頑なにしなかった。

 周りとのバランスはとれるくせに、自分の中の気持ちのバランスを取ることは下手糞だ。本番直前の楽屋にて、みんながメッセージカードを書いていた。打ち上げでプレゼントする用のものらしい。しかし「打ち上げに行けると思うなよ!!(まずは目の前の本番をやりきることが最優先だろ!!)」と僕は思った。また、千秋楽の直前、舞台裏で感動(これが最後の舞台だ、、、)の嵐が巻き起こりお互いに涙してハグしたり手を握っていたが僕は、「泣くとセリフが走るから、泣くな!お前らのための舞台じゃねえぞ!客に伝わってこそ舞台だ!」と思い淡々としていた。これは真面目なのだろうか何なのだろうか。今に集中しろ!!という考えは今でも残っている。特に一人で行動するときなんかは、戒めとして「未来より今!(明日があると思うな!)」と自らに言う。

 しかし「正義感の押し付け」になってしまっていると思う。演劇を成功させることが目的になっていた節があったけれど、本当は「演劇を通してあなたと私でぶつかり合いましょう(そしてお互いの世界をひろげましょう!)」が正解なのだと思う。だから終わってもいないのにメッセージを書くことに対しては割り切って、感謝の言葉を書けばよかったし、感動タイムには僕も一緒に感動してそれからみんなを鼓舞すればよかったのかなと思う。何を前提に置くか。どれだけ根源的な事に自分のテーマを置くことが出来るかというのは大事なことである。物事よりも人にフォーカスを当てて生きていきたい。これからの人生にも深く関わっていきそうなことである。

 

f:id:hasheem32:20180310004333j:plain

舞台裏のインカムBoy

 

 バランスを取りすぎて(まじめにやれ!!と言いすぎた)プロジェクトが終わった後、これといった繋がりは残らなかった。周りが離れたというよりも、自分の中で壁を作ってしまっていたような気がする。バランスを取るというのは難しいことだなということを振り返って今こうして文章にして始めて分かった。ちなみに実務的な話で行くとこの演出助手という仕事は全くできておらず、へっぽこりんちょでした!(皆さんすいませんでした!!)

 

 一方で、演劇プロジェクト関係者ではない、友達から「演劇頑張って!!!」という励ましのメッセージをいただいていたことを書きながら思い出した。こういう言葉は本当に支えになる。明らかにひん曲がっていたものの自分なりのスタンスを貫き通していた(自分は全身全霊で臨んでいたつもり)ことによって、現場にいない人からもポジティブエネルギーが送られてくるというのは凄い力が働いているような気がする。

 このプロジェクトが始まる前は、持てるものすべてを絞り出したらきっといいことがあるとなんとなく信じていた。ちなみにその時はなにかが巡り巡って女の子と付き合えるかも!?と未来に期待を寄せていました!笑

 巡り巡った結果、思わぬ所から励ましの言葉をいただけたことで、ああ、まだ捨てたもんじゃないんだなと思ったのを強く記憶している。がんばっていれば必ず誰かは見ていてくれる。それは隣にいる人かもしれないし、全くであったことのない人かもしれない、もしかしたら自分自身が見守ってくれているのかもしれない。どれにせよ、希望はいつも自分で生み出すことが出来るし、そのためにならまだまだ力を振り絞ることが出来るんだと思った。

 

 

さて、ここまでバーっと振り返ってみました。この年はボリューミーだったので、めちゃくちゃ長くなりました。が!ほとんどこれ以降は懺悔がありません!もしかしたらあと少しでおしまいになるかも???

ということでひとまず今日はここまで!明日のライブは果たしてどうなるのでしょうか??

 

つづく、、、、

 

今回の懺悔ポイント!

・壁を蹴ってごめんなさい

・メッセージをかけず、一緒に感動できずごめんなさい

・皆様とのバランスはほどほどにとります、、、

今回の大発見!

・頭皮までもがいつも通りやれと言っている

・向き合う対象を人そのものにしたら、見方が変わるかも

・自分をいい感じに貫けば、いい感じの風が吹く

【七年目の懺悔と大発見・その2】ピストンズを入場させろ

f:id:hasheem32:20180309004458j:plain

フリスビーを受け取る姿勢をしている僕と友達

 

 おそらく最後になるであろう、ステージの準備をして帰ってきたら23時を回っていました!演劇の稽古やアカペラの練習でこんな時間に帰宅するのはたぶん物凄く久しぶりです。夜遅く最寄り駅の巣鴨から家に帰っている道を歩くと、なぜか僕の頭の中は大学1年生の時を思い出します。

 ここ数日、「頭の中がホワイトアウト」現象が起きていました。理由はなぜなのか全く分かりません。本当はこの「七年目の懺悔と大発見」シリーズみたいなのをライブ本番まで毎日書こう!と思っていたのですが、ホワイトアウトしてしまったので、無理して絞り出すよりは書きたくなったら書けばいいし、特に書くことが無ければそれはそれで幸せだ!となっていました。が!頭の中で、書きたい欲が少しずつ出てきて、「自分を甘やかそう!(頭の中を言語化しよう!)」という声も聞こえてきた気がしてきたので、書いていきたいと思います!

 

前回はこちら!👇👇👇👇👇👇👇👇👇👇👇

 

 

hasheem32.hatenablog.com

 

直感は当たる

 大学生に入って、演劇を勉強する専攻に行くことで、周りからは「将来は役者になるの?」「演劇は大変そうだね~(この仕事で食っていくには)」というような言葉をたくさんもらった。が、自分の中では大学に入った当初から「大学生で演劇はもうおしまいだ。」と心のどこかでずっと思っていた。なぜだったのだろう。全くもってわからないけれど、心はそう感じていたような気がする。

 おもしろいもので結果こうして卒業を迎える時期になって最後までやっていたのは演劇ではなかった。自分がそう望んだ(演劇をやらないような生き方を選んだ)のか、それとも自然の摂理とか僕の運命とかそういうものが働いたのかわからないが、本当に演劇をやるということは大学で終わってしまっている。(ですが、皆さんの演劇を観るという方はまだまだ続いております!橋本にこれ見てほしい!という演劇があるかたはバンバン教えてほしいです!!!)これが今ふと思い返してみると面白い現象が起きているように思える。あまり未来や将来についてイメージできない自分が基本的にいるのだが、直観的に未来をイメージ出来たらそれは現実化されるのかもしれないということを体験したような気がする。

 

情けない自分と

 これだけ言っておきながら、一年生は演劇に結構時間を使っていた。舞台自体には3公演関わり、ちょっとした劇団のお手伝いなんかもやっていた。そのどれもが印象深いし、その一つ一つに懺悔したいことがらが山のようにある。。。

 演劇は大学でおしまい!という思いを持っていた僕は、演劇サークルには入らず、でも演劇の話はできる。みたいな謎のスタンスを取っていた。が、そんな自分に対して「上から目線の時期はおしまいだ!」という力が作用した結果、久しぶりに舞台に立つことになった。そこの演劇グループは朝練習をするところで、授業の始まる一時間以上前から集まって学生校舎の屋上で発声練習や演技練習(?)なんかをやっていた。最初は僕を含めて三人ぐらいでのんびりやっていたが、知らない間に仲間は増え最終的に10人弱で公演をすることになった。諸々あって、とてもこの現場の稽古には苦しんだ思い出がある。基本的には、自分の演技が下手ということ、高校で演劇をやっていたというプライド(初めての人がここにはたくさんいた)、その他たくさんの要因が重なった結果、己のザコさを実感し初めて悔し泣きを帰り道でした。嬉しいことに僕の帰り道はほとんど人がいなく、イヤホンと眼鏡をはずせば(視力が0.001ぐらいだから視界がぼやける)もれなく自分だけの世界に入ることができ、恥ずかしがることなくモヤモヤした気持ちを抱えて、うわー!!!となっていた。ゴスペラーズの『東京スイート』という曲がなぜだか心に染みた。以後この曲は「帰り道に鑑賞に浸るタイム」にもれなくかかる曲となる。

 この時の自分に対して、たぶん演技の未熟さとかテクニック的な話よりもプライドとか自分を素直に出せなかった何かが絡みついていたのが原因だったのではないかと思う。本当はプライドなんか手放して、もっと体当たり的にオラオラー!!!とぶつかっては転んで、ぶつかっては転んで、を繰り返すことで相対的に強くなるという、いわゆるサイヤ人方程式と同じ原理でやればよかったのだと思う。自分を開いて「どんとこいやー!!」となるのが理想だったのかと思う。このころは自分をオープンにする(そうすることで何かが舞い降りるかもしれない余地を作る)という選択肢すら持っていなく、悶々とした数日間を送っていた。

 

「Detorit Pistons intro 2005」

 演劇の神が現れたのだろうか、本番2日前ぐらいの稽古にて、人生で一番良かったと思える演技をすることが出来る。これ以上の心地良さを持った演技をしたことはこれより前を見返しても、この後を見てもない。その時のことを事細かに書いてみて、何が起きたのか、どんな力が作用したのか、見つめてみたい。

 その日は通し稽古が行われ、本番同様の状態で演劇をする。ド頭から僕は舞台上にいる役だったので、舞台の上で演出家がGOサインを出すのを待つ。この時に目をつぶり集中していたのだが、突然「デトロイト・ピストンズ」というバスケットボールチームの2005年の選手入場シーンが頭の中で流れ始めた。僕がこのチームのこのシーンが好きな理由はたくさんあるのだが、ユーロップの『The FInal countdown』という曲がとても選手の入場の盛り上がりとリンクしていてかっこいい。あとは選手を呼ぶアナウンサーが楽しそうだ。ここ10年近くこのチームは優勝からほど遠いところにいるのだが、2004年当時は恐るべきディフェンス力をもってしてリーグの優勝争いをしていた。過去の栄光という事にはなってしまうが、僕はそうとは思えず、過去は凄かったんだから未来もある!(だからお前もこれからは明るい!!)というところがひどく感動した。これを観たり聞くと、全然泣くところでもないのに泣けてくる。

 


Detroit Pistons Intro Game 5 NBA Finals 2005

 話は演劇に戻り、目をつぶって『The Final countdown』が流れてきた。この時「あとこの仲間と一緒に演劇ができるのもあと二日しかないのか」という僕の気持ちと曲がもれなくリンクして、物凄く目が熱くなった。みんながいるところでこっそり一人悲しみとそれに打ち勝つ勇気を抱き泣いていた。感動で心を溶かす(自分の殻を外す)ということを体験したように思う。その時も何か自分の中で軽くなったような気がした。結果として人生で一番納得のいく、周りも納得のいく演技ができた。本番よりもこの日の方がよかった。

 もっと他の何かが作用したのかもしれないが、僕が覚えていたのは頭の中で選手が入場してきたシーンである。なんでこれが自分をさらけ出すきっかけになったのだろうか。全く分からない。が、何か思いつめている時は頭の中で選手を入場させればいいのかもしれない。僕の気持ちが落ちている時の処世術として「Detroit pistons intro 2005」で検索をする、ということは有効かもしれないと思った。

 

 一つだけこの公演にまつわる懺悔をしてこの話は終わりにしたいと思う。自分の不甲斐なさにおぼれている時に、みんなは声をかけてくれた。そのことは今でも覚えている。だが、その時の僕はあまりにもテンションダウンしていたので「話しかけないでおくれ、、、、!!!」となっていた。公演が終わってから結局その時声をかけてくれたことへの感謝は伝えることが出来ず、今思えば相当失礼な奴となっていた。素直にみんなの声を受け止めることが出来なくてごめん。あの時声をかけてくれてありがとう。本当は飛び跳ねるほどうれしかったけど、自分の至らなさを受け止めることがこの後につながると思って言葉を返すことが出来ませんでした。あの時はありがとう。

 

 書いて見ると、まだまだ書き足りないことは山ほどあるのですが、もう時間も遅くなってしまい、明日の練習もあるので、今日はここまでにしたいと思います!この調子だともれなくラストライブが終わった後も書き続けるような気がします!!!それでも良いのでしょうか!!!

 

 

つづく、、、、

 

今回の懺悔ポイント!

・あの時言葉を返せなくてごめん

・プライドをはじめとする、自分の殻を破るものを取っ払え!(裸でぶつかれ!!!)

 

大発見

・僕にとって『The Final countdown』は効果的である!!

【七年目の懺悔と大発見・その1】高校生編

 

f:id:hasheem32:20180305233208j:plain

 気付いたら7年間も人前に立つこと、舞台というものに関わり続けていました。七年も続けるなんて今までの僕史上なく、公文だって4年、バスケだってしっかりやったのは4年、プールは3か月、バイトだって2年続いたことはありません。そんな舞台関係に携わって7年という歳月も、とうとう残り5日で終わりを迎えます。

 来る3/10、僕が活動してきたアカペラグループ・アグアブランコのラストライブがあります。このライブでおそらく自分が舞台に立つのはいったんおしまいになると思います。今まではなにか舞台やライブが終わっても、「また続きがある」感があったのですが、今回は「終焉を迎える。その代わりに新しい道が開ける」感がしております!

 なので潔く新しい道を自らのために開いてあげるため、この7年間を振り返って、頭の中の一切合切を整理していました。パソコンのWord2013にうぉりゃー!と書き込んでいたところ、「これは文章に残して懺悔しつつ、サムシングに許しを請わなければならない、、、」と思うような出来事が目の前に広がっていったので、こうして一応誰でも見ることが出来る状態にしてしまおうと思います!

 

 

初舞台

 僕は高校生の頃、演劇部に入り、初めて人前で舞台に立った。正確には小学生の頃に朝行事の司会を何回かやったことがありそれが初めてだと思うが、それはカウントしないことにする。どんな作品をやったのだろうか。記憶があいまいになっているが頑張って引っ張り出す。確か友達が書いてくれた作品を一緒にやったのが初めてだったのではないか。

 

 オースティンともう一人カタカナ語(忘れてしまった、、、!)の人物が出てくる話だった。話の内容は、二人はまだまだ若手の俳優で、互いに悩みながらもどうしたらもっと演技が上手くなるのか、よい俳優になれるのかを日々試行錯誤していた。オーディションが開かれ「殺人犯」と「殺されてしまう人」という役を与えらる。オースティンとスティーブ(思い出した!!)は練習をする。演技中にリアルを感じることが出来ない二人は実際に殺し殺されないといけない、という結論が出て、練習中に殺しかけたり殺されかけたりする。オーディション本番、練習のかいあり二人は見事合格するが、プロデューサーに殺されてしまう。「これで本当の演技ができるようになっただろ?」的な言葉を吐いて幕が下りる。

 

 あらすじはパッと書き終えるつもりだったのに、初めての舞台を思い出したら楽しくなってきて最後まで書いてしまいました!

こうやって書き出してみるとこの作品がなかなかいい感じの不条理演劇であったことに気づく。昔は「ブラックな感じだね!」なんて言い合ってました。

さて、この作品を二人でどうやったら面白くなるか考えて、練習していた。お互いが楽しんで、そして生き生きして舞台の上に立っていた。二人でわからないながらにも手探りで自分たちなりの正解を見つけていくという作業の面白さはこの時強く感じた。もしかしたら内容は置いておいて、稽古の進んでいく感じや、本番を含めてこの時が一番演劇を楽しめていたのではないかななんて思う。「お客さんを楽しませる前にまず自分が楽しむことが大事だ」という考えが最近は強くある。初めてなのに、いや初めてだからこそ純粋な気持ちで舞台に立てていたのかな、そしてその楽しさはたぶん伝わった、なんて思うと、自分に拍手を送ってあげたい!!

 

トンガリ部長

 それから1年が経ち、僕は演劇部の部長となり、部活を引っ張らなくてはならない立場になった。当時の僕は何とかして演劇部をインパクトある存在にしたくて躍起だった。のんびり楽しみたい部員たちとは裏腹に、ただ一人演劇とは何か、どうしたら上手く演じることが出来るのか、どの演目をすれば、どうやって宣伝すれば。もはや楽しむという概念はどこかに消え去り、気づけば部員たちと距離を取っていた。カードゲームやおしゃべりに夢中になっている部員をみて「演劇はどこに行った!!」とおもっていた。稽古に出るのも嫌になってきて、一人図書館に行ってシェイクスピアを読んでは「俺はしっかり演劇をしている」と思い込むようにし、演劇の基礎練習の本を読んでは「俺はしっかり演劇を理解する努力をしている」と思い込むようにしていた。

 変な話その時は、部員と仲良くする道を取るのではなく、自分が演劇にのめり込んでいる風を醸し出したらみんながついてきてくれるのではないかと思っていた。当時のことを思えばわからなくもないけど、今の僕からは、ものすごいトンガリ帽子をかぶっているぞ!!つんつんしているぞ!!自分にもそのトンガリは刺さってるぞ!!と言ってあげたいなと思う。結局これといったものは部活に残すことが出来ず、そして部員の仲もそれほど良いとは言えず、結構帰り道を後悔しながら歩いていた。

 

思っていることを伝える

 そんなこんなで部長の任期は終わり、ふと自分のやりたかったことはこんなことじゃないということにようやく気付く。三年生の始めあたりはまだ部活に顔を出しており、どうすればみんなが楽しんで硬くならず、演劇を楽しめるかをようやく部員たちと考え始めることが出来た。思えば部長時代、部員と話し合った思い出なんて全くなく、今考えるとよくその状況で孤独を貫いていたよなと思う。あまりにも僕が自分の世界を作り出しすぎていたせいか副顧問の先生から「お前は孤独を持っている所がかっこいい」なんて言われるようになってしまっていたり。でも僕のことをわかってくれて嬉しかったり。確かに今現在でも孤独は背負いがちなところがあるため、この言葉は今でも心に残っています。孤独をポジティブに受け入れてみようと今の僕は頑張っております!先生ありがとう!

 そんなこんなで部活からは離れたところで、同じ代の部員と駅近くのたこ焼き屋さんの二階を貸し切って、「今だから言えるけど、本当はこんなことを思っていたんだ」ということを話したところ、「全然そんなこと考えてるとは知らなかった、言ってくれたら一緒に頑張ったのに」的な事を言われた。思ったことを正直に素直に言えばよかったなんて知らなかった。ただこの時は何を勘違いしたのかこの一連の経験から得た教訓は「思ったことがあったとしても言わない」となってしまった。というのも部長をしていた時の僕は意外と思ったことを口にしていて「あれが気に食わない」「もっとこうしたい」「それは違う」といったような謎の必殺ダメ出し人として存在していた。だから諸悪の根源はいろいろ言いすぎた自分、と勘違いしてしまい以後一、二年は「思ったことがあったとしても言わない」をしていたように思う。

 

 自分にはこれまで3年のキャリアと呼べるものが存在している。この時間というのは意外と厄介なものでキャリアとか言っても中身はスカスカだったなと正直思う。勿論演劇に対するレベルとか演技がどうとかそういうことはスカスカだったが、何より目の前の人に言いたいことを言う、しっかり思っていることを言葉に乗せて伝えるということがこの三年間、しかも演劇といういわば「対話を使った遊び」に関わっている身のはずなのに全くできなかった。この三年間演劇をやってきたという経験は残念ながらプライドという変なものに変わり、この後の自分を少し苦しめるのであった。

 

つづく、、、

 

・今回の懺悔ポイント!

 ・あの時はとんがってごめん!

 ・みんなともっと楽しく演劇したかった!

 ・いい感じの挫折経験を、間違った教訓に閉じ込めました、、、

 

・今回の大発見!

 ・何も知らない方が純粋かついい感じ

 ・思ったことは口にしないと伝わらない!(特に僕の場合は!)