Pick & POP

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トートバッグと10個の荷物と。

約1年ぶりくらいぐらいに成田空港のLCCターミナルにいる。去年の夏、この場所へ来た時僕は、背中に45Lのバックパック、右肩にテントを入れたトートバッグ、左肩に分解した自転車、というフルアーマー装備だった。およそ1年を経た今、トートバッグ1つで飛び立とうとしている。本当に必要なものというのは、数少ないorもはやそんなものは存在しないのかもしれない。

 

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1、トートバッグ(10L入る?)

自転車の旅から1年、自転車が残るわけでもなく、大型のバックパックが残るわけでもなく、テントしか入らなかったあのトートバッグが残った。ここ最近はずっとリュックで外出していたので飽きてしまった。あとリュックの背中が型崩れしてやけに腰にストレスがかかった。なので今回はトートだ。頂きものであるこのウルトラマントートは街中で見かけたことがない。オリジナリティ(?)を醸し出すことに成功しているだろう。少なくとも僕はウルトラマンが大好きなのでテンションが上がったまま移動できている。愛着のあるものを使うことは小荷物移動には大事な極めて大事なポイントかもしれない。

 


2、洋服2日分

なんと最近は洗わなくていいTシャツなども開発されているらしい。替えの服を持ち歩く時代は終わるのかもしれない。とりあえず汚く、臭くなったら、コインランドリーへGo!

 


3、無印の小分け袋(Mサイズ)

圧縮袋という手があるらしいのだが、この袋が意外と便利なので使い続けている。2段になっているので、今回は1段目に洋服、2段目にそれ以外とした。その結果すごくコンパクトになった。

 


4、シェーバー

日本でのヒゲに対する見方はどうなのだろうか。僕はワイルドでかっこいいと思う。が、あまり受け入れられていない感はする。ヒゲを剃って清潔感!みたいな広告や言葉はよく見かけるが、ヒゲをメイクしてかっこよさを!というのはあまり見かけないのは髭剃りメーカーの陰謀だったりするのだろうか(しないのかもしれない!)。ちなみに肌が弱い割りにヒゲは濃いので、フィリップスの回すシェーバーを使っている。

 

 

 

5、iPhone &充電器各種

もうスマホさえあれば生きれるのではないかと思う。飛行機のチケットもスマホ、音楽もスマホ、ブログもスマホから。スマホを使い始めてそろそろちょうど7年になるが、年々アプリの数は減っていき、今は将来的にはスマホは手放せたらいいのにと思う。

 


6、財布

さて、所持金は残り10000円を切っている(とうとう!)さて、僕はどうなってしまうのでしょうか!(ワクワク)

 


7、ヘアバンド&ニット帽

髪を意図的に伸ばしている。とうとう唇まで前髪が到達した。これには2つ理由がある。

1つ目はワックスを使わなくても髪をセットできることだ。ワックスのケースはかさばるし、何よりワックスをしたらその日は髪を洗わないとベトベトで嫌だ。まだ汗をかく時期ではないので、ギリなんとか1日は風呂に入らなくてもいける。それよりダメなのはボサボサの頭で街を歩くことだと僕は思っている。直毛の僕は髪が短いとボサボサになるのでワックスを使っていた。手間も時間もかかる。友達曰く、綺麗な髪をしている、らしいので伸びてる方が自然体でいいのかもしれない。

2つ目は漫画「バガボンド」の武蔵、および小次郎の侍ロングヘアに惚れたからだ。(こっちの方が理由としては大きい!!)

ヘアバンドとニット帽の話を書いていない。このロングヘアを抑えるアイテムとして使っている。まさか2つとも100均だとは誰も気づくまい。(ほんとはいいヤツが欲しいです!)

 

 

 

8、ビオフェルミン

お腹が痛くなりやすい体質だ。実際の効果と気休めも兼ねてビオフェルミンを大量に持ち歩いている。気休めって結構大事だと思っている。

 


9、本

空港の本屋は閉まったので、博多についてからプラスする予定だ。チェーホフの『かもめ』か、カフカの『変身』か、フランクルの『霧と夜』を見に行こう。

 


10、UNIQLOの折り畳み傘

こういうところに僕らしさが出ているなと思う。完全にこれは、もしものとき、用である。コレはある意味自分の中では、心のセーフティネット、となっている。

 


皆さんは荷物をたくさん持っていく派だろうか、それとも少なくする派だろうか。別に少なければいいというわけではないと思う。好きなものをいっぱい持っていきたいのならばキャリーケースに詰め込むのも大アリだと思う。何をしても自由だ。

 


僕は散歩をするのが好きだ。なるべく歩きたいので、荷物がかさばって重いと歩きたく無くなる現象が起きる。これは致命的である。その辺の街を散歩するように知らない土地を歩く。そうすることで自分の中にあった、何か常識的なものが和らいでいく。その土地と自分が馴染む。特に今回は自分の中では新たなスタートという位置付けをしている移動なので、九州および中国地方に自分をなじませたい。

準備はもうバッチリだ。さあ、レッツスタート!

 


つづく!

何よりも自分が楽しむこと

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来月からはおそらく中国、九州地方が舞台になる予感がしている。理由は東京はもういい。群馬の家は、生活できることがわかったのでもういい。となったからだ。新しい場所へ移る前に、ちょっと思うことを書いてみたいと思う。

 


誰かのためではなく、俺が楽しむために

4月からのこの2ヶ月間近く、群馬県にある山小屋兼古民家を、人の住める場所、人を呼べる場所にしたいと思って、ちょいちょい挫けて東京に戻りつつも作業を続けた。結果土に埋もれていた石畳や池を発見し、山でコーヒーを飲む楽しみを知り、小鳥の鳴き声で朝を迎える喜びを知る。この場所がとても好きなので他の人にも来てほしいなと思っていた。だんだんその想いが強くなってきて知らない間に、(顔も知らない、僕が勝手に想像した)誰かに気に入られる場所にしようと思ってしまっていた。知っている人でも、ここにはコレがある(野外コーヒーが飲める、自然がある、夜空がある)とセールスし始めていた。誰がきても恥ずかしくないガーデン、設備などなどをこしらえておかねば、となっていた自分がクソダサく思えてきた。

 


僕は誰かのため、とか考え始めると他人との比較に走る傾向がある。赤城の家の近くに綺麗なログハウスがある。そこには綺麗な庭があって遠目から見てもいいなぁと思える。一方こちらはどちらかというと「野生」というワードが似合う場所だ。野生の場所は切り拓くのに半端ない力と時間といろんな意思(エゴ)が必要だと思う。花を植えたいというエゴ、家の中を綺麗にしたいというエゴ、人を呼んでも恥じない場所にしたいというエゴ。まだこんな世界に自分がいたのかとガッカリする。

 


言っちゃうと、トイレはない(あるけど臭い)、虫が沢山いる、星が見えづらい(林が多い、天気が良くないとほぼ見えない)、家の中は汚い、ケトルが消えた(盗まれた???)。今まではこの不自由さを消そうとしていた。勝手に綺麗になるまでこの家は使えないと思った。でも思えば赤城の家で楽しかったのは、ないものは無いなりに知恵を働かして何とかする、ということが大半ではないか。鳥の声を聞く、太陽の当たる場所に座る、涼しい母屋で寝てる。今のままで僕は十分楽しんでいるではないか。

 


大事なことは誰かのためとかではなく、自分が楽しめる空間が作れていたらもうそれで十分であるということ。誰かのために作られたものは万人ウケする可能性は高いけれど、味は出てこない。ゲストハウスや宿をやれば?と言われるが、お客様満足のためにやるのは僕はイヤだ。あと何よりも、客、という概念を作りたくない。あくまでその人が来たくて来る場所であるべきだと思うので、その場にいる誰もがイーブンでいてほしい。僕が楽しいと思っている場所、それに面白おかしがってくれる人が来ればいい。そして一緒に「赤城の山の家」というプレイグランドで遊びを作っていきたいと思う。

僕が見たい世界は多分、僕が心から楽しんで、隣にいるあなたも心から楽しんで一緒にウヒョーい!!!だと思う。

よってこれ以上手を出すのは一時やめにした。でも来たい方は大歓迎です!!!というポジションで行こうと思います!!!

 

 

先日のお話


ちょうどこの話を書きながら、先日大学時代に一緒に舞台に立ったK君と9時間飲み明かした時に話したことを思い出した。あまりにも沢山喋ったので、そしてお酒もいい感じに入っていたのでハッキリした内容を覚えていないのだが、そのうちの1つは「0→1を作る人、1→100にする人」がテーマだった。簡単に説明すると僕は前者で、K君は後者だった。ちなみにこのテーマで僕はこれまで散々悩んで来ているし、1→100は無理だなといい意味で抗わない様にしている。

 


話の流れでK君は「ハッシーはただ、こういうことをやりたいなと思ったことを俺たちに言ってくれればそれでいいんだよ。うまくやろうとかは俺たちのすることだから。いい意味でガキのまんまでいいんだよ。」と言うのの1000倍くらいいいことを言ってくれた。これだな、と思った。本当のチームプレー、役割分担とはこのことだと思う。僕には1→100にする事にあまり楽しみが見出せない。1→100を考えると「これって俺が考えなくてもよくないか、、、」と思ってしまう。そうではない。お互いが好きに生きる。彼は僕を生かしてくれた。とても嬉しいし、彼が前よりも好きになった。僕も彼を生かしたい。そのために自分が好き勝手に生きる。

 


最初に「誰かのためにではなく、自分のために」と書いたが、「自分のために生きることが誰かのためになる」みたいな逆転現象は起きると思う。自分自身を生きるとかいうと、自己中心とか言われるけど、人によってはそれの方が大事なことや時ってある。昔アカペラをしていた時客を楽しませようとムキになっていた頃よりも、自分たちが楽しむことにフォーカスした頃の方が色々いい感じになった。今がぜん勇気が湧いてきた。ふと西日本に行きたいと思った。思い立って気づいたらもう飛行機のチケットを取ってしまっていた。いい風が流れている。次はどうなっていくのだろうか。自分に期待を寄せてネクストフェーズを楽しんで行こうと思う。

 


おしまい!

5/18 やまにっき〜こんな感じで生きています編〜

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懲りずにまた赤城山に来ている。どんな感じの生活を送っているのか少し紹介してみたいと思う。

 

群馬での生活日誌

・『池の土ぜんぶ抜く大作戦』

土に埋もれた池エリアを復活させるという作戦だ。

テレビ番組のやつは池の水をぜんぶ抜くが、僕の方はうまっていた池を発掘するのが目的のため、池の土をぜんぶ抜くのである。もちろん人力でスコップで土をすくっては台車に積み込み、堆肥エリアに運ぶ。これの連続だ。キリがない作業に途中で死にたくなるが、底が見えた時の「やったぜ。」感はハンパない。

 


ひいおじいちゃんが住んでいた時代は(いつごろなのかはよく分からないけど)いい感じの庭園があり、池がその一部として役割を果たしていたらしい。池を完全復活させるまでは行かなくていいから、そのスペースを再利用できたら面白そうだなと思う。何をしたら(僕自身が)ワクワクするだろうか(父親は足湯にしたいなと言っていた)。底が見えちょっぴり綺麗になった池を、リゾートチェアに腰掛けながらながめ続けていたら気づくと外は真っ暗になっていた。

 


・おやすみday

 

3日に1度、温泉に入りに行く日を設けている。山を降りた先にある「ユートピア赤城」には小さい頃から行っているので馴染み深いし安心できる。wifiもあるので山小屋でできなかったことをすることもできる。

温泉を出て次は僕の大好きなイタリアンレストラン「フィオーリ」に行く。ここのパスタは通常のお値段で大盛りなので、ロクに食べ物を取っていない僕には天国みたいなところだ。この日はあさりとベーコンのパスタが最高に美味しかった。ちなみにピザもめちゃくちゃ美味しい。ミミが分厚い。そして何よりもこのお店が好きな理由として、お店の雰囲気が素晴らしい。店内の内装や音楽はもちろん、店員さんの雰囲気が最高だ。うまく言葉にできないのが悔しいが、赤城山に訪れたら外せないスポットだと思う。ぜひ行って見てほしい。(写真を撮るのを毎回忘れちゃう!!次は!)

温泉に行ってフィオーリに行って家に戻る、をやると20,000歩になるのでとても良い眠りにつける。この活動をする日を僕は「おやすみday」と呼ぶことにした。

 

夜の過ごし方

 

「窓を開けっ放しにした方が自然と一体化できる!」などとほざいて家の窓という窓(玄関の扉さえ)をフルオープンにした結果、たくさんの虫さんがインしてきた。昼はハチさん&ハエさん、夜は怖くて見れていない。虫さんの、照明にぶつかる音がとてもノイジーでイラついてねれなくなる。「田舎生活に慣れちゃったもんね~!」と調子に乗っていた自分に対する戒めなのだろうか。夜の部には結構大きめの方も同席され、ぬわぁぁぁぁとなっていた。

 


寝れないまま時が経つ。夜中はあまり楽しいことを考えられない。ぼーっと暗がりの中天井を見つめると、どうしても半端ないほどの孤独感や寂しさが迫って来た。「なんで俺はこんなことをしているんだろう」「俺の生き方なんて誰のためにも、ましてや自分のためにもなってないのではないか」。考えても仕方のないことがどんどん溢れて来る。気を紛らわすためにPrimeVideoにダウンロードしてあった『マンチェスターバイザシー』を見る。でも寝れない。

 


さえないメンタルのまま、鳥のさえずりが聞こえ朝が来たことを知る。外に出て椅子に座る。ただ鳥の声に耳をすませる。林のさざめきに包まれる。薄暗かった夜が明け、少しずつグレーから青に変わる空が現れた。この瞬間、言葉にするのが難しいのだが、産まれた、と思った。今この瞬間に産まれおち、今日という1日を生きる。そこには意味はなく、ただ安心感だけがあった。歓喜の瞬間があるわけではないが、じわじわしみる幸福感、安心感がある。生きるってこういうことだと思った。生きる意味とかそんなことは元から存在せず、ただ朝日を浴びて1日が始まる。そこから続く時間の流れ、それが生きるなのだ。上手いこと頭の中で言葉がまとめられないのだが、とにかく、それぐらい夜明けは素晴らしかった。

 


鳥たちの声は僕に睡眠欲を与え、林の揺れる姿はまぶたを重くした。僕はこの雰囲気を感じたまま寝たいと思ったので、窓をフルオープンにして寝る。気づくと虫さんたちは各々の仕事に向かうためもう家の中にはいなかった。

 


つづく。

選択するのは自由で、何を選んだっていい

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 ここ1ヶ月の自分の動向を簡潔にまとめると、群馬県赤城山と東京都文京区を反復ヨコ跳びしている感じである。4月の頭に群馬に行く電車の中では「ここから俺の物語が始まる(ゾクゾク、ワクワク)」となっていたが、蓋を開けて見たら都会と自然のデュアルライフをしていた。何かを始めたらずっとその場所にいなきゃいけない(一回群馬に行ったら、実家に帰るのは大罪だ!)と思っていたのだが、いや、これもアリだ、人生なんでもアリなんだ!!!みたいなことを感じて現在は実家にいる。そのかわり実家にいるときは家事全般を自主的にやってなんとか少しでも貢献を、、、!と奮闘している(家にいてもやることがないので家事をしている側面もある)。その過程でなんと、現在クッキングにどハマりしているのだ。

 

クッキングという大発見


人生の中でまさかクッキングにハマるときが来るとは思わなかった。たいそうなことはしない。普通に夜ご飯を作ったり、お菓子を作ったりするだけだ。クラシルのアプリを見て簡単そうなレシピを見つけて実際にやってみる。面白いことに10回ぐらいクッキングしたあたりから、「俺は料理ができるメンズかもしれない!!」と自信をつけることに成功する。そうなってからはもう、料理が楽しそうな実験にかわり知らず知らずのうちに【やりたいこと】となった。【やりたいこと】をしている時は楽しくして仕方ない。多分働いていたらご飯を作ることなど頭にもなかったのだろう。自分を楽しませるきっかけがどこに潜んでいるかはわからないものである。

 

クッキーを作るマン

 

クッキングの過程で、なんとさらにクッキーが作れるようになった。これは真嗣史上なかなかのレベルアップである。ホットケーキミックスを使ったやり方だと、一袋につき約30枚近く焼けることがわかった。この間はたくさん作ってしまったので【フリークッキー】と称して、家の中で誰でも、好きな時に、自由に食べれるコーナーを設置してみたところ、いつもだったらポテチとブラックサンダーに手を伸ばす家族が、クッキーを完食した。面白かったのでまたやるかもしれない。もしかしたら枠を家族だけでなくこれからお会いするみなさんまで広げて、クッキーを配布するマンとして登場するかもしれないです!!!(しないかもしれない!!!!)

 

古民家をリバース

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今自分の中で一番ホットなトピックスは群馬県赤城山にある古民家の再生だ。この家は僕のひいおじいちゃんが使っていた家で、僕自身小さい頃から訪れている。今は橋本家の敷地となっている。再生というと聞こえはいいものの、そんなに大層なことではない。立派なことでもない。空き家問題にメスを入れてるわけでもない。ただ単に「無料で使える家が群馬にあるから、金なしの僕にはぴったりだ!ついでにキレイにしちゃお!」ぐらいのゆるいノリだ。

 


今は雑草が荒れ放題になっているが、ひいおじいちゃんが住んでいた頃は、あたり一面は芝生で、自作の池まで備え付けられそこには庭園が広がっていたらしい。その話を聞いた時、「ガーデニングしてみたいな」と思った。ガーデニングに関する知識は皆無に等しいがだからといってやらない理由にはならない。まずは落ち葉を掃くところからスタートしていきたいと思う。クッキングに続き、ガーデニングまで習得してしまったらやばいと思う。ようやく想像力が走り出したところなのに更にその古民家で洋服をセルフで作れないかと思っている。おっと、調子に乗りすぎてはいけない。まずは目の前のことをするだけである。

 


この家の方向性としては(僕の頭の中でのビジョンは)誰でも、好きな時に、自由に使ってもらえたらいいなと思っている。キレイになってからでなくても別に今からそういう使い方をしてもいいのだと思う。トイレは使えるけど臭い(ので、僕は立ちションと穴を掘って大をしている)というのと、風呂がない(ので冷たい水道水で体を洗っている)ぐらいしか不便な点はない気がする。コンビニだって40分歩けばあるし、大好きなイタリアンレストランも50分ぐらいで着く。60分山を下れば温泉もある。家の中にはBluetoothスピーカーがあり、自然の中で流すジャズは最強で最高だ。

もしクレイジーな体験をしたいという方がいらっしゃれば、一緒に焚き火をしながら夜空を眺めて語り合えたら最高だなぁ、、、なんて心を膨らましております!!!

 

 

選択するのは自由で、何を選んだっていい

 

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この歳になってようやく「選択するのは自由で、何を選んだっていい」ということに気づいた。〇〇をしなければいけない、的なことを言われる場面なんかは世間では山ほどあるんだろうなと思う。僕は直近でいうと「大学を出たら働かなくてはいけない」と言われたし、勝手に自分で思い込んでいた(その割には自分が働くビジョンなど想像できなかった)。それはただ単にそういう世界しか知らないだけであったということに気づく。さすらいの身をしているがその中で実際に働いていない人の話を聞くこともあれば、楽しそうに働いている人の話を聞くこともあるし、「働くとは、、、」と悩んでいる人の話を聞くこともある。世の中にはいろんな立場の人がいる。どこに位置するかは自分で決めることができるのではないか。

 


話は少しズレるが、この間人生初グリーン車に金曜の夜乗った。周りはお仕事を1週間頑張った方々でほぼ満席だった。知人とご飯をしてルンルンの僕は座席を見た瞬間、場違い感を覚えた。が、座って久しぶりにDSでポケモンをしてみた。その時ふと「疲れた心と体をグリーン車で休めるのだ、、」という人生を送るもよし、「呑気な無職が謎の優越感を得るために乗る」世界を生きるのもよし、それをどの歳でやるのも自由!なんだなぁ~と思い、選択の自由は常に目の前にあることを知る。

 


 多分どの位置にいても各々にメリットはあるのだと思う。その生き方がダメなんてことはないはずだ。その中で出来ることと言ったら、自分の心はどうしていたのか、それに耳を傾ければそれだけでいいのではないかと思う。健全体であればそれでいい。何もしてなくてもいい。その人の生産性とかはどうでもいいのだ。生産性で言ったら「クッキーの型」の方が今の僕の数億倍価値があると思う。あいつは100円にも満たないあの作りでクッキーをおそるべきほど大量生産できる。僕は残念ながら型じゃない。でも元気な姿をみんなに見せることはできる。楽しかった話をみんなにすることができる。それだけで十分なのではないかと思う。健全体な自分であることを目的に、日々の選択をしていくことが大事なんだと今強く感じている。

 

 

つづく、、、!

 

合理性をぶっとばせ!!

 今日は新宿周辺でアカペラのメンバーたちと再会を果たした。社会人になって1ヶ月が経つものの、やったことはラーメンを食べ、ウインドウショッピングをするという学生の時と変わらない。もともとこのメンバーとは酒は飲まない。夜遊びはしない。イキって街中を歩くことはない。いい奴らが揃っている。どこか優しい雰囲気が漂っているこの感じがとても好きだ。久しぶりに会ってそんなことを思いながら、(他人事ながら)ちょっといい感じの出来事に遭遇する。

 

 

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 話は初任給へと移る。みんなの額を聞いておったまげる。みんなが稼いでいる間に、逆にドンドンお金をすり減らす方向にシフトしている僕は圧倒されっぱなしだった。初任給で親に何かあげる的なサムシングができない僕は、皿を洗う、洗濯をする、ご飯を作る、掃除をする、一緒に山に行くなどの体を張る系の事しか出来ていない。いつか初任給なるものを手に入れたら、何をあげようかな~なんて考える。父には、(英語が好きなので)海外旅行を、母には、(ちょうどこの間欲しいと言っていたので)イヤホンを、あげたら良さげかもしれない。しかし初任給でなくても、いつでもプレゼントフォーユーできることに気づく。しかもその機会は意外と近い気がする。なんかそんな感じがする。(プレゼントできないかもしれない!!)しかし、お金の工面の仕方はわからない!

 

 

 

メンバーの1人のY君が「初任給を特に使っていない」ということを話し、みんなで(勝手に)彼の初任給で彼の両親にプレゼントするものを探す旅に出た。デパートの地下を歩き回り、いい感じのケーキを探す。伊勢丹にて最終的にとてもいい感じの店員さんのいる店にたどり着き、そこでどデカイチョコケーキを彼は買う。メッセージプレートにも手書きで両親へ感謝の言葉を書く。その様子を僕たちは動画に撮る。お店の人を含めた5人くらいの中でいい雰囲気が流れる。始まりはとても軽いノリで(半ば強制的に)始まったが、結果としてとてもいい感じの時間が流れていた気がする。Y君の金は減ったが、いいお金の使い方になっていた。ちなみにY君のお母さんとは僕たちも面識があり、いや、面識どころかとてもお世話になっている。撮った動画はメンバーを通じて恐らくお母さんのもとに届いている。この感じもなんかいい。自分にとっては(人の多さ、街頭のぐちゃっと感から)魔都とも言える新宿でこんなほっこりするストーリーができるとは思わなかった。

 

 

 

合理性をぶっ飛ばせ!!

 

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 今群馬県に向かう電車の中でこの文章を書いている。新宿から高崎まで約2000円かかる。全所持金は20000円ちょっとだ。実は父も今回車で群馬県に行っている。今日の用事を、「みんなとはまた会えるから」という理由でキャンセルして父とともに車で群馬に行けば電車代も宿泊代もかからない。今日のこの集いはこれから先何回もある気がするので、キャンセルすることも可能だった。答えは即決で「金とか関係なしにみんなと会います!」だった。心は久し振りにみんなに会いたがっていた。心の声に従うことに間違いはない。結果、とても素晴らしい時間を送ることができた。

 


最近はこの心の声に委ねるのがキーだと思っている。人と会って「所持金が20000です!これからどうなるかわかりません!」的なことを話すと、「その20000円であとどれくらい生きれるの?やばくない?餓死するよ?」と言われることが多々ある。僕はクソガキなので「は?死なねーし!!!」と心の奥底でつぶやきつつも近頃は「なるほど、この人は自分だったら20000円で何日間生き延びることができるのかが不安なんだな?」と思うようになった。

 


ちなみに今までの経験上、20000円あれば3ヶ月は生きることは余裕でできる。さらに言っちゃえばお金がなくても生きることはできるのだと思う。ここで大事なのは「20000円でどれだけ長生きするか」ではなく「この20000円をどう気持ちよく使うか」にかかっていると思う。自分の心がアガる使い方をすれば、いい形で生きて行くことができる気がする。死ぬことはない気もする。さてこの仮説は自分にとっていい方向に向かうのだろうか?実践してみて、その結果をブログでお伝えできたらいいなと思う。

 最近の実例としては、群馬の標高600mの古民家で、自然に囲まれがら榛名山を目の前にしてコーヒーが飲めたら最高だろうなと思い、コーヒーミル、コーヒーサーバー、ドリッパーなど一式を買い揃える。部屋でジャズを流すのにスマホの音だと弱いのでBluetoothスピーカーを買う。こんな感じのお金の使い方をした。

(人から見たら無駄と思えるけど)自分の心に従ったお金の使い方を1ヶ月ほど実践した結果、今の所死んでいないし、心は澄みきっている。

 


さて、ダラダラと書いていたら高崎に着きそうだ。泊まるお金がもったいないので深夜お散歩でもしながら夜を漉そうか。赤城山の古民家に着いたら何をしよう。ガーデニングからしようか、障子の張替えをしようか、壁紙を貼ってみようか、コーヒー豆を挽くところからコーヒーを作ろうか。間接照明を置いたらどうなるのだろうか。ワクワクを胸に抱き、山に向かう男がいた。。。

 


つづく!

不安定なこの心真実 ひっくるめて全て愛してあげて

世界も常識も1つなんてことはない

 

 ここ数日、人と会って話す機会がいくつもあった。僕の今のこの感じを話すと、相手の反応は大雑把に2パターンに分かれる。1つは「いいね!」系。この方々と話していると、どこまでもフライアウェーできる気がしてくる。と、同時に自分中に「どんな責任も自分持ちなんだよ」ということを芽生えさせてくれる。もう一方は「大丈夫??」系だ。家族が心配するのはわかる(し、迷惑かけてごめんなさい、今は僕の道を行きます!となる)のだけれど、そうじゃない人が結構心配してくる。僕のことが心配なのだろうか?話している感じからすると何か違う気がする。別に僕の事を心配してるのではないような気がする。

 

 

僕に「大丈夫?」とか「何やってんの?」みたいな事を伝える方々は、多分自分が心配になっているのだと思う。あくまで予想だけれど、もし自分がこうなったら嫌だな、的な事を想像しているんだと思う。他人は自分の鏡だ、と聞いたことがある。多分目の前にいる謎の男と自分を比べて考えているのだろうか。僕は、相手の考えている事を予測できない。そんなこと構っている余裕はない、ということが最近わかったので詮索しても無駄な気がするのでこの話はこれでおしまい。

ただ、僕に興味の無さそうな人ほど「へ〜面白そう!」という反応が返ってきた。どちらがいいという訳ではない。でもどちらの道も自分の目の前に現れ、それを自分で選ぶことができるのが人生だと日々体験している。

 

手作りの暖かさに触れる

 

昨日、久々に演劇をしていた時の先輩と会い、手作りカレーをご馳走になった。かぼちゃを具材としてではなく隠し味としてルーに溶かし、それ以外にもいっぱいアレンジが施されているオリジナルカレーを頂いた。

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感想からいうと、めちゃくちゃ美味かった。大盛りのカレーを食べながら「こんな適当な日々を送っている人間にもこの美味いカレーを食べる権利があるとは最高かよ!!まだ死ねない!!」と震えた。感覚として、外で食べるご飯よりも手作り料理の方が2000倍美味しいと思う。

 ちょっと話はずれるけど、ここ最近小料理屋さんに連れて行ってもらった経験した。値段はチェーン店よりも高いけれど、人の暖かさを感じた。出された目の前の料理は、レンジでチン!のやつではなく、ママさんの手作り料理ということになるので半端なくうまい。キャベツの千切り1つ食べ残してはいけない!!となった。

 

差し入れ&お手伝い&ひたすら話を聞く人(?)をする代わりに、もっと誰かの手作り料理を頂きたい!!!なんて思った。

 

可能性

 

さらにその前の日、人生初のバスケットボール観戦をする。毎日NBAの試合をチェックしている割に、ライブで見た事はなかった。ご縁あって好きな選手がいる「千葉ジェッツふなばし」のホームゲームを見ることができた。最高だった。楽しすぎた。周りの人を気にせず手をあげたりしていたので、横に座っていた方の視界を邪魔してただろうな〜と今になって思う。

あまりにも楽しかったので、本場NBAの試合も生で見たくなってきた。少し頑張ってお金を貯めてアメリカにジャンプするのも面白いかもしれない。ちょうど向こうはプレーオフ真っ最中なので盛り上がりも半端ない。行きたい。チケットが高い。

 

1番の味方は自分自身

4月2日からさすらいの身として動き続けているが、思っていた以上にことが動いていない。夜中、風を浴びながら歩いて(しかも疲れている&お腹が空いていると)「俺の価値とは何なのだろうか???」と思う。何も人から賞賛されるようなこと、自分が賞賛してあげらるような凄いことは出来てない、と感じて無力に負けそうになる。カップルが幸せそうに歩いているのを見ると、「俺はその世界に今いないんだよな、、」と勝手に叩きのめされる。寒空の下を彼女を横に連れて歩いたなら日々の恐怖が薄れるのかなと思う。自分の中がとても荒れている感覚を覚える。

そっと街角のベンチに座って小声で歌い始める。三浦大知の『誰もがダンサー』という曲が流れる。歌っててしっくりくる歌詞が現れる。

不安定なこの心 真実

ひっくるめて全て愛してあげて

いつだったか、自分の最小単位は自分1人だという事に気付いた。それまでは無意識的に自分が所属しているもの(家族、恋人、職場、サークル、座組etc)が全てであり、この人達から認められることが善だと思っていたことがあった。確かに大事かもしれない。けれど自分にとっての1番の味方は自分自身だ。それか自然そのもの。弱くて、ほんとクソだと思うことだって山ほどある。そしてそれに負けそうになって「うがー!!」となる事もある。(夜中小さい声でうがー!!と言ったこともある。)

でも思えば完璧な人間だとは自分のことを思っていないし、クソぐらいで丁度いいのかもしれない。いいじゃん、人間らしくて。まずは自分を認めること。受け入れること。許すこと。そして自分と共に進むこと。将来のこととか周りからの視点とかそんなことは一回シャットアウトして、「今この瞬間にかける(死にに行く)」事を意識して、ここからまた進み始めたらもうそれで完璧だと思う。

 

(日付が変わるその瞬間まで俺の命は)つづく、、、!

人生20歳からが始まりだと思え

ここ何日も自分の体にたまっている言葉を書き起こそうとしているのだけれど、なかなかまとまらない。何回も書いては放置、書いては放置を繰り返している。今は無感情なのだろうか、だから言葉にできないのだろうか。今また言語化をするためにこうしてパソコンと向き合っている。

 

心の赴くままに

日曜に家を出てからしばらく、心の赴くままに動いてみた。言葉通り、あっちこっちを移動した。その際に消えていくお金には何にも気に欠けない。さらには食べたいと思ったらどんなご飯だろうとケチらず食べる。そういう方向に舵を切ってみたものの数日で限界を迎えた。確かに心の赴くままに動いてみると面白い結果が待っていたのは本当だ。

 

ある日、大宮で目覚めた僕は北を目指して歩き続けた。途中いろいろな事を考える。「過去も未来もない、あるのは今この瞬間だけだ」「激流に身を任せる」「何をやってもいいし何をしなくてもいい」「今起きていることはベストタイミングなんだ」「全ては許されている」等々の言葉が頭を支配していく。たぶんある意味真理をつかみ始めたのかもしれない。これらの言葉は間違っていない。むしろ的を得ていると思う。しかし前の記事でも書いた通り、まだ僕は何をしたいのか何がきっかけで動きが加速するのか全く自覚がない。

 

 

hasheem32.hatenablog.com

 

 

かといって自らを無理矢理動かすのでは今までの生き方と同じだ。すべてはベストタイミング、その言葉を信じて、そして何よりも自分の可能性を信じていくこと、今の自分にはそれしかできないのかもしれないと思っている。そんなことを考えながら大宮から桶川まで歩いた。心の赴くままに歩いた結果、次は心の赴くままに電車に乗ってなぜか熊谷で降りた。

自分でもわけがわからない。と同時に、全く先の見えない恐怖のような感覚が待っていた。これが本当にベストタイミングなのか??これといった行動をしていない自分に何の意味がある??頭の中で呼びかけてくる声。まだその答えはわからないと自らの心に返事をし、気づいたら今度は秩父にいた。

 

停滞感に悩みを抱えていた僕は秩父の自然に圧倒され、すべてがどうでもよくなる。「ああ、今日はこの瞬間のためにあったんだな」と思う。

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次の日、小田原、沼津と訳の分からない移動をしていた。抱えている悩みは前日と同じだ。この彷徨いに先はあるのか。ここでも静岡の海に救われる。

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風と波の音、鳥の鳴き声、壮大な富士山。海岸沿いを歌いながら歩き黄昏ることに成功した。あの瞬間も最高だった。

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ちょうど残金が少なくなってきたのと同時に、これ以上移動したところでやりたいことはない、行きたいところはないことをひしひしと感じ東京に戻って今に至る。確かに心の赴くままに体を動かすのはめちゃくちゃに大事だと思う。しかし、お金を持っていない&お金を使うのが下手糞な僕は、これ以上移動費を消費してやりたいことはもうなかった。お金が消えていくくらいなら何もしない方がましだ、という方に舵を切ってしまう。この感情はまるで自転車の旅をしていたラストの方の記憶に似ている。やりたいことは特にないのに、旅という名目で進み続ける。何かが違うのだ。自分を満たしてあげるためにするべきことはそこじゃない。今のテーマは「自分をどうしたら楽しませることが出来るか」である。お金をかけて楽しいならそれでよい。お金をかけないで楽しめることがあるならさらに良い。たぶん今の自分は退屈しているんだと思う。しかしそれを打破するのが何なのかにはまだ気づいていない。取りあえず適当に移動することは違うと分かった。いい発見だ。

 

 人生20歳からが始まりだと思え

実家の4階は物置小屋になっているのだがそこに置かれている布団で寝ている。自らを「文京のハックルベリーフィン」と名乗っている。なんだか新しい気分だ。少しだけ謙虚な気持ちで家の中で暮らすことが出来ている。さて、次は群馬だ。やっぱりあの場所が魅力的なのだろうか、頭の中から離れない。しかし今のまま行ってもまた負ける気がする。プランを立てるのか、原チャリを買うのか、どの答えを自らが選択するのか。可能性の幅はまだまだ広がっている。本格的に社会のレールとやらからズレて言い訳できない状態に身を置き始めてから10日程度。まだまだここからだ。この間会った人から言われた言葉を思い出す。

「人生20歳からが始まりだと思え」

とても今の自分に勇気を与えてくれる言葉だと思った。その人もこの言葉をおじいちゃんから言われたらしい。父は偉大という言葉はあるが、祖父も偉大な事を忘れてはいけない。

なるほど、言葉の通り行くとまだ俺は2歳と2か月だ。何も出来なくて、何もわからなくて当然だ。足が立つようになって、少しあーあー言い始めたぐらいじゃないか。まずは焦らず、今を楽しんで。自分をめいいっぱい信じてあげて。あとは自分を流れに任せてあげるだけ。その先に見える景色はまだわからない。2歳と2か月の成人男性は吸収力と爆発力を信じ、今日も一日を生きる。

 

つづく、、、!